2016年9月13日火曜日

ヘーゲル『精神現象学』③(A意識 Ⅱ知覚、或は物と錯覚)

これは個人的読解を纏めたものである。特に『 』内は本文の抜粋、〈 〉内は私の考えや感想。
ヘーゲルの文章は呪文のようなものである。しかし、その文章を読んでいくと、やがて驚くべき人間精神の地平が立ち現れてくる。以下はその享受の記述である。



ヘーゲル 精神の現象学 金子武蔵訳(A意識)


 知覚、或いは物と錯覚

感覚的確信は、物をこの物として捉えようとするだけだが、知覚は物を自分にとって存在する、ある普遍的なものとして捉えようとする。言い換えれば、知覚は、対象化した物から現象してくる感覚的なものを区別して反省(考察)することで、普遍的なもの、つまり真なるものを捉えようとする。



 [一 物の簡単な概念]

知覚は、感覚的確信のように単に今ここにあるこの物としてではなく、この物が持っているいろいろな性質によって、この物であること、普遍的にこの物であることを知る。例えば、塩という物は、白いということも亦、辛いということも亦、結晶が立方体であるということも亦、その物の性質であるということにおいて、その物が塩であることを知る。真は個別ではなくて普遍にあるのだから、物の真理は物の方に多様なものとしてある、ヘーゲル流にいえば物とは多である(肯定的普遍態)。物とは多様な普遍性が統一されたもの、と捉えることが出来る。



『かくてこのも亦が純粋に普遍的なもの自身であり、言いかえると、媒体であり、諸性質を総括せる物たることなのである。』



だが、物というのはそれが持っている諸性質の統一という側面だけではなく、それ自身が他と区別される一者であるという側面を持っている。諸性質自身は普遍的であっても、この物に備わっているのは、他の物にも備わっているという関係において備わっていると知覚されているのだから、(限定されたものとして)他の物の性質ではなくこの物の性質であり、その限りにおいて個別的なものである。観察されたのは、同じ白色でも砂糖の白ではなくて塩の白であった。塩は白かったのであって、白いから塩なのではない。ヘーゲル流にいえば物とは「一」である。性質の限定的な否定性もまた物の本質に属している(否定的普遍態)。



『・・・媒体(物)もただ単にも亦という諸性質を没交渉にしておく統一であるにとどまらず、一者であり、排他的統一でもあることになる。』



だが、知覚によってこの物が他の物と区別されたものであることを知ることができるのは、他の物と共通な性質という普遍的なものによってである、ということは、考えてみれば不思議なことで、物を対象とした意識の反省的運動としての知覚にはまだ知られていないナゾがありそう(このナゾ解きは、対象が物ではない場合にも役立つはず)。ヘーゲル流にいえば、知覚によって物が物として統一されていくのは、上述の肯定と否定の二契機が関係していくことで成し遂げられる、ということになる。



[二 物に対する知覚の態度]

知覚における意識の基本的態度は、対象を意識に生じてくるがまま捉えることであるが、そうすると、物は一であり多であるということになり、自己同一性という真理の基準に反することになった。

だが、物を知覚するという経験をよく見てみれば、自己同一性という物の真理は対象の側にあるのでもなく意識の側にあるのでもなく、意識と対象が交互に訂正し続ける運動にある。ヘーゲル語でいえば、物は「対自存在」かつ「対他存在」なのであり、実は同じことなのだが、これを意識の側からの言い方では、意識のありかたによって物は「一」でもあり「多」でもあると受け取ることが出来るようなものなのである。

言い換えれば、他とは独立してありながら他との関係においてあるという物の二重性は、多様な性質を持つことで他と区分されているのだ、とも、それらを一つに統一する媒体であるのだ、とも受け取れる意識の二重性と同じなのである。

『・・・物は補足する意識に対して或る一定の仕方において現れてくるが、しかし同時に物はいま現れてくる、そのしかたから出て己のうちに還帰しもすること、言いかえると、物がそれ自身において相互に対立した真理を具えているという経験がえられることになる。』

実は、物というものは物質の集まりなのであって、だから性質もまた物質の集まりであり、これが意識において一者として引き受けられる理由である。しかし、意識は己も物も一者であるとすると同時に、物は独立した物質に分解することも亦とし、即ち物が一と多との二重の仕方で現れてくることを経験する(自然の法則と共に、究極の物質をどこまでも追求したがる人間の精神的営みの哲学的原理の契機が述べられているようにも思える。観測手段が高度化すれば知覚で捉えることの出来る性質の内容も豊富となり、多と一の運動が果てしなく続くのだが、これは自己同一性の追求、同じことだが物を構成する究極物質、つまり一の追求なのである、と)。



 [三 制約せられぬ普遍性という悟性の領域への移行]

ここまで感覚的確信から知覚に進み、物を捉える意識の経験が対象と意識の弁証法的運動によって展開してきて、物とは一であり多である、とか、物は独立でありながら他との関係においてあるという二重性の下にあり、それは意識の二重性を同じである、言い換えれば、物は対自存在であり且つ対他存在であるなどと述べられてきた。

しかし、その間に還帰したり止揚されたりした普遍的なものは感覚的なものから出て来るものだから、結局それに制約されていることになる。物の真理を問うことの本質態は、この制約から離れた世界(悟性の世界)から考え直さなければならない。



『(他者に対する存在に囚われている対自存在にすぎないとしても)対自存在と対他存在との両者が本質的に一つの統一においてあるのだから、いまや制約せられず物ではない絶対的な普遍態が出来上がっており、意識はここに初めて真に悟性の国へ歩み入るのである。』



[四 総括]

(省略)


2016年9月10日土曜日

ヘーゲル『精神現象学』②(A意識 Ⅰ感覚的確信)

これは個人的読解を纏めたものである。特に『 』内は本文の抜粋、〈 〉内は私の考えや感想。
ヘーゲルの文章は呪文のようなものである。しかし、その文章を読んでいくと、やがて驚くべき人間精神の地平が立ち現れてくる。以下はその享受の記述である。

ヘーゲル 精神の現象学 金子武蔵訳(A意識)
2016/9/10改訂
 感覚的確信、或いは「このもの」と私念

「我々」にとっての対象の知は、はじめは直接的なもの或いは存在するものの知以外にはない。「我々」としても、現れてくるがままのこの知を、概念的理解から遠ざけて、感覚的確信において受け取るほかはない。
この感覚的確信は、最も豊かで無限の内容を持ち、最も真実であるかのように見える。しかし実際には、この確信は、対象を区別することも関係づけることもなく、ただ純粋な個別的な「このもの」としか言えないようなものであり、また、そう受け取る意識の方も、同じようにただ純粋な個別的な「このひと」という自我・私にすぎない。
だが「我々」がよく見てみると、感覚的確信は純粋な直接態に留まることは出来ずに、ただちに自我としてのこのひとと対象としてのこのものとの区分が出現し、直接態としての無数の実例の区別も出現している。「我々」がこの区別について反省すると、対象も自我も単に無媒介にあるのではなく、双方を介して確信の内にあることも分かる。

『・・・「我々」がいかなる場合にも主要の区別として見いだすものは・・・自我としてのこのひとと対象としてのこのものとが離れ落ちるということである。』

『もしこのさい「我々」にしてこの区別について反省して見れば、一方も他方も感覚的確信においてもただ単に無媒介にのみあるのではなくして、同時に媒介されたものとしてもあることがわかるのであって、自我は他者を介して即ち事柄を介して確信を持っているのであり、そうして事柄も全く同様に他者を介して即ち自我を介して確信の内にあるのである。』

[一 この確信の対象]
感覚的確信は、対象こそが本質的実在であると思っているのが実状であるのだが、「我々」に言わせれば、この対象とは知としての概念である。この実状としての対象と概念としての対象が一致するかどうか確かめなければならないのだが、そのためには、今のところあくまでも「我々」が反省したり考察するのではなく、感覚的確信が具えているあるがままの姿において対象を受け取る他はない。

『そこで感覚的確信自身に向かって「このものとはなんであるか」と問われるべきである。』

「このものとはなんであるか」という問いにおける「このもの」を、存在の二重形態としての「今として」「此処として」として考察してみる。「今として」の場合、「このものとはなんであるか」という問いの例は「今とはなんであるか」となり、その答えが「今は夜である」と答えたとしよう。昼間になって同じ問いを発したら、その答えは「今は昼である」となって、夜に答えた答えとは違っている。夜は否定されて昼となっている。しかし、「今とはなんであるか」という問いに対しての答えとしての今は、昼でもあり夜でもある今である。否定されて持続するもの、無媒介にではなくて媒介されて(知によって対象が概念として捉えられ)持続するものをして、我々はこれを普遍的なものと呼ぶ。普遍的なものが感覚的確信にとっての真なるものなのである。「このもの」のもう一つの形式である「此処」についても同様である。例えば、私は樹を見ているが次に振り返って家を見ている、という場合に、此処は樹であったが家となったとしても、「このものとはなんであるか」という問いに対する答えは、それが樹ではなくて家であるとか、家ではなくて樹である、ではなくて、樹でもあり家でもある「此処」が普遍的なものなのである。

『かく否定によって存在し、「このもの」でも「かのもの」でもなく、このものならぬものでありながら、それでいて全く一様に「このもの」でも「かのもの」でもあるところの単純なもの、我々はこれを普遍的なものと呼ぶのである。だから普遍的なものが実際には感覚的確信にとっての真なるものなのである。』

我々が感覚的確信において真なるもの、普遍的なものを言い表すのは言葉をもってするのであり、言い換えれば言葉は普遍的なものなのである。
ここに至ると、知と対象がはじめとは反対になっていることが分かる。感覚的確信において真なるものは、はじめとは反対に、自我がこれについて知ることのうちにあるもの、私念のうちにあるものとなっており、自我や知が媒介しない無媒介なもの、自体的なものではない。

『確信の真理は対象のうちにはあっても、この「対象」は私の対象としての対象であり、言い換えると、確信は私念のうちにあり、対象は自我がこれについて知るから存在するのである。』

したがって、感覚的確信の対象は自我のうちに押し戻されたのだが、この意識の経験が我々に示すものを、次に考察しよう。

[二 この確信の主観]
感覚的確信の真理は今や私(自我)のうちにある。言い換えれば、真理というものは、私の外に客観的にあるものではなく、個別的なこの私が、私の感覚において、私の知を媒介として捉えたものとしてある、ということになった。しかし、個別的なこの私も、普遍的な私というものがあってはじめて、この私であることができる、ということも分かってくる。
例えば、樹を見ていた私が、次に後ろを振り返って家を見ていた場合、それぞれの場面は個別的なことである。しかし、見るものが違っていても、それぞれの場面における私が「見ること」自体は普遍的なことであり、更に「見ること」自体はこの私にとっても、他の人にとっても、個別的なことではなくて普遍的なことである。そうすると、真理というものは個別的なこの私にではなく、普遍的な私一般があってこそあったことになる。

『・・・私が私、この個別的な私と言うときにも、私の言っているのは総じてすべての私のことであって、各人が私の言うところのもの即ち私であり、この個別的な私なのである。』

[ 主客関係としての確信]
ここまでの意識の歩みにおいて、感覚的確信は、その確信の本質(直接態)が対象のうちだけに、また私のうちだけにあるものではないことになるから、感覚的確信自身の全体そのものをもってこの確信の本質であると捉えるほかはない。そうすると、この直接態の真理は、私は私一般であり対象も個々のこれや今ではなくて、今・ここ一般であることが普遍態となる。そうすると他と関わることも、すべての区別もできない状況において、自己同一性を保っていることになるが、そうするとどうなるかを次に見てみよう。
この場合には、感覚的確信は、言葉も使えずに(すべての区別はないから言葉も使えない)、ひたすら「今ここ」において対象と直接的な関係にあるだけなので、「我々」がその直接的なるものを言葉によって「指摘」してみると、例えばこうなる。我々が「今」を指示すると、「今」は既に「存在する」ことをやめているから、我々が指示した「今」は「存在した」ものであるということが真理であることになるが、しかし真理は「存在する」ものであるから「存在した」というこの真理は本質(=実在)ではない。結局このような感覚的確信においては、自己同一性自体があり得ないことになる(ヘラクレイトスは「誰も同じ川に二度入ることはできない」と万物流転を唱えたことなどを引き合いに出して、場所や時間が違っても、「今」や「此処」の「私」も「それ」も自己同一性を持続していることが真理であることを言いたいのだと思うが、その説明はいまいちピンとこない)。
(「我々」のコトバによる上述のような「指摘」は、ヘーゲル風にいえば、感覚的確信という側面における弁証法的運動であり、その結果において自己内に真理が還帰し、意識・自我・私が普遍的なものを経験したことになる。そのことが、この節については、今(時間)も此処(空間)も、個別的な「多」なる今と此処を経験することによってはじめて意識の上で「一」なる今とか此処を理解することが出来るということにおいて述べられている。)

(今を今と)指摘することがそれ自身運動であり、そうしてこの運動が今の真実には何であるかを、すなわち結果であること、言いかえると、集合された今の数多性であることを示すのである。そこで指摘するということは、今が普遍的なものであることを経験するゆえんである。』

[四 総括]
かくて、感覚的確信は、この確信の経験の歴史であって、外部にあるこのものの実在性が意識に対して絶対的真理であるから生じるのではない。個別的なこのものは、普遍的なこのものとの関係においてこのものなのである。動物でさえも、目の前のこのものは個別的なこのものではあるが、食べられるという普遍的な関係においてのこのものでもある、ということを知っている。

『この「此処」(=これ)は他のもろもろの此処のうちのひとつの此処であり、言いかえると、ひとつの此処でありながら、それ自身において多くの此処の単純な集合であるが、これは、普遍的なものであることを意味している。』

外部にあるこのものの実在性が意識に対して絶対的真理であると唱える人にとって、この外部の実在性とは、『現実的な、絶対に個別的な、全然個人的な、個別的な物であり、おのおのがもはや絶対に同一のものをもたぬ諸物と規定せられうるであろう。』ようなもの(私念されたもの)である。たとえば目の前のこの紙片がそうである、と。しかし、それではそのものを真に捉えたことにはならない(例えばコトバで説明できない)。私がものを真にあるとおりに受け取ることができるのは、普遍性においての個別的なものであるかぎりであって、言い換えれば知覚によってである。


2016年5月17日火曜日

ヘーゲル『精神現象学』①(緒論)


これは個人的読解を纏めたものである。特に『 』内は本文の抜粋、〈 〉内は私の考えや感想。

ヘーゲル 精神の現象学 金子武蔵訳

ヘーゲルの文章は呪文のようなものである。しかし、その文章を読んでいくと、やがて驚くべき人間精神の地平が立ち現れてくる。以下はその享受の記述である。

緒論
カクテル
一 絶対者のみが真なるもの、真なるものが絶対
デカルトは、何が真で何が偽であるのかを問い詰めて、結局心身二元論で心を棚上げにせざるを得ず、始めの問いにはよく答えられなかった。この問いは、実は人が真を認識するということはどういうことなのか、という問いなのであり、ヘーゲルはまずこの認識論をとりあげて次のことを指摘する。真理が一方の側に立ち、認識する人が他方に立って、適当な認識手段を用いてこの真理を把握することができるとかできないとかと考えること自体がそもそも誤りである。また、真理には絶対的ではなく相対的なものもあり得るし、この場合にはその区別も必要となる、と。

『この結論は「絶対者のみが真なるもの、言いかえると真なるものが絶対」であるということからでてくるものである。』

二 現象知叙述の要
学が本当の認識論を展開出来ないうちは、そうではない学の方が間違っていると「断言」しても、そうではない学の方も自分の方が正しいと「断言」するから意味をなさない。「断言」する根拠は、絶対者とか認識とか客観的なものとか無数の語によって何らかの意味を伴って表現される「表象」或いはお題目に基づいている。これらの「表象」は、学が登場したあかつきには、すぐに消えてなくなるような「知」の空ろな「現象」、言いかえれば「仮象」であるにすぎないものである。
学がこのような「仮象」から「自由」でなければならず、そのような「仮象」に刃向かって本当のことに近づき得るのには、まずは「知」に立ち現れてくる「現象」、「現象知」の叙述から始める以外にはない。

『以上のような理由によって此処に現象知の叙述が企てられなくてはならないのである』


三 叙述の方法
(一)進行の仕かたと必然性
現象知の叙述から学を始めてみると、素朴な意識は、これが正しいと思っていたものが実は間違えていたのではないかと疑わざるをえないという経験に遭遇する。その時、素朴な意識が、これではなくあれが正しいと思ったとしても、その次にやっぱりあれではなくこれの方が正しいのではないかと疑わざるをえないという経験に再び遭遇する。意識の遍歴するこのような道程は徹底した懐疑主義であって、真理へと次第に接近していく道程である。
懐疑主義と言っても、現れてくるものは「空無の深淵」に投げ込まれて同じように繰り返されるような「無」ではなく、これとかあれとかを否定するこの否定が「限定せられた否定」であるならば、そこにはすぐさまある新しい形式が発生してきているようなものなのである。かくして否定のうちにこの新しい思考の系列への移行がおのずと生じてくるのである。
知にとっては、思考の進行系列と同時に、その先には目標があることも明らかなことである。あれとかこれとかというのは意識にとっては「対象」、正しいとか間違いとかと考えるのは意識にとっては「概念」、そして目標とは、もはや知が己自身を超えていく必要のないところ、つまり概念と対象が一致するところにある。しかし、「意識は自ら対自的(自覚的に)に己の概念である」ので、意識というものは自らを対象化するものなのであって、自然の生命のように死ねばなくなるようなもの、言いかえれば己自身に限定されるようなものではなく、対象としての己を超え出て、概念としての「彼岸」を同時に定立してしまうものなのである。だから、目標への到達とは、概念と対象との休み無く続く運動を伴うものなのである。
目標への到達とは「絶対知」への到達を意味しているのだが、ヘーゲルが本当に言いたいことは、何が絶対知であるのかと言うことではなくて、そこへと至る道、概念と対象とが相互に転換しつつ次第に真なるものに近づいていく運動、言いかえれば、限定された否定の運動としての経験、そのこと自体の内にしか真なるものはあり得ない、ということであろう。

『魂が己の本性によって予め設けられている駅々としての己の一連の形態を遍歴して行き、その結果、己自身を余すところなく完全に経験することによって、己が本来の己自身においてなんであるのかについての知に到達して、精神にまで純化せられる際の道程であると、この叙述は見なされることができるのである。』

『しかしながら知にとっては、進行の系列とまったく同じく必然的に目標もまた設けられているが、目標は、知がもはや己自身を超えていく必要のない処に、知が己自身を見出して、概念が対象に、対象が概念に合致する処にある。だから、この目標までの進行もまた休みなきものであって、目標以前のいかなる駅でも満足は見出されえない。』


(二) 知と真
さて、現象知の叙述の進め方と、進める先には目標があるという必然性の概略は述べたが、ここでは、その方法について述べる。対象の真偽については何かの尺度をもっての吟味が必要となる。その尺度は主観には関係なく客観的で正しい、「実在であり自体である」ものでなければならないように見えるし、学がその尺度であるとしても、まだ始めたばかりの学としては吟味する力もないから、吟味をすることができないかに見える。しかし、知と真が意識においてどのように出現してくるのかをよく見てみれば、この矛盾を取り除くことができる。

『意識は或るものを己から区別すると同時にこれに関係しもする』のだが、意識が或るものに関係するということを、或るものが意識に対してある、と言っても良い。このような、意識に対してある存在の一つの特定の側面が知というものである。しかし意識においては、このような「対他存在」としての知が出現すると同時に、知と関係づけられるものは、知とは区別されたものとして、その関係の外に「自体存在」として定立されるのである。この自体という側面が真と呼ばれるものである。知と真とは、両方とも意識に対してある存在なのである。

尺度をもって吟味するとは、意識が知と真とを区別して、知が真であることを判定すること(「知が真であること」)とも言えるが、この知と真は両方とも意識に対してある存在であって、あるいは意識の内部にあるものだから『意識とは己自身において己の尺度を与えるもの』なのである。別の言い方をすれば、知を概念と呼び真を対象と呼んでも、或いはこの関係を逆にして、真を概念と呼び知を対象と呼んでも実は同じことなのだが、吟味とは対象と概念が一致するのかどうかを探究していくことなのであり、その際には、己の意識から区別され、また関係もしないような、外部の尺度などを持ち込んではならないのである。

意識が或る対象について知ることとは、意識にとっては自体である或るものと、対象のもたらす意識にとっての或るものの区別をして、両者が一致するかどうかある尺度をもって吟味することだが、一致しないときには、意識は己の知の方だけを変えなければならないように見える。しかし、知は対象についての知なので、知が変わると対象自身もまた意識に対して変わり、同時に吟味の尺度も変わるのである。

『大切なのは、次のことを探究の全過程にわたって銘記することである。即ち概念と対象、対他的に存在することと自ら自体的に存在することというこれらの両契機が我々の探究する知ること自身のうちに属しており、したがっていろんな尺度を我々が持ち込んだり、探究にさいして我々のいろんな思いつきや我々の思想を適用する必要はないということである。これらを捨て去ることによって、事柄を即自且つ対自にあるがままの姿において考察することに我々は達するのである』


『かく真と知との両者がいずれも同じ意識に対してあるのだから、この意識自身が両者の比較をなすのであり、対象についての己の知がはたして対象に一致しているか、一致していないかの問いが同じ意識に対して生じてくるのである。』

(三)経験

『意識は自分自身において、即ち自分の知においても自分の対象においても弁証法的運動を行うのであるが、この運動から意識にとって新しい真実の対象が発源するかぎり、この運動こそまさに経験と呼ばれているものである。』

意識は、これが正しいと思っていたものが実は間違えていたのではないかと疑わざるをえないという経験に遭遇して考えを変えたとしても、また同様な経験をして元の考えに戻ってしまい何も変わらないならば、この経験と呼ばれているものは本当の経験ではない。「経験」とは、意識の弁証法的運動によって、意識にとって新しい真実の対象が発源するかぎりのものである。

この時の弁証法的運動をもう少し説明してみるとこうなる。あるものを知る、ということは、そのあるもの(対象)は、はじめは自体であり、次にその存在は意識に対してもまた自体となる。その時には意識に対して自体となった対象はもはや元の対象とは別の新しい対象となっている。次には、その新しい対象が自体であり、次の次にはその存在は意識に対してもまた自体となる、ということである。普通は、最初の理解が間違っていたことを経験するのは、最初の対象とは「即自且つ対自的に」つまり全く独立に存在している別の対象をただ受け取ることである、と考えるのだが、これは間違いである。
意識の弁証的運動は必然的なものであるが、この必然性は哲学的考察者としてのわれわれに対することであって、意識はただ現れてくる対象が前のものから発生してくることだけとしかとらえることはできない。

『かかる必然性によって学に至るこの過程がそれ自身すでに学であり、そのうえ内容からいえば、この道程は意識の経験の学である。』

世界とは、「経験」されたものでしかない。世界におけるすべての対象についての諸契機は、抽象的な純粋なものとして現れてくるのではなく、意識との関係において現れてくるものである。

『(世界)全体の諸契機は意識の諸形態である。』
 
    単に己に対してあるにすぎない意識が自分の真実に向かって進んでいくと、ある立場に到達する。この立場において現象は本質となり、意識自身が精神(≒世界)であるという己の本質を把握して、意識は絶対知自身の本性を示す。

2016年5月9日月曜日

親族の基本構造(レヴィ・ストロース)

クロード・レヴィ=ストロース 親族の基本構造(福井和美訳、青弓社)
サマーレディなど

29章のうち第1章から第10章まで(3,6,7,8章は抜粋)
(   )内は文脈から推測して補足した文章、[  ]内は小生の文章

初版序文(1947/2/23)
親族の基本構造とは、親族の範囲と、その親族の中での可能配偶者と禁忌配偶者を区分することを同時になす体系である。本書の根本的目的は、婚姻規則、親族分類法、特権・禁止体系が、親族の基本構造における互いに不可分の側面をなすことを明らかにすることである。
比較社会学的研究は、資料の選び方と事実の利用法に困難な問題を含んでいる(要するに、信憑性の吟味を要する膨大な資料から、どのような考えに基づいて当該体系を抽出すればよいかということ)。本書ではこの問題に対して次のような考えをとる。(個別から総合へと進むから)はじめは多数の主観的事実から出発し、次に少数の典型的な実例を選別して深く検討し、それらを総合して一般化する。実地踏査の役割は、仮説を生み出し、直観を導き、原理を例証することにある。(多様な文化から取り出された)実例の役割は、印象を育み、主観的事実が人間の信念や恐れや欲望の中に立ち現れるさいにまとう雰囲気や色合いを確定することにある。

第二版序文(1966/2/23)
私自身は手をつけるつもりがなかったが、「双方的」ないし「無差別的」と言われる出自体系について、綜合的な検討の場を設けるのがやはり望ましかった。この種の体系は執筆時に考えられていたよりも多く、性急に新しい種類に含められた体系もある。今ではそれらの体系も再び単方形式に帰着させることが出来るのでは、と気付かれはじめている[1]
批判があったムルンギン型体系(12)とカチン型体系(第1517章)は、解釈の有効性は失っていないので再録した。第2部のうち、中国とインドの部分(第19章~第27章)についても手直しを控えたが、それは、かくも粗雑な部分を吟味する気力も意欲も今や無くなってしまったからである。読者には、これらの篇を、民俗学の進歩によって乗り越えられてしまった段階として受け取ってくださるよう切にお願いする。
序論で触れた基本的部分については、新しい事実が沢山もたらされ、私の考えも進んだので、今なら別の書き方をする(部分があるがしていない)。インセスト禁忌[2]については遺伝学的側面をぞんざいに扱いすぎた。
自然と文化の対立については、解剖学と大脳生理学研究の進歩が分節言語の有無という視点を強化した。
しかし、(自然科学的観察・研究による)多くの現象が明らかになってきたので、自然と文化の境界線は細く不鮮明になってきた。(例えば)昆虫から哺乳類に至るまでの複雑なコミュニケーション手段が見いだされてきたこと、ある種の鳥類や哺乳類、なかんずく野生のチンパンジーの道具製作・使用能力が知られ始めたことなど。
ホモ・サピエンス種が、もろもろの中間種に対して行われていたと想像できる何十万年に亘る殺戮を思えば、文化と自然の対立は、世界秩序の原初的側面でも客観的側面でもなく、文化の側から人為的につくりだされたものと見るべきだろう(人類は、自身に近い既に絶滅した中間種を殺戮していたときに、彼らを自然と見なしていたのかそれとも文化の担い手として見なしていたのであろうか)。以降省略。

【予め知っておくと便利な出自・出自集団関連の用語、概念の解説】
「出自」:親族関係に関わる譲渡を司る原理。財の移転(相続)、身分・職務・帰属・権利等の移転(継承)が含まれる。
「単系出自」:父系出自、または母系出自のこと。著者においては、「系」と言えば「単系」を意味し、始点(と終点)を結ぶ線として捉えることが出来る。
「父系出自」:上記移転の経路が父を通る場合。
「母系出自」:上記移転の経路が母を通る場合。但し、実際の移転の経路が母方オジからその兄弟の姉妹の息子(甥)へ向かいことが多いので、実は「オジ系出自」と言うべきだが、この用語は存在しない。
「単系二重出自」:父系出自と母系出自が共存する場合。例えば、不動産は父から息子へ、動産は母の属する集団へ譲渡される場合。著者は第8章で「両系出自」と言っている。
「無差別出自」:一般に、父系出自でも母系出自でもない場合。著者は第8章で「共系出自」と定義し、この言葉は基本構造の範囲に入らないとして検討外になっている。
「出自集団」:「系」の始点を共有する集団。例えば始点をアマテラスとすると日本民族はその出自集団と言うことになる。
「部族」:最大の出自集団。(大きすぎて)婚姻や親族関係水準においては重要な単位にはならない。「系」以外の共通項は共に働いているという概念とその実践である。[上の例題に照らすと、アマテラスを出自の始点と考えるなら、人類学的に言うと日本部族という概念で捉えることが出来る]
「クラン」:部族の下部単位。単位婚姻や親族関係の水準において重要な単位だが、リネージに比べて、規模や歴史において系の明瞭さに欠ける。
「リネージ」:婚姻や親族関係の水準において重要な単位だが、系が明瞭なので協働に関する連帯性が強い。だがクランに比べて分裂増殖へ向かう傾向が強く集団の安定性欠ける(結婚して子供を持てば誰でも始祖になり得るから)。

序論
第1章 自然と文化
いままで、自然状態と社会状態(文化状態)の区分や解釈がなされてはきたが、この二つの区別に関わる原理の探求は回避されてきた。
ネアンデルタール人の石器加工技術と埋葬儀礼は、彼らが(動物と同じ)自然状態ではなかったとはいえても、文化的水準からすると新石器時代人とは絶対的に分かたれる。重要なことは、この二つの区分は、歴史的意味を欠くが論理的価値を持つ[3]ことに気づかれ始めていることである。人間は生物であると同時に社会的個体でもある(という考え方が、自然と文化という二つの区分に論理的価値をもたらす)。
(自然状態と社会状態を区分した後の)分析に際して、個々の(人間の)態度の原因が生物次元にあるのか社会次元にあるのかと(対立的に)考えるか、その態度は文化的起源にあると前提して、それが生物的出自を持つ行動にうまくつなげる仕組みを考えるか、どちらを選ぶかの困惑が生じる。前者の考えは、生物次元と社会次元への移行問題を解決できない謎へと導き、後者は社会現象の解明そのものを禁じることになって、今までのところ、この二重の問いに答える十分な方法は無い。
一つの方法は、隔離した新生児を文化から隔離した環境で観察する実験だが、母親の世話があればこの条件は満たされず、更には実験環境自体が人為的であることには変わりがなく(現実的には)困難である。
人為的ではない偶然を利用して観察する方法もある。いわゆる「野生児」の研究だが、これらの子供達の大半は先天的不適応児であった[4](ので参考にならない)。さらに原理的理由によりこの方法は退けられる。人間には、孤立した個体が退行的に帰って行けるような種本来の習性というものがないからである。「野生児」は文化的な怪物であっても文化以前の状態の証人であり得ない。
従って、方法は他の生物から求める他はないが、それは可能だろうか。昆虫社会は解剖学的装備や遺伝を介した行動の伝達が自然の属性であるから、そこから文化への通路は求められないだろう。動物社会のような集団的構造物には、言語、道具、美的・道徳的または宗教的価値体系という普遍的文化モデルは入り込む余地はない。しかし類人猿ならその端緒が見いだされるだろうか。
ここ30年ほどの大型サルの研究は、その期待を裏切るものであった。観察の内容は、社会次元へと飛び越えるには貧しいものである。サルは言語的能力、即ち音声に記号としての性格を付与する能力を決定的に欠いている。
この確信は、個体の観察による個々の経験値から、全体集団の一般的結論は引き出せないと確認したときに、動かしがたくなる。脊椎動物の集団内部における序列関係の秩序は著しく安定しているが、秩序の規則性からの逸脱はある一定期間毎に頻繁に発生して秩序の固定は妨げられている。類人猿についても同様であるが、行動の不規則性や好みの個体差はより激しい。全体から推測すると、大型サルは、大部分のほ乳類と比較して、種としての行動から離れる力があり、本能的振る舞いが弱まっているとはいえ消極的なものでしか無く、代わりの規範を作るまでは行っていない。
このサルの行動の不規則性は、自然過程と文化課程の区別の原理基準を見いださせてくれるかに見える。この点について人間の幼児・子供とサルとの対比は示唆に富んでいる。集団との関係におけるすべての問題に対して、個々の幼児・子供の場合は明瞭な区別、即ちある規則によって解決されるが、個々のサルの場合は偶然にゆだねられている。恒常性と規則性の現れる領域は、自然の中にも文化の中にもあるが内容は異なっていて、前者の中では生物学的遺伝、後者の中では外在的伝統である。自然と文化は連続的なものではなく、この二つの次元の対立点を(連続したある地点において)明確にすることはもともと不可能である。
結局、いかなる実証的分析も自然と文化の事象の移行地点や結節の仕組みを解けなかったが、自然状態と文化状態を区分する(論理的)基準が見いだされた。即ち、次のような仮定である。『人間のもとにある普遍的なものは何であれ自然の次元にあり、自然発生を特徴とする。規範に拘束されるものは何であれ文化に属し、相対的・個別的なものの属性を示す』。こう仮定すると、規範と普遍性という性格を不即不離の形で示す一つの事実に遭遇する。それはインセスト禁忌である。インセスト禁忌は(禁忌だから)規則をなすことは明らかだが、あらゆる社会規則の中でこの規則だけは同時に普遍性という性格を有するのである。つまり、インセスト禁忌に対するルールは様々な社会で異なっても、禁止自体は普遍的に存在する[5]
このことは、いろいろな民族、地域、時代の記録において認められる(パヴィオツォ・インディアン、エジプト、ペルー、ハワイ、アザンデ、マダガスカル、ビルマ、オーストラリア、トンガ、エスキモー、古代エジプト)[6]
別の言い方をすると、インセストという禁忌は存在しない。つまりインセストを(規則として)禁止することなど誰も考えはしない。それは実際には起こりえない何かであり、万一起きたとすると前代未聞のもの、驚異であり、恐怖と戦慄を振りまく侵犯である。

第2章 インセスト問題
ここではさしあたり、インセスト禁忌の両義性・曖昧性(普遍性と規範という)が二重性格に由来することを指摘するだけでよしとしよう。
人間の性生活自体が、動物的本性と目的において二重に集団の外にあり、その目的においても(個体的欲求の充足と雄雌一対の複数的衝動の満足という点において)集団を超越する。そもそも性生活そのものが自然の内部で既に社会生活の端緒をなす。
従来は、インセスト禁忌の両義性を説明する(意味・価値を理解する)より解消する(両義性、いわば矛盾を解消する)ことが、社会学者達の殆ど唯一の関心事であった。この解消の仕方には三つのタイプがあり、ここではそれらの本質的特徴を議論するにとどめる。
第一のタイプは、インセスト禁忌の二重性を保持しながら、それを(普遍性と規範という)二つの局面に(単純に)振り分けるもので、多数の社会に生きている俗信に追随するものである。(結局この考えは)インセスト禁忌(という規範)は血族婚の有害な結果から種を守る防衛策であるというものである。[インセスト禁忌の両義性の矛盾を解消する考えに相当するとは思えないが?]
この説は、西欧社会では仮説としても16世紀以前には存在しない。未開民族の民話には、この考えを支持するとして例に引かれるものがあるが、よく観察すればそうではないことがわかる(規則破りに罰があるのであって、罰が下るから規則があるのではない)。
(そもそもインセスト禁忌の優生学的な根拠は無いのであって)旧石器時代末期以来、人間は同系交配という方法で植物種や家畜を改良して成果を得てきた。人類がこの方法を人間へ応用すれば成果を得られると考えたとしても不思議ではないのに、それ行わなかったのはなぜだろうか。
未開社会においては、交叉イトコ(親同士が兄弟~姉妹)同士の結合を積極的に認めるが平行イトコ(親同士が兄~弟または姉~妹)同士の結合は兄弟~姉妹間における結合と同等に禁止されるという状況は頻繁に観察される(遺伝学的には同等でも社会的な禁止関係には差異がある。だから、インセスト禁忌が優生学的に根拠を持つとはいえない)。
トウモロコシの交配に関するEM・イーストの科学的研究[7]は、近親婚に対する俗信には根拠があると結論づけた著者の視点とは逆に、近親結合に関する偏見を一掃することに貢献した。この研究は、同系交配によりある品種系統をつくりだす際に、はじめは劣性形質が現れてくるが、次第に変異度は低下して安定した基準標本なるというものだが、そのことは、人類がはじめから内婚をしていたならばその危険は既に除去されていたことを意味するから。
ダールベルクは遺伝理論の観点からは婚姻禁忌に正当な根拠があるようには見えないと結論した[8]。つまり、同系遺伝子の結合が選択的であってもそうでなくても遺伝子の一般的性質と個別的特性に変化はないこと、選択的結合が中断されれば同系遺伝子を持つ個体群も無選択交配体系の構成に戻るので血族婚は持続的影響力を持たないこと、またこの影響力が減少する程度(劣性形質の減少率)は集団規模が小さい方が早いこと、からそう結論づけた。突然変異による劣性遺伝異常の出現についても、ダールベルクの計算によれば、その確率は小さな個体群であっても無視できるほどである。
第二のタイプは、インセスト禁忌制度の自然性と社会性とがなす二律背反から、一方の項を排除しようとするもの(の内、社会性の項を排除したもの)で、インセスト禁忌は、人間が本来持っている恐怖や嫌悪や(刺激が鈍化していく等の)生理的性質によるものである、と考える。
だが個々検討してみれば、そう考える根拠はない。それらの説明は、論点先取り(観察記録の説明に、観察記録を前提とする)や事実誤認(インセストの事実は沢山あるのに無いとする)などに基づいているからだが、何より決定的なことは、インセスト禁忌が自然性に基づいているなら、規範として抑止する必要はないということである。
社会は自分が生み出したものしか禁止しない。(インセストと同じく自然に反する)自殺と異なり、インセストは社会に不利益をもたらさない。インセストが社会秩序にマイナスとなる理由はまだ見いだされない。
第三のタイプは、インセスト禁忌に純然たる社会起源の規則を見るものである。このタイプの人々は、インセスト禁忌の親族範囲が恣意的であるという、インセスト禁忌形態に注目する。
外婚をインセスト結合の予防手段と考える仮説は、外婚についてもインセスト禁忌についても何の説明もしないからここでは取り上げない。
第一のグループ[9]の考え方は、外婚習慣を戦争による略奪婚の習俗化であるとすることに基づいているが、この考えからインセスト禁忌の法則を導くことは、特別な現象から一般法則を導くことになるから無理がある。
第二のグループ[10]の考え方は、三つの性格を持っている。第一に、限定された一群の社会の観察を普遍化することで仮定の基礎を作る。第二に、インセスト禁忌は外婚を遠因とするその帰結であるとする。第三に、外婚規則が別次元の現象に基づいて解釈される。デュルケムはオーストラリア諸社会の観察を基にして、その社会における「実質的同一性」への信仰(トーテム信仰)が外婚規則を生み出し、インセスト禁忌は外婚の残渣であると考えた。トーテム信仰は、呪術や生物学的共同性が同一クランの成員を一つに結びつける根拠と考え、その神聖な象徴をクランの血、とりわけ月経血と考えた。神聖は恐れをもたらし禁止を生むから、外婚規則が生じて、インセスト禁忌が外婚規則の残渣となるという論理である。だがこの論理は恣意的であり、論理の繋がりを否定する観察や考えもある。
インセスト禁忌が現代においても機能しているなら、それを歴史の残渣とする考えは普遍性と矛盾する。問題の本質は、歴史上のあらゆる社会において、男女関係の規制が存在する理由にある。
われわれがここまでなしてきた分析は期待に応えてくれなかった。現代社会学がこの問題に対して無力である理由は明確で、方法が不十分なことを認めずに、むしろ自分の領域外にあると公言するからである[11]。インセスト禁忌は、人間が決める規則の存在の根拠が自然科学に求められる唯一の事例なのかもしれない。
しかしローウィも、この問題が規則の問題であるかぎり社会学の領分に属することを知っており、後年「しかしかつてのように私は、インセストが本能的嫌悪を煽るとは考えていない。(略)われわれに必要なのはインセストへの嫌悪を古い文化的適応と考えること---」などと述べているが、理論としては全面的に破綻している。逆にこの破綻の原因を分析して修正すれば民俗学の礎と築くことが出来るだろう。
以上三つのタイプの考えでは、インセスト禁忌の両義性の矛盾を解決できなかった。結局一つの道だけ、即ち静的分析から動的総合へと至る道だけが開かれている。インセスト禁忌は純粋に、文化に根ざすものでも自然に根ざすものでもなく、文化の一部と自然の一部を混ぜたものでもない。インセスト禁忌は、それによって、とりわけそれにおいて、自然から文化への移行が達成される根本的手続きなのである。それは、自然が文化の一般的条件をなすという意味において自然に属するが、(規則であるという意味においては)文化でもある。インセスト問題は、人間の生物としての生と社会的なものとしての生、のどちらか一方にだけ属するものではなく、その二つの生の間の関係に係わるもので、この変則性を(関係or結びつきを)解明することが本書の課題である。
この結びつきは、静的でも恣意的でもなく、結びついた途端に全体が完全に変更されてしまうのである。ゆえにそれは結びつけるというより変換する、移動させるものである。インセスト禁忌とは自然が自己を乗り越えるプロセスであり、それが引き起こす火花によって新しい複雑な心的構造が、単純な動物生活の諸構造を統合しつつ形成される。インセスト禁忌は新しい秩序を到来させる、その到来自体である。

第1部 限定交換
第1編 交換の基礎
3章 規則の世界(抜粋)
[この章は、著者の考えが端的に表現されていると思われる箇所の抜粋にとどめた。また、別紙図のツリーマップ(Free Mind利用)も参照してください。]
既に自然は「与える-受け取る」の二重のリズム、婚姻と親子関係の対立として現れるリズムに自ずと従って働いている。自然にも文化にもこのリズムはあって、いわば共通の形式を両者に付与するが、自然と文化とではリズムの現れ方が違う。自然の領域の特徴は受け取ったものしか与えないことにある。このことの永続性・連続性の表現が遺伝現象である。文化の領域では逆に、個体は常に与える以上のものを受け取ると同時に、受け取る以上のものを与える。この二重の不均衡は、互いに逆方向であるプロセス、教育されることと創造していくことの中にそれぞれ表現され、どちらのプロセスも遺伝プロセスに対立する。(中略)要するに自然から文化への移行問題は、いかにして累積プロセスが反復プロセスの中に繰り込まれるかという問題に帰着する(P100-101)。
自然は配偶を命じはするが決定せず、文化は配偶を受け取るが早いか、まさにその方式を定めるのである。規則であるとの性格と共に普遍性をも帯びるインセスト禁忌のきわだった矛盾は、かくして解消する。普遍性はただ次のことを意味しているにすぎない。すなわち、噴出した泉がまず最初に噴出口のまわりの陥没を水で満たすように、いつでもどこでも、文化がからっぽの形式を内容で満たしてきたのである。言うところの内容とは、文化の恒常的・一般的実質をなす<規則>であるとの確認だけでとりあえず満足し、なぜこの規則が特定の親等を禁忌に付すという一般的性格を示すのか、なぜこの一般性格が奇妙なほど多様な現れ方をするのかは、まだ問わずにおこう(p103)。

第4章 内婚と外婚
集団は、集団的公正さから見て本質的価値と映るものについて監督権を主張するが、配偶者の選定はこれに値する。集団は、自然が家族に配分する男女数の不平等を承認せず、すべての女に対する性的接近の自由をすべての個体に認め、この自由の基盤を次のような唯一可能な原則に求める。
即ち、兄弟、父親の続柄は女を配偶者として要求する資格を持たず(近親ほど生活の密着度が強いから支配力も強いにもかかわらず)、女をめぐる獲得競争においてすべての男の平等を侵害しない要件のみが配偶者獲得権請求資格を有効にすること、つまり、女たちに対する男たちの個々の関係が、家族ではなく集団を規準に定義されること、と言う原則である。
この原則は、個体にとっても有利であり、(集団にとっても)結婚対象として処分可能な女の数は増大し、かつ平等となる(から有利である)。結果が重要なのであり、このような推論が(未開の人たちによって)なされる必要はなく、ただ、集団生活から直接もたらされる心理的、社会的緊張が自然発生的に解消されること(がわれわれに理解されるよう)になればよい。
この社会的緊張の自然発生的解消は、特権を享受したいと思わなくなることに由来する。結晶化前の社会生活形態、例えば状況的偶然性(天災、戦禍)から形成される自然発生的共同体(避難所、収容所、偶然的な子供の集合等)では、特権は、ねたみ、暴力による特権剥奪に対する恐怖、集団全体を敵に回すことへの不安、をもたらす。従って、そのような社会においては、人々は特権を享受したいと思わなくなる。このモデルは動物の生活でも観察されている。
まだ問題の立て方は粗雑だが、野生民族の歴史においては、タイラーの言い方「嫁に出し尽くすか殺され尽くすか」の単純にして容赦のない選択を絶えず突きつけられてきたことは間違いがない。
(この原則に対する)集団の示威が全成員に対して有効となる表現がインセスト禁忌である。(女の獲得に関わる集団の介入は)競争相手としての個的三角関係[12]の姿における介入に始まり、婚姻禁止を示威する集団の介入へと繋がっていく。婚姻可能な関係は、集団を規準にして定義されたものでなければならず、自然的関係であってはならず、集団生活と相容れない(既に示威されている)帰結を一つも伴ってはならない。
要するにインセスト禁忌は、このような介入を有効にする条件であり、男女関係に関して好き勝手なふるまいは許されないとの集団の側からする(消極的=否定的)主張に他ならない。しかし一方において、禁止には積極的側面があり、それは組織化の端緒を開くことになるのである。
禁止(インセスト禁忌)が積極的側面を持つということについて、次のような反論がある。それは、オーストラリアやメラネシアのいくつかの地域にある、老人に有利なように設けられた女を独占する権利や、もっと広く言えば複婚は、(女の平等分配原則にもと基づく)インセスト禁忌にそぐわないから、(そのような習俗があるところで)インセスト禁忌が組織化の機能を果たすとは思えない、というものである[平等、或いは自由の原則が共同体内、或いは共同体間の組織化を促す、という前提が隠れている]。だが、それには集団の存続という観点から答えることが出来る。つまり、個々の婚姻機会は減少しても、集団の安全(婚姻機会平等保証)は増加するからである。トロブリアンド諸島では、首長は共通の兄弟と認識されている(ほどである)。
インセスト禁忌の規則的側面は、禁忌全般に妥当する唯一の側面であるが、いまや我々は規則のもっとも一般的な性格に研究の重点を移し、もとは消極的内容だけしか持たなかった規則がいかにしてそれとは次元の違う一連の約定に変わっていくかを、明らかにしなくてはならない。
禁止という優位性の明示は規定でもあり、それは積極的規則や組織化へ繋がる(ことになる)。そして、婚姻を禁止する親族範囲の規定や、婚姻が必ずその内部でなされるべき親族範囲の指定規則が現れる(外婚の概念は婚姻禁止の外側の親族同士においての婚姻許可範囲も示している)。
内婚には、客観的に定義された集団内での結婚を義務とする場合と、主体に対して特定の親族関係を示す個体を配偶者に選ぶ義務がある場合(選好結合)があるが、類別的親族体系の場合には、内婚と選好結合は区別しがたい[13]
(内婚にはもう一つの本質的な概念が含まれている。それは)真の内婚と呼んでいいもので、この視点から見ると、いかなる社会も外婚的かつ内婚的である。この内婚の概念は、婚姻の可能性を共同体の境界外に求めることの拒否、或いは、文化の境界外で実施される婚姻の排除表明である。オーストラリアの原住民はクランに関しては外婚的だが、部族に対しては内婚的だし、現代アメリカ社会では、第一親等には厳格な、しかし第二親等ないし第三親等以降については柔軟な家族外婚が、州ごとに異なる人種内婚に組み合わされている(この人種内婚は、ここで呼んでいる真の内婚に該当する)。
共同体は(文化の境界区分の根拠となる)世界観次第で自他を多様に定義する[14]。しかし大事なことはただ一つ、共同体観念の論理的内包の広がりを知ることである。ドブ島では、先祖伝来の食料であるヤムイモの種芋は、自分たちの集団を維持するものだから人と同等で、白人は人間存在ではない。モルモン教徒の厳格な内婚規定を基礎づけているのは、人間存在の定義に絶対不可欠な真の信仰なので、信仰に恵まれぬ相手より、父親と結婚する方がましとされる。西欧社会でも、イトコ婚割合は偶然性以上である。(内婚の概念を拡張していくと、血縁とは離れて)地位、財産を重視する集団は、それらの地位や財産が内婚の境界となり得るのである。
真の内婚と区別される内婚は、外婚の一機能に他ならず、「機能的内婚」と呼べるもので、「~してはならぬ」を相殺して「~してもいい」から「~すべし」へと変化する。交叉イトコ婚は平行イトコ婚禁止の結果としての最初の選択肢ではあるが、交叉イトコ婚が認可(~してよい)から義務(~すべし)へとも解されるのは、後に述べるように互酬体系をもたらすからである。交叉イトコ婚とは、本質的に一つの交換体系である。(イトコ関係よりも)親族関係が遠くなるほど事態は複雑で、脆弱となり、完結も不確実な交換周期が必要となる。外婚は一つの社会的進歩、冒険である。
配偶選好は当該体系固有の交換の仕組みによるのであって、特定集団の特権性によるのではない。位階化の良く進んだ社会の婚姻規則の研究では、内婚の二形式(真の内婚と機能的内婚)を区別するのはことのほか容易である。真の内婚は、社会階級が上位ほど際立つ(古代ペルー、ハワイ諸島、アフリカの一部民族)、機能的内婚は、位階が上がるほど目立たなくなる。封建社会では縁組関係の維持拡大が求められるから、最上位の階級は外婚を義務づけられることがある。
内婚・外婚概念は、基礎的諸関係からなる体系に対する、緊密に関係し合う各々の視点と考えるべきである。アビナイェインディアンの外婚集団kiyの事例において、内婚概念と外婚概念との相関性が明確に浮かび上がる。 kiyは四つあって、集団Aの男が集団Bの女をめとり、集団Bの男が集団Cの女を、集団Cの男が集団Dの女を、集団Dの男が集団Aの女をめとる。出自規則もなんらかのイトコ婚の禁止規定もなければ、われわれが後に単純な全面交換体系として性格づける体系と言っていい[15]。実際には男の子は父の身分に、女の子は母の身分に準じるので、ABBCCDDAが内婚集団を作り、各kiyの男性親族集合と女性親族集合の間には親族関係がない。(例外であるとは考えていない)この事例だけでも、内婚カテゴリーと外婚カテゴリーが客観的に存在する独立した実体としてあるのではないことが明らかになる。
しかも、内婚と外婚の相互反転性がある[16]。インドネシア域で、イフガオ語の「姻族」は、同地域での「他集団」を原意とし、「敵」「婚姻による親族」を派生語とする語根に相当する。イフガオ語の「主体と同世代に属す親族」を意味する語は、マレー諸語では「原住民」「兄弟姉妹」「姉妹」「妻」の意味を持っている。古語における両義性からも(日本語の「imo」は「妻」と「姉妹」の両義を持つ)呼び名の研究からも(日本、エジプト、サモア諸島、バタク民族等インドネシア地域)そのことが伺える。
真の内婚は、自力で自分を乗り越える力を持たない硬直的制限原理であって、機能的内婚とは異なるものである。外婚は一つの互酬規則であり、インセスト禁忌が拡張された社会的表現である。(別の見方をすれば)インセスト禁忌は交換を保証し基礎づけるためにある。この保証と基礎づけはいかに、またなぜおこなわれるのか、いまやそれが明らかにされなくてはならない。[外婚が互酬規則でインセスト禁忌が交換の保証と基礎づけである、ということは、これまでの説明ではまだ説得力を持たない]

第5章 互酬原理
モースは「贈与論[17]」において、次のことの解明を目指した。第一点は、未開社会での交換は商取引よりむしろ互酬贈与の形で現れること、第二点は、その互酬贈与は西欧社会におけるより遙かに重要な位置を占めること、第三点は、この原初的交換方式は単なる経済的性格を持つだけではなく「全体的社会事象[18]」という意義を持つと言うこと、である(そしてそれらは、多くの未開社会において現に我々が直面するもの[19]である)。
(互酬贈与において)贈与されるものの価値に対して、返礼される贈り物の価値の方が上回り、また、返礼した側には返礼の贈り物より価値のある贈り物をもらう権利を生じさせる、という制度(儀式)がしばしば見受けられる。その典型はアラスカやヴァンクーヴァー地域のインディアンたちが行うポトラッチである。ポトラッチが繰り返されていく過程で贈答品の総価値が増大して、何万枚の毛布となることもある。(ポトラッチという)儀式は三つの機能を持っている。第一は利息付きの返還、第二に、肩書きや職務特権に対する家族集団ないし社会集団の権利請求の公認や身分変更の公示、第三に、気前の良さにおいて競争相手を凌ぎ打ちのめして特権、肩書、地位、権威、威信をもぎ取ること[20]、である。(モースやバーネット達の研究をも併せて考察して)地域的ばらつきはあるにせよ、ポトラッチに類似した諸制度の多様な側面は一つの全体をなしていて、南アメリカ、北アメリカ、アジア、アフリカにも体系化された形で見いだせる。ポトラッチは一つの普遍的文化モデルである。
未開の思考に含まれているポトラッチ的態度には二つの前提(本質的なことがら)が、暗黙裡に、或いは明示的に込められている[21]。一つは、贈り物を互酬することがその譲渡様式を作り上げていくこと、もう一つは、互酬贈与の本質的目的は経済的利益を得ることではなく、別次元の現実性を持ったもの、すなわち威力、権力、共感、身分、情動などの媒体である、と言うことである。未開の思考にとって、交換の繰り返しは(そのポーズを含めて)結束と競争の土俵上における安全獲得、危険回避をめざす巧みなゲームなのである。(そのような社会においては、富を獲得することよりも経済的損失を被る犠牲を伴ってでも贈与すること)富の所有よりも分配が威信をもたらし、時には莫大な価値がためらいもなく破壊することもある[22]
互酬贈与を通して入手される実利品には神秘的付加価値が伴うという観念は、ただ未開社会にだけ広く行き渡っているのだとは思えない。我々の社会においても、ある種の財は互酬贈与の形で獲得されるのが好ましいと見なされているかのようであり、贈り物交換の伝統様式や定期的反復のスタイルもやはり祭りや儀式によって決められている[23]。富の破壊(犠牲)が威信獲得手段であることを思い起こさせる例[24]もあるし、威信獲得のみを目指す富の移転の鮮烈なイメージを提供するのは賭け事である。(ゴールドラッシュ等々の場面での)賭け事を巡る信じられない数々の逸話は、古代における貨幣という富の意味[25]を思い出させる。「過剰」の使用を儀礼化することと「稀少品」の使用を規制することという両極の間に、言うなれば無差別な自由使用な帯域が広がるのだが、要するに切迫した必要があるときか逆に無いときに、分有や分配の洗練化が現れる[26]
(物資が豊富な場合の事例で)一つの一般モデルに直面する[27]。饗宴、ティータイム、夜会などの形で現代にも脈々と生きている、食料の給付という特徴的領域では、「与える」と「受け取る」は(言葉の上からも)同じ意味合いを持つが、これはアラスカやオセアニア(の未開社会)でも同じである。食事とそれに伴う儀礼とを、未開民族の諸制度に関連づけてくれるものは、(食べ物の給付と受領という意味での)互酬的性格ばかりではなく、他者との社会的関係を築く手段にもある。社会的側面が強くなるほど食べ物の類型[28]や供与の仕方[29]も一段と様式化される。伝統的に決まったいくつかの食べ物[30]は出てくるだけで意味深い記憶を呼び戻して、分け合って食べることを命じるのである。実際(未開社会の実例[31]において)、集団が「独りで飲み食いする」者を厳しく裁く。この独特な感情は、前章までで触れてきた同じ型の情動[32]を遠いこだまのように呼び覚ます。
交換の儀礼性は、南フランスの典型的な大衆レストランにおけるワイン交換でも観察することが出来る。このワインは個人的な食べ物ではなくて社会的財であり、その交換は交換された物品以上のものが含まれている。安レストランのテーブルを挟み、見知らぬもの同士が一メートルにも満たない距離を介して向かい合わせに座っている場面で生じるワイン交換[33]は、一見たわいもないドラマに見えるかもしれないが、われわれにとっては、汲めども尽きせぬ考察の糧を社会学的思考に提供してくれるように見える。交換なる全体的現象はまず何よりも全体的な交換であり、食べ物、製作された品物、そしてあの最も貴重な財のカテゴリー、女を含む。ワイン交換のワインを自分で飲むのをためらうことと、インセスト禁忌はタイプとしては同じ現象であり、どちらも同一の文化的複合体、より正確には文化という基礎的複合体の要素をなす、とわれわれは考えるのである。しかも互酬贈与とインセスト禁忌が根本において同一であることは、ポリネシアでははっきりと目に見える[34]
ここで、予想される二つの反論を一掃しておこう。一つは、特殊な意義しか持たない一現象類型[35]から一般性と重要性を持つ(社会)制度[36]を導いている、いう反論である。もう一つは、互酬贈与の本質的性格であり積極的側面であるところの互酬性がインセスト禁忌には完全に欠けている[37]ので、(互酬贈与と婚姻を結びつける)有効な解釈があり得るとすれば、インセスト禁忌ではなく外婚体系である、という反論である。
第二の反論には前章で暗に言及しておいた。インセスト禁忌と外婚とは、二次的性格において、即ち前者では組織性を欠くが後者では組織化されていることにおいて異なっているが、実質的に同一の規則[38]をなしていていると。我々は、インセスト禁忌から外婚への転換という問題をやがて解決しなければならなくなるが、この解決に際しては、外婚もインセスト禁忌も、交叉イトコ婚の提供する最も単純なモデルに即して解釈されねばならいことを明らかにするが、インセスト禁忌が外婚とも別次元の給付交換とも違わないことははっきりしている。
もう一つの反論は、「古代的」という語の二つの可能な解釈のうち、どちらを選択するのかという本質的問題に関わっている。習俗や信仰は、単なる歴史的残渣以外の意味を持たない遺物であると考えるか、あるいは、それらがそもそも出現した理由を説明する役割と本質的に違わない役割を果たし続けているが故に生き延びていると考えるかである。交換の場合も同様である。未開社会における交換の役割は本質的であり、交換範囲には物質的価値、社会的価値、女が含まれていた。次第に商品の側面については別の獲得法に道を譲っていったが女についてはその根本機能を失うことがなかった。その理由の一つは女が典型定期な財をなす[39]からだが、更に重要な理由は、女は(男にとって)唯一充足を遅らせることの出来る本能(性本能)に対する自然的刺激剤だからである。つまり、性本能の場合に限り、交換行為を通しての互酬性が明瞭に意識化されるに伴って、自然的刺激剤が社会的価値の記号へと転換していく可能性、更にこの根本的歩みが自然から文化への移行を決定づけつつ制度へと結実していく可能性、をもたらすからである。
集団から集団、民族から民族への互酬給付品に女を含めることはごく一般的な習俗である。また、どこでも婚姻は、交換周期を開いたり展開していくための絶好の機会と見なされる[40]。(それどころか)婚姻そのものが最も大きな動機をなす給付ともいえるほど[41]である。(給付と婚姻の密接な関係は)我々の社会での言葉使い[42]やゲルマン諸語、アラビア語、等々からも伺えることである。ここでは一般的な観点から、次のように指摘するだけで満足しておこう。新たな婚姻は、別の時点で社会構造のそれぞれ異なる地点において行われたすべての婚姻を、再活性化する、つまり、どの連結も他のすべての連結の上に成り立ち、成り立った瞬間、既存の連結すべてに活力を取り戻させるのである[43]
婚姻交換の発端をなす「代償」は花嫁の連れ出しに対する弁償を意味することを最後に指摘しておかなくてはならない。略奪婚は互酬規則に反せず、略奪は互酬規則を実行可能にする法的手段の一つである。花嫁に連れ出しは、娘を所持する集団が娘を譲与しなければならないとする義務を演劇的に表現し、娘達に対する処分権を目に見えるようにするのである[44]
女そのものが、互酬贈与の形式のもとでしか獲得できない贈り物のうちで最高のものなのである。(未開社会における)給付体系と婚姻の関係を示す例には、夫婦の絆やそれ以前の縁組が示す多要素融合的な性格を示す例[45]、婚姻取引が経済交換をもたらす例[46]、家畜の交換先と婚姻先が同じである規則を持つ例[47]、婚姻の後でも義父と娘婿の間でポトラッチ競争をする例[48]、娘婿は特に義父を称えねばならない例[49]、外婚によって妻になると「食べ物の素」と呼ばれるようになる例[50]、互酬給付の全体が婚姻へと道をつけていく例[51]、など沢山ある。給付体系は婚姻を組み込むだけでなく、それを維持させもする。要するに給付体系は婚姻に帰着する[52]
ブラジル西部に住むナンビクァラ・インディアンの小さなバンドの間で行われている「和解の検査」なる儀礼的所作は、敵対関係と互酬給付品の供給との間には連続性があり、交換とは平和的に解決された戦争であることを示している。ここでの取引は営利目的ではなくまさに互酬贈与である。更に関係が一段進むとそれぞれのバンドの男性成員の間に人為的親族関係(義理の兄弟)を設定することになり、そうなると彼らの婚姻体系から両集団に属する子供達を互いに潜在的配偶者に変えることになる。互酬贈与の途切れることの無きプロセス、敵対から同盟へ、不安から信頼へ、恐れから友情への移行を達成していくそのプロセスの終着、それが花嫁交換に他ならない[53]

6章 双分組織(抜粋)
[この章は、用語や概念の説明に関連している箇所の抜粋だけとした]
【双分組織】
双分組織と言う用語は、公然たる敵対関係から濃厚な親密性に至る複雑な関係を取り結ぶ二つの区分に、共同体(部族または村落)の成員が振り分けられている体系を言い表す場合に用いられ、普通そこには、さまざまな形の競争と協働とが寄り合わされて見出される。多くの場合、これら二つの半族は外婚を行う。半族への分割が婚姻を規制しないときには、この役割はしばしば別の団体形式(クラン、クラスなど)によって担われる(p161)
双分組織は数多くの共通な特徴を示す。出自はたいがい母系をたどり、神話では2人の文化的英雄が重要な役割を演じ、社会集団の二分はしばしば森羅万象の二分へつながり、時には双分組織に権力の二分法が伴う(世俗の長と宗教上の長など)(p161)
双分組織の最も重要な帰結は、個体の相互関係が何よりのまず同一半族への帰属・非帰属に従って決まることである(p165)
以上の事実、さらにそれらに連なりうる他の事実が一致しているように、双分組織は明確な特徴によって同定できる制度というより、多様な問題の解決に応用できる方法である(p180-181)
要するに双分組織の本質は制度であることにはない。(中略)双分組織はなによりまず一つの組織化原理、(中略)なのである。この原理はもっぱらスポーツ競技にしか適用されない場合もあれば、政治生活に拡大される場合も(この場合なら、二大政党制は二元対立の素地をなすか否かとの問いを、愚問としてではなく立てることが出来る)、(中略)ある。(中略)これら形態の共通基盤を理解するには、世界の中から特に選ばれた地域や文明史の任意の時期にではなく(歴史や地理の研究では汲み尽くし得ないp187)、むしろ人間精神のいくつかの基礎構造に問いかけなくてはならない。(p170)
(中略)この例に見られるように、純粋に経験的な平面を背景にして、対立および相関という概念がはっきり浮かび上がってくる。この基本的対立概念が双分原理を定義しているが、双分原理そのものは互酬原理の一様態にすぎないのである。(p182)
【半族、クラン、クラス】
出自がつねに単方的であることが半族とクランとの共通性である。(中略)クランと半族がどちらも外婚単位であるとの仮定に立ってみよう。するとすぐに(クランと半族の)区分が必要になる[54] (p166)
以下我々は、その内部に配偶者を求めることが出来ないとの純粋に消極的な形で外婚的性格を定義される単方団体にクランの用語をあてがい、逆に交換の方式を積極的に決定することを許す単方団体に(婚姻)クラスの用語を当てる。(p167)
クランとクラスの区別は大きな理論的重要性を持つ。(中略)半族を値がn=2の時のnクラン体系と同一視しようとすれば、解決不可能な幾多の困難に出会う。n>2であったかぎりでは、クランの概念にいかなる積極的規定も伴わなかったが、(中略)n=2となるやいなや事態は一変し、消極的規定は積極的規定に変わる[55](p168)
(中略)半族は実は「クラン」の系列にではなく、「クラス」の系列に入る。実際、双分組織はクランの数が2に落ち込むだけでは出現しない(p167-168)
以上の観察を報告した著者も正しく述べているように、カリフォルニアの半族は、結局、厳密に定義された概念に対応する結晶化した制度ではなく、むしろある原理の表現なのである。(中略)個体、家族、リネージ、部族などを、連繋するか対立するかの二極を起点にして互酬関係のなかにまとめ上げる原理なのである(p180)
クランが有力な組織化形式をなす社会であっても、標準的な社会体系が予想外の問題に対して既成の解決策をもたらしてくれないときは、クラスの素地が出現してくるのが見られる。(p181)

7章 「古代的」をめぐる錯覚(抜粋)
[この章は、著者のモチーフが良く伺える記述があったのでその抜粋にとどめる]
インセスト禁忌という普遍的制度とその制度の様態をなす婚姻規制体系とを組み込むことのできる、社会生活のこく一般的な枠組みのいくつかを、我々はここまで、なるほど暫定的・図式的にではあるが、輪郭づけようとしてきた。我々はまだ構図と素描の段階にいるにすぎず、何らかの論証をもたらすほどに機も熟していない。実際、論証は本書の全体をとおしてしか求めようがなく、論証の是非も、我々が事実をどれほどうまく整合的に解釈し得たかに応じてはじめて決定できる。(p187)
我々が持ち出し、それの普遍的であることの立証も可能であると考える心的構造は何から成り立つか。三つの心的構造があると思われる。一つ目は「規則としての規則」への要求。二つ目は、自他の対立を統合できる最も直接的な形式として考えられた互酬性の概念。三つ目は「贈与」のもつ総合する性格で、それは、二個体の合意の上で一方から他方になされる価値の移転が彼らをパートナーに変え、なおかつ移転された価値に新しい性質を付加することを言う。これら心的構造の起源の問題はのちに再考する。それらの構造だけですべての現象が説明されるか否かは、本書の全体を持ってしか答えられないからである。

8章 縁組と出自
[この節は、第1部第2篇(オーストラリア)において詳細が述べられるので、その部分について先行して述べられている箇所については、提起された問題のリストアップのみにとどめた]  
双分組織の半族外婚体系では、父の兄弟の子供達と母の姉妹の子供達は、主体と同じ半族のもとに置かれ、父の姉妹の子供達と母の兄弟の子供達は、もう一方の半族に属す。従って、後者は主体にとって結婚可能な最初の傍系親族である。そして、主体と同じ半族に属するイトコ達はみな兄弟・姉妹と呼ばれ、従ってその親たちはみな父・母と呼ばれ、もう一方の半族に属するイトコ達は夫・妻を意味する名称で指示され、従って彼らの父母はみんな、主体にとって義父・義母と呼ばれる。このような二分法的名称体系、親族区分方法は、多数の未開社会が共通に持つ交叉イトコ選好婚とも一致する。このことは、半族への社会組織化が親族名称に翻訳された[56]とも、双分組織こそ、縁組規則に由来する親族体系が制度面に翻訳された[57]とも考えられる。一般に社会学者達は前者の解釈を好むが、我々の考え[58]では、交叉イトコ婚と双分組織という二つの制度の関係は、単なる派生の形では適切に解釈されえない。
大部分の著者が我々の考えと違う見解を持つには二つの理由があると思われる。一つは、我々(一般)の持っている禁忌親等の観念からは、交叉イトコ婚体系が不合理に見える[59]ので、この制度の全体が次元の違う現象から間接的に帰結したと考えたからで、もう一つは、原住民の神話における半族の制定が意図的改革として描写されているという「めざましい事実」や、それを裏付けるように見えるいくつかの事例の存在である。そこから、双分組織はインセスト防止方法として考案されたと考えた。その際、交叉イトコ婚体系が不合理であると考えた部分は、野蛮の民族ならあり得る体系の欠陥なのだとして処理したのである。
この考え方、つまり交叉イトコ婚を双分組織に対して二次的と見る仮説は、19世紀後半から20世紀初頭において大きな役割を演じた人間諸科学が依って立つある前提を含んでいる。その前提とは、諸制度というものは、歴史的で不合理な起源か、あるいは合理的目的意識からしか出てこないというものである。それに従えば、交叉イトコ婚は合理的動機を欠くから一連の歴史的偶然から生じたことになる。数学的観念は、人間精神の卓越した本質をなすもの以外は、経験に基づく自動的観念連合によって(制度も)構築されるというのだ(これは二律背反であるが)[60]。だが、関係の内在性が実験によって発見されるに及んで、この対立は雲散霧消した[61]
人間の作った制度は構造であり、構造の規制原理は部分[62]よりも先に与えられることがあり、合理的に考案されなくても合理的価値を持つこともあり、それ自体の意義を失うことなく恣意的定式に表現されることもある。我々の考えでは、双分組織も交叉イトコ婚も、未開の思考による基礎的な諸構造の把握を起源としており、これらの基礎構造の中に文化の存立基盤そのものがある。交叉イトコ婚と双分組織は、それぞれの構造を巡る意識化の異なる段階に対応する、と言える。この二つの制度の形式ではなく、共通して伏在している現実に注意を向けることが大切である。
交叉イトコ婚も双分体系もほぼ全世界に広がっているが、その出現頻度は交叉イトコ婚制度の方が遙かに高い。だがこの解釈は、継起関係ではなく、交叉イトコ婚の方が組織化の度合いの低い構造を示すのである、という[63]構造から考察されるべきである。
かくして次のことが言える(著者等の主張)。双分組織と交叉イトコ婚との理論的関連は、どちらも互酬体系[64]であり、どちらも二分法的名称体系に行き着き、どちらの場合でも名称体系の大略は同じである。双分組織は、交叉イトコ婚を端緒にして開かれる体系、交叉イトコ婚を未だ未分化な表現とする体系の、高度に機能特化された定式なのである。交叉イトコ婚はある関係を定義するだけなので、個人が婚姻対象とする集団が規則により決められてはいない。双分組織は一律に当てはめる規則によって二つのクラスを限定するが、個体は広義に解釈されたクラスの相互関係の中に置かれていることになる。これら二つの制度は、いわば結晶化した形式と柔軟な形式として対立する。この区別に先行性の問題は関わってこない。
現代社会と未開社会で観察される親族団体の間には本性上の違いがあると社会学者達は考えてきた。単系出自を杓子定規に解釈すれば、ある系にとっては父母のいずれかの一方の系しか親族関係と認知しないので、家族としての自然な感情と矛盾するからである。だが、1905年のスワントンの研究以来一方のリネージが考慮されているという研究が30年ほど蓄積され、単系社会が例外で両系主義が一般的な定式であると言われるようになった。
我々には真実はもっと複雑であるように見える[65][それを簡単にまとめると次のようになる]。両系主義に基づいている共系体系の規準は土地権体系であって出自規則ではないから、基本的親族構造とは別類型の体系であり、ここでは考察に及ばない。
主体の半族に対置された半族には、交叉イトコ以外の個体、例えば男にとって交叉オバ、交叉姪などの身分を有するものもいるのに、交叉「従姉妹」が配偶者として好まれる理由についての詳細な論証は第11章で述べるが、ここではいくつかの実例[66]と、論証の根拠となる仮定を述べる。その仮定は、父・母リネージの一方が双分組織へ二分された後に、次の世代では同様の二分法が逆のリネージに加えられると言うものである。そうすると、可能配偶者が父方、母方いずれとも異なっていなければならないのなら、それは交叉イトコだけとなる。
限られた事例から一般的結論は導けないし、実際にあるかどうかあやふやな二分法で交叉イトコ婚ほど一般的に存在する体系が説明できるとも思っていない。二分法と交叉イトコ婚、この二つの現象の間にどんな関連があるかが問われるべきである。これについては第一部の数章においてオーストラリアの実例で検討するが、ここでは問いと考え方だけ先取りしておく[以下その話が続くので、ここでは一部の紹介にとどめる]
問いのすべては、オーストラリアは親族規則および婚姻規則という普遍的規則の本性を明かすような事例を提供するのか、それとも我々の目の前には原住民固有の諸問題を整理するために原住民の意識がもたらすローカルな理論があるのか、である。ここに社会科学における説明という根本問題がある。
この点に関する我々の考え方をはっきりさせよう。二分法を規準にして解釈される一つの例は遺伝であり、この場合には分析手続きと分析対象には厳密な対応があって、客観的に実在する [と考えて良い] [67]。代数的方法はデカルトの方法に倣って「よりよい解決に必要なだけの部分に」分割して[68]、得られた結果が事実と合致する程度で方法の価値を判定する[69]。だが、実際、社会学者や原住民は遺伝学者や数学者のようにふるまったのか、あれら基本性格は社会構造の客観的属性なのか、それとも社会構造の属性のいくつかを検証する便利な手続きなのか。
(分析対象となっている)基本単位が外延的に示される例はあるが、外延的に示されることは演繹されることであるから、論理学的に公準として前提することは出来ない。
もっとやっかいな状況がある。方法の作為性を我々は問題にしているのだが、原住民自身が作為性に染まってきた。
のちに分析してみる互隔世代現象(例えば祖父母と孫が名前を共有する現象)は、父系と母系の二回にわたって加えられる両次二分法に実に完璧に一致するが、別の条件においても互隔世代現象は現れるから、この両次二分法が互隔世代現象の原因とは言えない。
交叉イトコ婚は集団に両次二分法を加えたものであることの結果である、とする主張はちょっと検討してみると、諸事実は分析に耐えないことが分かる[70]
互隔世代の弁証法はのちに分析してみるから、ここでは次の点だけを指摘しておく。父系と母系の外婚集団が不特定多数ある場合、二重外婚の規則だけでは、婚姻を双方交叉イトコ同士の結合という理想モデルに適合させるには不十分である。
交叉イトコが父方と母方に区分される現象の理論的根拠はのちに明らかになるだろう(27章インド-互酬周期)。しかし、二つの観察記録は例外として見過ごすわけにはいかない。両次二分法が自動的に生み出されるような団体形式の存在が明確に検証されない場合、二重出自による交叉イトコ婚の説明は例外なく怠惰な説明である。
オーストラリア南部の原住民の習俗であるkoparaの機能は、集団間の交換のバランスシートを均衡に保つことなのだが、特に興味を引くのは、殺人やイニシエーションへの恩義(精神的負債と言う意味を持つ)が通常、女の贈与で精算されることである[71]。ガダルカナル島では、「おまえの姉妹の糞を食らえ」という言葉は最悪の罵詈雑言で、この侮辱は相手を殺すに値するものだが、侮辱した相手が反対半族の場合には、殺す対象は自分の姉妹となる(侮辱した当人が精算するには自分の姉妹が殺す対象)[72]。原住民のこの証言はおそらく神話に根ざすが、ムルンギン[73]の観察記録にも符合する[74]
この事例には共通するある本質的なものが含まれている。それは婚姻交換が多様な交換形式[75]の一例にしかすぎないこと、交換の間に広く互換性[76]があること、などもあるが、婚姻禁忌の問題の核心がこれらの事例は示している。それは、禁忌は禁忌対象よりも論理的[77]に先に定義される、ということである。
別のある事例においては、半族同士の敵対関係は、半族の内在的性格には全く根ざさず、ただ半族の数が2であることのみに根ざしている。だがこの原住民達は他のクランを根絶やしにしようなどとは毛頭思っていない。もしそんなことをしたら妻や子供を獲得できなくなると思っている。食糧祭礼では同じ贈答品が交換されることがあり、先ほどの例のkoparaでも交換された女が交換品として戻ってくることがある。このことは、贈答品には、なにか生得的性格にではなく、構造内の任意の位置に由来する、「他性のしるし」さえあればいいことを示している。行為が行為の媒体を決定するのである。
互酬現象の帯びる性格は、項をなす人間存在よりも、諸項の関係のほうが優位であるような形式的なものに見えるが、そうではない。男女の関係も父系集団と母系集団も対照的・等価的なものではない。根本的事実を見落としてはいけない。すなわち、男が女を交換するのであって、その逆ではない。習俗を理解するには目に見える内容や経験的な現れの考察にとどまってはならず、取り出すべきは、習俗がその表面を照らすにすぎない関係の体系である[78]
婚姻の本質をなす全体的交換関係は、二つの男性集団の間に成立する。女はこの交換関係の中に交換パートナーの一方としてではなく、交換される物品の一つとして登場するのである。女は交換活動を加速したり可能にしたりするが、交換活動の本性を変質させることはあり得ない。この観点は終始厳しく堅持されねばならず、婚姻が人と人との契約という外観をとる我々の社会についてさえ、例外ではない。
母権体制と父権体制の間に、厳格な並行関係を立ててしまうと事実を見誤る。ローウイが「母系コンプレックス[79]」と呼んだものは、一見前代未聞の状況を作りだすかに見える[80]。母系出自とは、妻の父や妻の兄弟が義理の兄弟の村にまで広げていく支配力のことなのである。
マードックは、父系的制度は文化的水準の高まりに応じて優勢になっていくとした[81]。政治組織化の段階に達した社会は、父権を社会全般に広げようとする方向へ傾く。だが、母系的制度に対する父系的制度の絶対的な優位は変わらず、男性優先は(人間社会においては)ともかく一つの恒常的性格を示す。
父系体制に匹敵する数の母系体制が存在するが、母方居住を同時にとる母系体制の数は極端に少ない。これは、男女の非対称性を物語る。また、母方居住を同時にとる母系体制を維持するにはどのような工夫が必要なのかを事例で考察すると納得する[82]。厳密に母方である体系は厳密に父方である体系よりまれで、しかもそれは後者の単純な裏返しではない。「根本的相違」は偏りを持った相違[83]なのである。
今までの考察をもとに、思い切った示唆を前面に押し出してみよう。それは、双分組織は母系であることが多い[84]理由についてである。母系社会というものは、父方母方どちらに居住しようと、出自規則と居住規則が対立することに由来する軋轢[85]を生む。その軋轢の解決は社会単位を地理的に近づけることであり、それを可能にする原理を双分組織は持っている[86]と言うことである。
そして「男子集会所」は儀礼や政治での協力をとおして夫と義理の兄弟とを団結させ、「持ち主」と「よそ者」の間の軋轢を解消し、「女達の君臨」という記憶を神話の中に追いやる。その記憶とは、みずからの果たす妻の取り手という役割と姉妹の与え手という役割とのあいだにいつでも立ち現れては、男達の交換の実行者であると同時に犠牲者にもしかねなかった二律背反を、彼ら男達が解決できずにいた時代の記憶のことだと言っていいだろう[87]

9章 イトコ婚
互酬原理は、相補的だが異なる二つの働き方をする。可能配偶者集団をつくりだす働きと個別的関係を決める働きである。それらは同時に与えられ、前者は婚姻クラスと言う手段をもたらし、後者はインセスト禁忌との組み合わせで否定的関係の形で利用される。
交叉イトコ婚は、この互酬原理の二側面が併存する事例である。交叉イトコ婚は選好結合であり、肯定的関係を配偶者決定に利用する点でインセスト禁忌から区分され、同時に双分組織からも、単系出自に基づいて個体の婚姻相手を自動的に選り分けるのではないという点において区分される。レヴィート婚[88]やソロレート婚[89]、オジ=メイ婚など他の体系は選好結合とは別の結合様式を前提としている特権結合である。
類別的体系の社会では、いずれの個体も、自分を他のすべての個体と結びつける多数の親族的絆の中から、一つ(の呼び方)を選択しなければならない。例えば、ある男にとって、父の姉妹を、母の兄弟の妻、祖母、義母、妻、の五つの呼び方が可能な場合、どれかを選ぶ根拠は何だろうか。交叉イトコ婚を実施している南アメリカの諸民族では、大部分の親族体系において祖父母と義父母との同一視が確立されていて、この習わしはオジ=メイ婚によって容易に説明がつくが、ここでは義父母は姉妹および義理の兄弟とは同一視されない。ナンビクァラは祖父、母の兄弟、夫の父をさすのに一つの語しかもたず、祖母、父の姉妹、夫の母をさすのにも一つの語しか持たない。これらの事実から引き出せることは、女の視点からの呼び名を採用することによって、オジ=メイ婚が交叉イトコ婚体系に引き起こす混乱を防いでいるということである[90][従って、オジ=メイ婚などがあっても、かえってイトコ婚の普遍的構造が証明されていると著者は言いたい]
交叉イトコ婚がもろもろの婚姻制度の交点に位置するとか、インセスト禁忌と双分組織を連繋する「ターンテーブル」の役を果たすということも重要なのだが[91]、とりわけ興味深い点は、同じイトコの間で、なぜ規定配偶者と禁忌配偶者の区分を立て、しかも、生物学的近親度が厳密に互換可能な、並行イトコと交叉イトコという仕方で立てるのか、ということにある。
インセスト禁忌は生物学的根拠に基づかないと繰り返すだけでは十分ではない。生物学的根拠に基づかないならば、ではいかなる根拠か、これが真の問いである。だが、この答えを与えることがきわめて難しい。なぜなら、許容される親等に比べて抑止される親等は一般に生物学的近親性が密であるから[92]
生物学的親等と社会的親等[93]のどちらがインセスト禁忌制度の基礎をなすかという問いには疑わしさ[94]がつきまとう。この疑いは、交叉イトコ婚の謎を解明することで解けるだろう。(だから)交叉イトコ婚を研究方法として用いることは我々にはきわめて適切に見えるのだが、一般にそうではないのは、丁度イスラム教が豚肉を禁止している理由を、かって衛生学を欠いていた古代文明では豚肉が腐りかねなかったからであると説明する人がいるのと同じである。
交叉イトコ婚、双分組織、外婚規則は同一視されるものではなく、歴史的に解釈されるようなものでもなく[95]、交叉イトコ婚を分析[96]してそこに外婚習俗と双分組織の残渣を見るような関係にあるものでもなく、それらの三つの制度は、同一の基礎構造が再現されたそれぞれ異なる実例として扱うべきものである。なかでも交叉イトコ婚は婚姻禁忌の研究にとってまさに決定的実験[97]である。
(親族間の)多彩な婚姻関係や、その規則や選好や特権、或いはそれらと密接に関連している親族同士の呼び方がある。更に、婚姻に関わる選好や特権が欠けていたりお互いに相容れない場合でも、交叉オバ・交叉オジと交叉甥・交叉姪との間に、特別な性格を帯びたあらゆる種類の関係、尊敬や親しみ、威厳や馴れ馴れしさによって特徴付けられる関係がある。こうした特徴はそれぞれの歴史や地域で異なるだろうが、どの特徴も他のすべての特徴から切り離されて実体をなすものではない。逆にどの特徴も、基本テーマを巡る一つの異本[98]、共通の背景から浮かび上がる一つの特別な様態、として現れるが、そこには全体として捉えられた親族構造という共通基盤がある。この全体構造はインセスト禁忌ほどの普遍性は持たないにせよ、それに次ぐものであると言える。
いろいろな原住民達の調査研究によって、親族の関係が体系と呼ぶのにふさわしいほど認識されていることが判明しており[99]、また、そのことについての研究者達の考察や態度には構造論的分析の考え方[100]も含まれている。要するに、複雑な構造を捉え、さまざまな関係をつかむ能力が、未開の思考に備わっていないわけではないのである。
未開の思考の持つこの能力に基づいて、親族問題にたいする第三の構造的方向性[101]にも注意が払われなければならない。この方向性は外婚だけではなく、クランや双分組織を持たない多くの体系の中にも働くもので、同一親等の傍系親族間に、同性の親族を介して成り立つか異性の親族を介して成り立つかに従って、区分が立てられるという方向性である。
こうして我々はこれまでの章で検討してきた現象の、最も一般的な定式に到達する。名称体系の単なる変動から権利・義務体系全体の変換にまで及びうる影響力は、大部分の社会で、直系から傍系へ移ったときの性別の異同と結びついている(という定式である)。直系と傍系に関わる二つの関係の対立が制度以前に把握されており、この対立が二つの系を媒介する親族達の性別の違いとして捉えられているのである。更にこの対立関係の存在理由は、交換婚の基本定式である交換にあるのだ[102]
交換イトコ婚の本性を決定してみよう。それは端的に第6図(本文261P)で説明することが出来る。この図において、女を獲得した結果として生じた夫婦には(+)、女を失う結果として生じた夫婦には(-)印がついている。更に、世代間において債務の弁済と債権の獲得権利が引き継がれるという関係が表現されている。そうすると、(+-)の関係にある夫婦は対等な交換関係にあり、(++)(--)関係は一方的な関係であることになる。そうすると、対等な交換関係にある前者は交叉イトコ、一方的な関係にある後者は平行イトコの関係になっていることが分かる。この関係が成り立つ唯一の前提は、女が価値であると見なされていることと、個体の意識によって次の型の相互関係(互酬関係が成立するための)が把握されていることである。すなわちABに対する関係はBAに対する関係に等しい[103]。更に、ADに対する関係がBCに対する関係に等しいなら、CDに関する関係はBAに対する関係に等しくなければならない[104]。前者は姉妹交換、後者は交叉イトコ婚の定式である。いまや我々は、この型の構造が未開の思考によって実際に把握されていることを知っている。


10章 婚姻交換
交換婚と交叉イトコ婚の構造的相似性に注目して、二つの制度間に存在する現実的な関連を立証した功績は、フレイザーに認めなくてはならない[105]。彼は、交叉従姉妹の一方(通常は母の兄弟の娘)のみとの選好婚をする親族体系において、父の姉妹の娘との婚姻の存在という(ルール違反の)問題が、自分の姉妹を交換しあった男から交叉イトコが生まれることによって自動的に解消されると指摘した。
インドやビルマにおいて、交叉イトコ婚と交換婚の繋がりが鮮明に把握されたいくつかの事例があるが、とりわけオーストラリアにおいては、交換婚と交叉イトコ婚のきわだった一致を確認できる。オーストラリアの交換婚については、自分の娘を息子の嫁として交換し合う例、未婚の男達が姉妹や親戚の女を直に交換し合う例など広く共通する慣習であった。なかには、交換に出されないことは女の不名誉とされ、交換とは別の手続きで獲得された妻は、われわれの世界での売春婦とさして変わらない格付けを受ける部族もある。
私見によれば、フレイザーは踏み込むべき方向には明確に気付き、慧眼を持って事実を収集したが、切り開いた道を果てまで踏破できなかった。交叉イトコ婚と交換婚の関係づけは婚姻の普遍的構造、永続的かつ基礎的な構造の発見へと繋がってしかるべきであった。しかしフレイザーは、交叉イトコ婚に婚姻の一歴史形態、交換に別の一歴史形態を見て、これら二つの歴史形態の間に、またそれらと双分組織、類別的体系などの他の形態との間に、時間的継起関係と因果関係を付けることに没頭した。我々にとっては文化史から脱出する手段となるものを彼は文化史の内部で解釈することを試み、我々が社会の条件と見ているものさえ社会進化の諸時期に分解しようと努めたのだった。
フレイザーは、自分の理論の開く可能性を直観していた。常に偶数で与えられるオーストラリアの婚姻クラスについて、実に彼はこう書いている「これが示唆するのは(中略)相互婚を実行するまず二つの、次いで四つの、最終的に八つの外婚集団ないし外婚クラスへと共同体に意図的に繰り返し加えられる、二分操作の結果であると言うことだ。(中略)この法則の働きによって、結晶のごとく人間共同体は、堅固(けんご)な数学的規則に従って(中略)厳密な対称性をなす要素へ解離していく傾向を持つのかもしれない」。
確かに社会を結晶に譬える(たとえる)ことなど考えも及ばないが、しかし生物学的関係を対立関係[106]として思考する人間の側の能力が、自然状態から文化状態への移行を規定するとすれば、つまり、対立の組から生じる直接の結果が交換で、その交換の反映がイトコの二分法であるのなら、次のことは受け入れなくてはならないだろう。明確なかたちで現れるにせよ、不明瞭なかたちで現れるにせよ、双数性、交互性、対立、対称性は説明されるべき現象であるより、心的・社会的現実の基礎的で直接的な所与であり、いかなる説明を試みるにせよ、それらのうちにこそ説明の出発点を認めるべきなのである。
数多の事例からフレイザーは「交叉イトコ婚は、相互婚を目的とした姉妹交換から単純かつ直接に、全く自然な連鎖に従って出てくる」と結論づけたが、この基本的説明原理を捨ててしまう。交叉イトコ婚と並行イトコ婚を無関係なものと見なして後者の禁止理由を解明していく過程において矛盾の網の目に閉じ込められてしまったからである。
フレイザーと我々には、交換の捉え方において、次のような基本的相違に由来する二つの根本的な違いがある。我々にとって、交換は包括的互酬構造の示す一面にすぎず、この構造自体は社会的人間の側から(まだこれから明確化しなければならない条件の下で)すぐさま直観的に把握される対象である。フレイザーにとって交換は、進化系列をなして連なる諸制度の中に繰り込まれる一制度なのである。交換の捉え方に対するフレイザーと我々の二つの根本的違いとは、交換の本質と起源に関する考え方である。
経済的財(女を含め)の存在がまず前提されるのではなく、対立についての意識がまず存在するのである。交換は購買の一様態であるどころか、逆に購買に交換の一様態を見なくてはならない。我々は、獲得をなした集団に返還を義務づけ、贈与をなした集団に請求を可能にさせる互酬構造がこの原初的対立からどのように作られるのかを明らかにし、次のことを確認した。
任意の集団において、並行関係にあるイトコ達は、同一の形式的位置、静的で均衡した位置にある家族から生まれるが、交叉イトコ達は、競合する形式的位置にある家族、親族関係からもたらされる動的で不均衡な相互関係の中に置かれる家族から生まれる。この不均衡を解消する力を持つのは縁組だけである。交換関係は交換物以前に、かつ交換物とは独立に与えられるゆえ、同一である財も、互酬構造内での固有な位置に置かれるなら異なるものとなる。
双分組織は、傍系親族を婚姻可能と禁止という二つのカテゴリーに分割する操作として解釈される。後者には並行イトコと兄弟姉妹が含まれる。双分組織に存在理由があるとすれば、兄弟姉妹と並行イトコとに共通する性質、これら二つの集団を同じように交叉イトコ集団に対立させる性質の中にしかあり得ず、しかもその性質は生物学的近親性ではあり得ない。
兄弟姉妹も並行イトコ同士も互酬構造の内部において、同じ方向付けを受け、同じ徴表を帯びると言うことの中に、我々は共通の性質を見出した。その性質とは次のようなものである。兄弟姉妹の間、並行イトコ間では、いわば力の中和が起こること、交叉イトコの間には互いに対立する相補的徴表を帯びていて、それゆえそのあいだには、同じ隠喩を使うなら、引力が働く、という性質である[107]
我々は歴史に基づく思弁も起源に関わる探究も制度の仮説的継起順序を再構成する企ても除外しておいた。論証における第一の位置を交叉イトコ婚に与えたが、古代においてあまねくそれが存在したとしても、他の婚姻形式に相対的に先行するとも前提していない。(現在の社会において当てはまらない様に見える事例があっても)ある種の論理構造が把握されることを婚姻習俗の根本的土台と考える理論にとって、この論理構造は、当の論理構造が具現化されなかった体系においてさえ、可視的である。
我々が提出しようとしている考え方は、イトコの二分法だけでなく、互酬原理に基づいているが故に、オジとオバ、従兄弟と従姉妹、甥と姪のいずれもが平行と交叉とに区別されるわけを明らかにすることができる。そのことを図7(本文280P)に示す。この図は、<私>は自分の姪の母を姉妹として譲与したので彼女の娘に対する権利を持つが、しかし自分の娘の母を妻として獲得したので自分の娘を譲与しなくてはならない、とする実例を示している。記号の同一或いは反対の関係は、先行世代から主体の世代に移っても、主体の世代から甥の世代に移っても変わらず、ただ記号の反転が起こるにすぎない。<私>の代わりに<私>の母方オジを主体に立てても、記号が反転するだけで一般構造は同一のままにとどまるのである[108]

記号の意味は(図6)と同じ。






[1] 8章で著者自身が出自体系の定義をしているが、要約すると次のようになる。出自は単系、両系、双方(無差別または共系)に原則として区別される。原則としてというのは、互いを完全に遮断する仕切りはおそらくないから。著者によれば、両系と双方は両系主義または双系主義と言って単方主義に対立する。尚、「双方」という言葉は、双方イトコのように、母方と父方が同時という意味でも用いられ、この場合には親子関係に関連して使われる出自とは無関係(対抗概念として「単方」と言う言葉も使われる)。[訳者の注に依れば、出自区分については専門家の説明も要領を得ない程曖昧なものらしいので、出自の内容自体については今回はあまり追求しないことにしたい]
[2] 訳者注によれば、incesteを近親相姦ではなく、インセスト禁忌と訳したのは、著者が問題にしているのが、親子や兄弟と姉妹が性的関係を持つというそのこと自体ではなく「社会的インセスト」、換言すれば交換の否定、社会形成の否定だから
[3] [後で判明するが、構造主義の考えが理解されはじめていることを表現している言い方]
[4] 19世紀前半から1942年にわたる多くの文献調査により、そう結論づけている。
[5] [善悪の規準に絶対はないが善悪自体は普遍的に存在する、という思考形式と同じと思う]
[6] 19世紀末から20世紀前半の多くの文献から事例が引用されている
[7] 1938年頃の研究
[8] 1929年頃の研究
[9] マクレナン、スペンサー、ラボックのグループ
[10] デュルケムのグループ
[11] ロバート・ローウィ著『未開社会学論』は、この問題は生物学や心理学の問題とした
[12] 本書の重要な結論の前もっての指摘:親族(関係)の基本構造の最小要素は、父・母・子からなる「核家族」ではなく、そこに母方オジを加えた四つの項からなる「親族関係の原子」である。父と息子、母方オジと息子という二組の対立関係と言う構造。父、母、母方オジ間の三角関係。換言すると女性交換に関わるパートナー関係(父と母方オジ)、血縁(母と母方オジ)、出自(父と子)、縁組(父と母)の三つの基本関係の要約。このモデルが全面交換の縁組周期の中に置かれるなら、引き出される婚姻型は母方婚(母方オジの娘との婚姻=母方交叉イトコ婚)で、縁組は一定の方向を持って集団をつないでいく。母型婚の方向性を持った社会においては、父方婚(父方オジの娘との婚姻=父方平行イトコ婚だと思う)は社会的インセストとなる
[13] 全個体が一つのクラスへ構成され、選好結合から本来の内婚の間に明確な境目がなくなる、正真正銘の外婚体系が、見るからに内婚のような体型へと偽りの転換をする、などによって区別が困難となる
[14] ノートン・サウンドのエスキモーは自分たちを「完全無欠の民」、近隣蛮族を「シラミの卵」と呼ぶ例。多くの民間伝承に小人、巨人、怪物等が登場する例。メラネシアのいくつかの民族は、やってきた白人たちを人間ではなく、幽霊、悪鬼、海の妖精と思った例、etc
[15] 12章参照
[16] この段落の記述は19321941年頃の文献調査に依っている
[17] 1925年出版
[18] 社会的、宗教的或いは呪術的、経済的或いは功利的、情緒的或いは法的、道徳的、のいずれの意義をも帯びた事象
[19] とりわけ太平洋の島々、カナダからアラスカに至る太平洋北西岩では、重要な出来事にともなって催されるあらゆる儀式に富の分配が伴う。具体例は1929年から1939年にかけての他者文献の引用
[20] 具体例は1922年~1938年にかけての文献の調査による
[21] この段落は、ターナーやホグビン等、20世紀初め頃の文献等を基に考察している
[22] それは相手より価値あるものを破壊することで威信を保つことが出来るからである
[23] 事例として、クリスマスプレゼントの交換が挙げられている
[24] 例えば、「赤字覚悟で売ります」と耳打ちする商売上手な商人たち
[25] 贈与や犠牲による威信獲得機能と、「過剰」の消費という儀礼化の意味を持っている
[26] 1867年の文献(物資が豊富な場合の事例)が根拠として付け加えられている。[これだけではまだ説得性に欠ける]
[27] この段落はR.FirthE.Bestの研究が多く引用されている
[28] 料理文献はサーモンのマヨネーズソース添え等々の祝宴のご馳走について述べている
[29] われわれが大切にしまっている磁器製高級食器セットやアラスカの儀式用椀やスプーン
[30] 年代物のワイン、珍しいリキュール、フォアグラ
[31] ポリネシアの儀式的交換、マオリの諺
[32] 集団の参与を通常必要とする行為が個体によってなされる、一種の社会的インセスト
[33] 料金込みのワインは(自分では飲まずに)同じテーブルの他人に注ぐ習慣がある
[34] R.Firthの研究。女と土地は個人的債務の弁済として贈与される
[35] 今では招待、祭り、贈り物などにおいて特殊な意義しか持たない残存物である贈り物、互酬贈与のこと
[36] 今も一般性と重要性を持つ規則としてのインセスト禁忌のこと
[37] 互酬贈与とインセスト禁忌の共通性は、当事者に共通な特定の財を一方的に消費することへの個人の側からの嫌忌と社会の側からの指弾があること
[38] [女の獲得は独占せずに相互に供与し合うという意味では同一規則、という意味だろう]
[39] 女は複婚傾向を持つ男に対して供給不足で、かつ生活労働に必須な価値を持つ(第三章)
[40] 婚姻におけるポトラッチ、コモックス民族の疑似結婚式(H.G.Barnett 1938
[41] P153の図3(ポリネシアの婚姻交換R. Firth)は、夫と妻のリネージ(単系出自集団。クラン、部族の順に集団規模が大きくなる)が区分され、リネージ間に方向付けられた複雑な交換体系がある
[42] Give up the bride(花嫁を譲る)、身を任せる
[43] [根拠無く突飛に出現しているこの文章の意味は、あとで理解できることを期待しよう]
[44] この段落の内容についてはこれ以上の説明はなく、根拠となる出典も書かれていない
[45] 南アフリカのブッシュマンは、結婚に当たり娘の両親の埋葬の約束をするなど、互酬給付のまとまりである婚姻の全体的性格、性的・経済的・法的・社会的性格を示す
[46] ソロモン諸島の一つの島では、婚姻関係に基づいて、パンと魚を各人の属する集団同士で実にうまく交換できるルールがある
[47] ニューギニアのある集団では、育てたブタとイヌは他の村に供給するが、婚姻も同じ
[48] アラスカ
[49] アマンダン諸島
[50] ニューカレドニア島
[51] ユニャック・ナガ民族は婚姻する当人間の贈答品交換ルールとせりふまで決まっている
[52] この段落は19101938にかけての他者文献調査に基づいている
[53] この段落は、1943年発表された著者等の研究による
[54] [クランの個人がどのクランの誰と婚姻可能なのか我々には解らないが、半族の場合には解るような規則があるからか?]
[55] [なぜ変わるのかはここでは説明されていない。9章と10章が参考になる]
[56] [はじめに双分組織が出来て、それが親族名称に翻訳された]
[57] [交叉イトコ選好婚などが先で(同時に親族名称が出来て)、それが制度に翻訳されたのが双分組織である]
[58] [どちらとも異なる独自の考え]
[59] [並行イトコも同じ親等だから、交叉イトコだけOKは不合理に見える]
[60] [この辺の事情は、フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』が参考となる]
[61] この内容については分からない。訳注(3)W.Kohlerの文献を読むと解るのかもしれない
[62] 部分には、用語体系、制度の帰結や含意、制度の表現である習俗、制度が生み出す信仰が含まれる
[63] 1908年から1925年かけての文献、ナンビクァラに関する研究などによる
[64] [5.章参照]
[65] 1935年のRadcliffe-Brownの研究~1940年過ぎまでの多くの文献よりの著者等の考察
[66] ここでは1928年から1938年にかけての5人の研究から三つの事例が述べられている
[67] [この時代はまだDNAやゲノムは同定されていない]
[68] 例えば婚姻型の単位を未知数にとって、どんどん分解していくヴェイユの研究
[69] [さしずめ、現代風に言えばコンピュータシミュレーションか]
[70] 1922年と1941年の他者研究より
[71] それどころか、精算の終了を祝って、多種な方法で女の交換や性的関係が取り結ばれる
[72] [侮辱に対する精算が相手に対する負債の棒引きでなされることが復習になるから]
[73] オーストラリア北部の部族
[74] この段落は1931年から1938年の他者研究の引用
[75] 物質的財、権利、人
[76] 殺人、儀礼的特権など性質が異なる債権に女が弁済されるなど
[77] [構造主義的、と言う意味だろうか]
[78] 「習俗は恣意的で整合性を欠く」と述べているマリノフスキーを機能主義者と批判して
[79] 母系社会における、親しみ、尊敬、遠慮、敵意、対立など親族関係の感情的様態
[80] [どのような状況を作り出しているのか、調べないとこれだけでは分からない]
[81] 1937
[82] 南インドの事例。1935年の他者研究による
[83] [母系体制と父系体制を並行・等置する形式的思考批判が前提されている表現]
[84] 第6章参照
[85] [母系の場合でも権力者は妻の父や兄弟であるから、父・母側のどちらに居住しても、妻か夫が「よそ者」であり、婚姻家族の軋轢が有り続ける]
[86] [双分組織は、いわば未開の思考がもっている問題解決ツール。6章参照]
[87] [著者の思い入れが感じられる文章なので、そのまま引用してみた]
[88] レヴィート婚は子のいない未亡人が亡父の兄弟等と結婚する体系
[89] ソロレート婚は寡夫が亡妻の姉妹と結婚する体系
[90] [この部分の著者の説明は訳者も述べているようにわかりにくいが、要するにイトコは親が兄弟なのだから、オジ=メイ婚の際には親の世代を祖父の世代名で呼べば間違えない(祖父の子供はイトコでないから)ということ]
[91] [この辺の言い方をもう少し理解するには、社会学や人類学の素養が必要なのだろう]
[92] [やっぱり生物学的な根拠に基づくのだろうと思い込むためだからだろう]
[93] [「社会的親等」という語は、生物学的親等との対比で暗示的に用いたのだと思う]
[94] [物事の本質に対して問うているのかどうかと言う、ニュアンスに感じる]
[95] [例えば交叉イトコ婚が双分組織の歴史的帰結であるとか]
[96] 分析して分解した断片を並べたものが内在的意味を持つことは、いつまでたってもない
[97] 17世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンが使った用語
[98] [この言い方から、同じようなテーマを扱っている世界各地の神話の異本を連想する]
[99] 1913年から1937年にかけての他者の研究例を11ヶ程挙げている。
[100] 歴史的な、また地域的な様態から切り離し、複雑な親族体系に隠されている構造を、論理的思考力・数学的推理能力等の優れた能力を持った原住民の視点から考えるという考え
[101] 1915年の研究において、ローウィは、構造論的視点から、外婚は直系と傍系の融合と世代の融合という二方向に作用する可能性を帯びていることを示した
[102] [10章参照。しかし、ここの段落でなされている説明を納得するには、説明を実証している詳細な研究である第二篇以降を読まねばならないのだろう]
[103] [A,Bは交換において対等でなければならないからこれは当然]
[104] [ADB Cはたすき掛けの位置で1世代異なる。世代間で貸し借りが相殺される]
[105] [この節は、大部分J.G.Frazerの著作、主に Folklore in the Old Testament(1918)からの引用や孫引きと、その評価や批判を通して自説の説明をしている]
[106] 所有する男と所有される女の対立、所有される女達(獲得される女即ち妻と譲り渡される女即ち姉妹や娘)の間に現れる対立、二つの型の絆(姻族と親族)との対立、連続的リネージ系列(性別を同じくする個体からなる系列)と交替(こうたい)的リネージ(ある個体から次の個体へ移るたびに性別が入れ替わっていく系列)との対立など
[107] [この性質の見出し方は、経済的な財や歴史的・継時因果関係に基づいた理解をエポケーした、人間社会の本質観取だと思う。納得するには多くの事例を学んで内省する他はない。だから、まだ半信半疑。この章は、この類の記述が多い]
[108] 9章で説明した、交叉イトコ婚の定式も満足していることが分かる。即ち、ADに対する関係がBCに対する関係に等しいなら、CDに関する関係はBAに対する関係に等しい。ここで、左上がAで、右がB、左下がC、右下がD