2019年2月11日月曜日

資本論 第3巻(資本主義的生産の総過程)⑥ 第五篇 利子と企業者利得とへの利潤の分裂 利子生み資本

ベルサイユの薔薇
『資本論』カール・マルクス著(第三巻 資本主義的精算の総過程)
 岡崎次郎訳 大月文庫
原則「 」は本文引用、( )は小生補記



第五編 利子と企業者利得とへの利潤の分裂 利子生み資本

第二十一章 利子生み資本

投下される部面が生産部面でも流通部面でも、その資本の大きさに比例して平均利潤を得るのだから、貨幣は資本に転化されてそれ自身で利益を生み、資本として機能するという使用価値を受け取る。換言すれば資本が資本として商品となる。別の資本家に前貸しした資本の使用価値の代価を利子という。

貸し付けられた資本は二重に還流する。再生産過程で機能資本家の手に還る時と、貸し手である貨幣資本化へ還る時である。利子がついて還って来る資本の単なる形態は、「ただ現実の資本運動の無概念的な形態でしかないのである」(「無概念的」という言葉は、第三部第二篇第九章で商品価値が生産価値に転化する様子の記述でも現れていた)。

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普通の売りで譲り渡されるのは、その商品の使用価値である。貨幣資本家が生産的資本家に譲り渡す商品すなわち貨幣の使用価値は、平均利潤を生むということである。

ほかの商品の場合には、最後には使用価値は消費され、商品の実体もなくなる。しかし、資本という商品は、その使用価値の消費によって価値も使用価値も無くならないどころか増殖もされる、という特性を持っている。

消費してもなくならないどころか増殖もするという点において、貸し付けられる貨幣は、産業資本家にとっての労働力と類似している。ただ、労働力の方はその価値を支払われるが、貸し付けられた貨幣の方は返済されるだけである。

使用価値について言えば、労働力も貨幣も価値を生むということに現れる。貨幣資本において支払われるのは、価格ではなく利子であるのは、取引の関係が売買ではなくて貸借であることのうちに現れている。

資本の生産物は利潤である。資本としての貨幣(商品でも良い)の価値はそれ自身が持っている価値によってではなくて、それの所有者が生産する剰余価値によって規定されている。

商品の市場価格も労賃も、資本主義的生産様式に内在する法則によって決まるが、利子の場合は資本同士による利潤の分割競争で決まる。



第二十二章 利潤の分割 利子率 利子率の「自然的な」率

ここでは、利子生み資本の独立な姿と利潤に対する独立化を展開する。利子の最低限界は、利潤から利潤の監督賃金(後で説明がある)を引き去った部分だろう。総利潤のうちで利子として貨幣資本家に支払う部分の割合が固定されている場合を考えてみると(つまりこれが歴史的にも現実であると言うこと)、産業利潤(総利潤から利子分を差し引いた分)は、一般的利潤率が高くなるほど大きくなる。資本主義的生産の発展と利潤率は反比例するから、一国の利子率の高低はその国の産業的発達の高さにも反比例する。

利潤の大きさを規定する事情と利潤の分割を規定する事情とは異なっており、しばしばこれらの事情はそれに規定されている事柄に対して反対に作用する。近代産業の循環する運動(平静状態、活気増大、繁栄、過剰生産、破局、停滞、平静状態)を観察すれば、低利子の状態はたいてい繁栄か特別利潤の時期に対応し、利子の上昇は繁栄とその転換との分かれ目に対応し、極度の高利は恐慌に対応する(つまり利潤が少ないときほど利子率は高いというのが、一般的には現実に観察される。⇒この段落冒頭の文の後半の事例)。

低い利子が停滞に伴い、適度な利子の上昇が活気の増大に伴うこともあり得る。利子が極度の高さに達するのは恐慌の時で、この時には支払いするには高利でも借りなければならない。このような時は、有価証券を捨て値で手に入れる機会でもある(利子が高くなれば利子付き有価証券価格は下落するからで、下落した有価証券を買い漁ることが出来るのは言うまでもなくそれを買うことができる人だけである)。

利子率が利潤率の変動にはまったくかかわりなしに低落する傾向もある。それには次のような二つの要因がある。利子で生活する人々の相対的増加(例えばイギリスのように、国富の増加に伴い高齢化だけでなく貯蓄の利子で暮らす人たちが増える場合)。信用制度の発達により、社会のあらゆる階級のあらゆる貨幣貯蓄を産業資本家や商人が銀行の媒介によって利用できるようになること。

利子率は資本家同士の競争によって偶然的に決まってくるものであって、「自然的な」利子率などというものは無い(これにたいして平均利潤率は資本主義的生産様式に内在する法則によって決まっている)。利子の場合には、利潤の場合とは逆に、「質的な区分が、剰余価値の同じ一部分の純粋に量的な分割から出て来るのである。」(この意味次の第二十三章参照)。

「自然的な」利子率はないが、絶えず変動する利子の市場率と、それとは違う中位の利子率(利子の平均率)がある。利子の平均率は一般的利潤率とは反対に、その限界を一般的法則によっては確定できないのである。利子率は、中位の利子率だろうが利子の市場率だろうが、一般的利潤率の場合とは全く違って、一様な、確定された、一見して明らかな大きさとして現れる(みんなそう思っているというのが現実に生じている現象である)。

中位の利子率は、どの国にでも、いくらか長い期間については不変の大きさとして現れる。利子の市場率は商品の市場価格と同じように、各瞬間に固定的な大きさとして与えられている(つまりそこには、時間差がある)。

利子率の固定化には以下の二つの理由がある。利子生み資本の歴史的先在と伝統的に受け継がれた一般的利子率の存在、世界市場の直接の影響が利潤率よりも利子率の確定に対して非常に大きいこと。

貨幣市場における資本は、階級それ自体の中の共同的なものとして、需要と供給の関係において現れる。大工業の発展に伴い、貨幣資本は集中化され組織化されたものとし大量に出現し、社会的資本を代表する銀行業者の統制の下におかれる。資金の需要から見れば、貸し付け可能な資本として一階級の重みが相対し、供給から見れば、大量に纏まった貸付資本としての一階級の重みが相対するのである。

確定した利子率と、一般的利潤率が「消えかかる幻のようなものとして現れるのか」ということのいくつか理由は、ここにある。だから、利子率は変動しはするが、借り手にとっては常に固定した与えられたものとして相対するのである。



第二十三章 利子と企業者利得

資本家が貨幣資本家と産業資本家とに分かれるということだけが、利潤の部分を利子に転化させ、ただこの二つの種類の資本家の間の競争だけが利子率をつくりだす。

総利潤は産業利潤と利子とに分割され、この分割が量的分割から質的分割に転化されて、利子と企業者利得という姿をとる。ここで質的分割とは「利子は資本自体の果実、生産過程を無視しての資本所有の果実であり、企業者利得は、過程進行中の、生産過程で働いている資本の果実であり、したがって資本の充用者が再生産過程で演ずる能動的な役割の果実であるということ」を意味している。

利子は、労働が価値として不払い労働を取得する手段となっていることの表現でしかない。また、価値がそのような力であるのは、価値がその所有者である労働者に対立しているからであるということの表現でしかない。

しかし、利子という形態では、賃労働に対するこのような対立が消えている。それは貸付資本家が対立するのは機能資本家であって労働者ではないからである。

企業者利得は、賃労働に対して対立物をなしているのではなく、ただ利子に対して対立物をなしている。第一に、企業者利得の率は労賃ではなくて利子によって規定されているから。第二に、機能資本家は、企業者利得を、資本の機能から引き出すのであり、機能資本と対立する不労所有としてのみ存在する資本から引き出すのではないから。

産業資本家の頭の中では、彼の企業利得は他人の不払い労働でしかないというようなものではなくて、むしろ自分自身の労賃であり、監督賃金であり、普通の賃金労働者よりも高い賃金であるという観念が発達してくる。彼の資本家としての機能は、不払い労働を最も経済的な諸条件で生産することにあるということは、完全に忘れられている。

そこでもっと詳しく企業者利得を見よう。「一般に株式企業は、機能としての管理労働を資本の所有からはますます分離していく傾向がある。それはちょうど、ブルジョア社会の発展につれて裁判や行政の機能が、封建時代にこれらの機能を自分の属性としていた土地所有から分離していくようなものである。」

単なる資本所有者である貨幣資本家と機能資本家が相対する状況は、信用制度の発展に連れて貨幣資本そのものが社会的な性格を持って銀行に集中される一方、機能資本の方も資本の所有者ではないが実質的機能を担う管理者が相対することになる。



第二十四章 利子生み資本の形態での資本関係の外面化

利子生み資本では、資本関係は外的な最も呪物的な形態に到達する。ここではGG´として両極を媒介する過程なしに現れる。資本はもはや単純な量ではなくて量関係である。

利子は利潤の一部でしかないのに、今では反対に利子が資本の本来の果実として現れる。利潤は今では企業利得という形態に転化して、再生産過程で付け加わるただの付属品として現われる。資本の呪物的な姿も観念も完成している。われわれがGG´で見るのは、資本の無観念的な形態、生産関係の最高度の転倒と物化、すなわち利子を生む姿、資本自身の再生産過程に前提されている資本の単純な姿である。

利子生み資本として、資本は、その純粋な呪物形態GG´を、主体として、売ることのできるものとして、得るのである。第一に、資本が絶えず貨幣として存在するからである。つまり、資本の再生産過程では貨幣形態はすぐに消えてしまうのだが、利子生み資本としての貨幣は、価値が独立な交換価値として消えずに存在するのである。第二に、剰余価値もここでは再び貨幣の形態にあって、資本そのものに属する物として現れるからである。

資本の蓄積過程を複利の蓄積と考えることができるのは、利潤つまり剰余価値のうちの資本に再転化させられる部分を利子と呼ぶことができる限りのことである。労働によって価値が生み出されなければ貨幣は増えないはずだが、労働がなくても複利によって貨幣は増える。資本の蓄積は、総労働日という質的な限界によって制限されているが、利子という無概念的な形態で捉えるならば、資本の蓄積はただ量的なものとなって、その量は想像もつかないものとなる。



第二十五章 信用と架空資本

生産者や商人同士の間の相互前貸が信用の本来の基礎をなしているように、その流通用具である手形は本来の信用貨幣即ち銀行券などの基礎をなしている。銀行券などは、金属貨幣や国家紙幣などの流通貨幣に基づいているのはなく手形流通に基づいている。

信用制度の発展は貨幣取引業の業務を拡大発展させ、銀行業者として貨幣資本の貸し手と借り手の媒介者となる。銀行の業務は、貨幣資本を大量に集中し、個々の貸し手の代表者として産業資本家や商業資本家と相対し、資本の貸し借りを媒介し、銀行自身としての貸し借り利息の差額で利潤を得ることである。

銀行業者自身も、他銀行宛ての手形や小切手、発券銀行の銀行券(紙幣)などで信用を創造する。信用に基づいた前貸によって、一国の事業全体が眩惑に襲われる適切な事例は、1845年から1847年までのイギリスに見られる。場所と時間に起因する情報格差を利用した詐欺まがいの架空資本取引、綿花販売決済などの手形の信用減と銀行資本減、鉄道などに対する投機資金と投機手形等々。

(要は、必要とされたのは貨幣を生み出す貨幣であって、それは何度も割引される手形などによって膨張する信用だけで満たされるようなると、膨張した信用に見合っただけ経済拡大即ち価値の増殖が起こらない限り破局を迎える)



第二十六章 貨幣資本の蓄積 それが利子率に及ぼす影響

貨幣が蓄積されると、貨幣資本家はより高利を得るための理論考える。利子率は貨幣資本に対する需要が決めるものである。高い利潤率や事業の拡張は高い利子率の原因であり得るとしても、それだからといって、高い利子率は高い利潤の原因ではない。

問題なのは、(利潤が出ない)恐慌の時にも高い利子率が依然として継続していること、またはそのときに利子率が絶頂に達しなかったか、ということなのである。



第二十七章 資本主義的生産における信用の役割

信用度についての一般的見解。

Ⅰ 信用制度は、利潤率の平均化を媒介するために必然的に形成される

Ⅱ 流通費の節減に役立つ

Ⅲ 株式会社が形成され、これが経済に本質的な影響を与える

先に進む前の経済的に重要な点の注意。利潤が殆ど利子という形態をとるだけなら、剰余価値を殆ど生まない資本としては殆どを不変資本が占めるのだから、これらの企業は一般的利潤率の平均化には殆ど参加しない。また、それは一般的利潤率の低下を阻止する原因ともなる。

{エンゲルスの挿入:・・・要するに競争の自由が失われ、大資本家は生産調整のカルテルを結ぶとか、事業部門を統一して一つの大きな株式会社に統合する、という状況が生じている}

これは資本主義生産様式そのものの中での資本主義的生産様式の廃止であり、自分自身を解消する矛盾であって、新たな生産形態への過渡期として現れるものである。そのことは、独占を出現させ、国家の干渉を呼び起こし、新しい金融貴族を再生産し、名目だけの役員の姿をとった新しい種類の寄生虫を再生産し、会社創設や株式発行や株式取引についての思惑や詐欺との全制度を再生産する。それは、(生産が社会的生産になっているにもかかわらず)私的所有による制御なき私的生産である。

Ⅳ 信用は他人の資本の所有に対する、従ってまた他人の労働に対する支配力も与える。

資本は信用の単なる基礎となる。この状況は流通を握る卸売業に良く当てはまる。彼らがやる投機の源泉は社会的所有であって自分の所有ではない。そうなると資本の起源である節約は馬鹿げたものになる。

奢侈も信用手段となり、成功も失敗もその結果は諸資本の集中となり、同時に収奪となり、収奪は直接生産者から中小の資本家に及ぶ。収奪は、資本主義的生産様式の出発点で、この実行はこの生産方式の目標であり、しかし結局はすべての個人の生産手段の収奪である。信用は、生産手段と労働の所有の分離を益々促進する。

株式会社による大規模な生産は、私的生産ではなくて社会的生産であり、従って生産手段は社会的所有なのだが、この収奪は少数者による社会的取得として現れる。株式制度は私的生産から社会的生産へと転化する側面はあっても、社会的な富と私的な富という富の対立を、新たな性格をもった姿でつくり出す。

協同組合工場では資本と労働との対立は廃止されている一方、それは資本主義的生産様式、従ってまた信用制度の発展がなければ生じ得ないものである。協同組合工場と資本主義的株式企業の工場との違いは、資本と労働との対立の解消において、積極的であるか消極的であるかの違いだけである。

資本主義的生産の対立的な性格に基づいて行われる資本価値の増殖は生産の内在的な束縛と制限とを持っているが、信用制度はこの制限を絶えず破壊していく。信用制度に支えられた株式会社は機能資本家が他人の資本で運営するのだから投機熱心になってこの制限を破壊する。

信用制度は、生産力の物質的発展と世界市場の形成とを促進し、それらのものを新たな生産方式の物質的基礎とするための歴史的任務なのであるが、同時に、資本主義的生産方式に内在する矛盾の暴力的爆発、恐慌を促進し、その生産様式の解体を促進する。



第二十八章 流通手段と資本 トゥックとフラートンとの見解

トゥックやウイルソンなどは通貨と資本を区別しているが、これは貨幣資本一般としての流通手段と利子生み資本としての流通手段との区別を混同している。貨幣の機能は複数あって、貨幣は収入も資本も同時に表す。



第二十九章 銀行資本の諸成分

銀行資本(資産)は現金(貴金属貨幣、銀行券)と有価証券から成っている。有価証券は商業証券つまり手形と、不動産抵当証券を含む利子付き証券である公的有価証券に区別される。公的有価証券は、国債証券や国庫証券や各種の株式である。

現金と有価証券という物的成分(資産)は、銀行業者自身の投下資本(純資産)と預金(負債)に分かれる。預金は銀行営業資本または借入資本をなしている。発券銀行の場合はさらに銀行券(負債)が加わる。銀行自身の資本か他人の資本かは、銀行資本の物的成分を少しも変えない。

利子生み資本という形態には、利子の源泉となる資本が見出されるのだが、その源泉が所有権や債権だろうと地所のような現実の生産要素であろうと、それらが譲渡可能な形態である場合以外は、純粋に幻想的な概念である。例として国債と労賃とを取ってみよう。

国債という資本は、債権者には利子が支払われても、国に貸し付けられた金額はもはや存在せず、資本として投下されるはずのものではなかったのであり、純粋に架空的な資本なのだが、それ自身の運動を持っている(現代で言えば、建設国債は社会資本を形成しているから架空とは言えないだろうが赤字国債は架空だろう)。

国債という資本はマイナスが資本として現れる。利子生み資本一般は、銀行の債務が商品として現れるように、「すべて狂った形態の母であるように」現れる。

資本に対置して労働力を見てみよう。ここでは、労賃は利子と考えられ労働力は資本だと考えられる。資本の価値増殖を労働力の搾取から説明するのではなく、労働力自身が利子生み資本という不可思議なものだということから説明される。「資本家的な考え方の狂気の沙汰はここでその頂点に達する」。労働者は奴隷ではないから、自分の労働力の資本価値を譲渡によって換金できない(剰余労働の搾取が利潤であり、平均利潤からの分け前が利子である、という説明ではなく、端的に奴隷ではないと言う説明は本質的だ)。

平均利子率から資本を逆算することを資本換算と呼び、資本換算で架空資本が計算される。例えば、平均利子率が5%、年間収入が100ポンドの場合には、計算される架空資本は2000ポンドとなる。この2000ポンドは法律上所有権の資本価値とみなされる。

債務証券、株式等の証券は、名目価値と市場価値を持ち、将来の生産に対する蓄積された請求権、権利名義の他は何も表していない。巨大な量の利子生み資本は生産に対する請求権の市場価格の蓄積、すなわち幻想的な資本価値の蓄積以外の何ものでものない。

銀行資本(資産)には利子付き証券が含まれていて、これは準備資本であるが、その最大部分は手形で、この手形の割引率はその時の利子率で決まる。銀行資本(資産)の内の金や紙幣から成っている貨幣準備は、預金者が自由に処分できる預金(負債)であるが、これは平均すると普通あまり変動しない。銀行の準備金は蓄蔵貨幣の量を表しているが、金に対する単なる支払指図券であって、自己価値ではない証券から成っている。

銀行資本(資産)の最大部分は、純粋に架空なものであって、債権(手形)、国債証券(過去の資本を表しているもの)、株式(将来の収益に対する支払指図券)から成っているのだが、次のことに注意が必要である。①国債証券のように、確実な収益に対する支払指図券なのかどうか。②株式などのような現実資本の所有権証書だろうが、全く架空のものだろうが、現実価値からは偏って規制されること。③単なる収益請求権の場合には、同じ収益に対する請求権が絶えず変動すること(利子率が変動するから)。

この架空である銀行資本(資産)の大部分は、銀行の資本(純資産)ではなくて、公衆の資本である預金である。預金は、一方では利子生み資本として貸し出され、他方では預金者達の相互の貸しの相殺の単なる帳簿金額として機能する。

アダム・スミスは、資本が貨幣貸し付けで演ずる役割に関連して次のように述べている。AW1000ポンド貸し、WBからその1000ポンドである商品を買い、Bは手に入れた1000ポンドを使わずにXにそのまま貸し、Xはその1000ポンドでCからある商品を買い、Cは手に入れた1000ポンドを使わずにYにそのまま貸し、Yはその1000ポンドでDからある商品を買うとすると、1000ポンドの貨幣はA,B,Cがそれぞれ貸すことで、W,X,Yはそれぞれ1000ポンドの商品を手に入れたことになる。つまり1000ポンドの貨幣を単にABCと順繰りに貸すだけなら、資本は1000ポンドしかないが、W,X,Yがそれぞれ1000ポンドの商品を購入すれば1000ポンドの貨幣は3000ポンド資本の価値を持つ(,B,Cは合計3000ボンドを将来返済されることが前提となっている)。

預金は借入金だから、貸付金一般についてアダム・スミスが述べたのと同じく、銀行においては預金額よりもはるかに少ない準備金(貨幣)で間に合うことになる。当然限度があって、当時の金本位制の下では金保有高に連動した法規制がある(現代では、銀行の自己資本比率には国際的取り決めがある(バーゼル合意)。1988年に最初に策定され(バーゼル1)、2004年に改定された(バーゼル2)。2007年夏以降の世界的な金融危機が原因で再度見直しに向けた検討が進められ、2010年に新しい規制の枠組み(バーゼル3)について合意が成立した。この数値は、国内営業だけなら4%以上、海外でも営業するなら8%以上)。



第三十章 貨幣資本と現実資本Ⅰ

信用制度に関する困難な問題は次の二つである。

第一に、本来の貨幣資本の蓄積はどの程度まで現実の資本蓄積の指標を表しているのかという問題である。つまり、資本の過多は産業上の過剰生産の特殊な表現なのか、また、貨幣資本の過多は貸付資本の過多の表現なのかという問題である。

第二に、貸付資本の欠乏はどの程度まで現実資本(商品資本と生産資本)の欠乏を表しているのか、という問題である。それは他方、どの程度まで貨幣そのものの欠乏と一致するかという問題でもある。

「われわれがこれまで貨幣資本及び貨幣財産一般の蓄積の特有な形態を考察してきた限りでは、この形態は、結局は労働に対する所有の請求権の蓄積ということになった。」

国債という資本の蓄積が意味するものは、租税から先取りする権利を与えられた国家の債権者という一階級の増大である。国債を買うための資本は前貸しされた資本であって、国債が売ることができる限りにおいて、その所有者にとって資本として機能する。

会社事業に対する所有権は現実事業に対する権利であるが、この権利は自由処分力を与えるものではなく、現実事業を行う現実資本によって獲得される剰余価値の一部に対する請求権を与えるだけである。ところが、現実資本の紙製の複製であるこの権利は、それが売却することができる限り資本として機能し流通するのであって、利子生み資本の形態となる。この権利の価値額は、それを権利名義とする現実資本の価値運動とは全く無関係に増減することが出来るのであり、取引所の相場で定まるのであり、利子率が低下すると上昇するのである(その権利が売買出来る限りにおいて、利子率が低下すると、同じ利子を受け取るのに必要なこの権利の価値額は増大する)。

この所有権の価格変動は投機を生み、この投機が労働に代わって資本所有の獲得法として現れ、また直接的暴力にも取って代わるのである。

絞り込まれる当面の問題は、資本が商品の再生産過程や流通過程の貸付資本として機能することではなく、国債や株式や各種有価証券が貸付可能な資本として機能し蓄積されるという事態である。

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再生産に携わっている資本家たちが互いに与え合う信用(商業信用)を銀行業者の信用から分離して考察する限り、貸付資本と産業資本は同じである。ところが現実には、産業家や商人同士の前貸しと銀行業者から産業家や商人への貨幣前貸しが混ぜ合わされる。そうなると、いつでも事業は破局の直前にこそ健全に見えるようになる。

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「そこでまた貨幣資本の蓄積に帰ることにしよう。」

「貸付可能な貨幣資本の増加は、必ずしも現実の資本蓄積または再生産過程の拡張を示しているではない。このことは、産業循環のなかでは恐慌を切り抜けた直後に貸付資本が大量に遊休している段階で最も明瞭に現れる。」(1847年のイギリス恐慌の例)。

1847年の恐慌の主な原因は、市場への供給過剰と対東インド商品取引での無際限な詐欺的思惑だったが、銀行役員などの諸氏の説明はデタラメであった。

1857年には破産は主に商人を襲った。というのは製造業者が商人に「自分の計算で」外国市場に過剰供給することを任せたからであった。

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再生産過程が、過度な緊張状態の直前の繁栄状態に達すると、円滑な環流と拡大生産という健全な基礎の上に、商業資本は大きく膨張し、利子率は恐慌時の最低レベルより高いがまだ低い。この時期だけが、低い利子率、したがって貸付可能な資本の相対的豊富さが産業資本の現実の拡張と一致する唯一の時点である。

そうなると、資本を借りて事業に新しく参入する人が増え、固定資本の増大、大企業の設立が加わってくる。そして利子率は上昇し、その利子率が再び最高度に達するのは新しい恐慌が襲ってきて、信用が急に停止し、支払が停滞し、再生産が麻痺し、貸付資本のホトンだが絶対的窮乏と遊休産業資本の過剰が現れるようになるときである。

(以下、景気の循環=産業循環、についての諸状況の解説は省略する)



第三十一章 貨幣資本と現実資本Ⅱ(続き)

第一節     貸付資本への転化

貸付資本は貨幣の形で貸し付けられる資本であるにもかかわらず、貸付資本の量は流通している貨幣の量とは違ったものである。例えば、20ポンの貨幣量が1日に五度貸し付けられた場合には100ポンドの貨幣資本が貸し付けられたことになる。利子率の変動は貸付資本の供給によって左右される。

信用経済が発達している国では、貨幣資本は銀行の預金となっている。預金の遊休程度は諸銀行の準備金の流出入に現れる。そこで、1857年にイングランド銀行総裁はイングランド銀行にある金が唯一の準備資本だと結論づけている。

現実資本(生産資本と商品資本の合計)の蓄積には輸出入統計が一つの尺度を与える。10年の循環周期の運動をしていたイギリス産業の発展期(18151870年)の間は、恐慌の前に最高度に蓄積された現実資本の量が、次の繁栄期の最低限となって、次第に拡大していった。市場の拡大を示す輸入についても同様である。

第二節     貸付資本に転化させられる貨幣への資本または収入の転化

貸付資本の蓄積は現実の蓄積の結果である。貸付資本は産業資本家と商業資本家との犠牲において蓄積する(貸付資本の利潤は剰余価値の一部)。貨幣資本家は儲けを第一に貸付資本に転化する(資本に再転化せずに)。消費される収入も貸付資本の蓄積となる。



第三十二章 貨幣資本と現実資本Ⅲ(結び)

これまで述べてきたことで最も重要なのは、収入のうち消費に向けられる部分の膨張は貨幣資本の蓄積となるということである。つまり、貨幣資本の蓄積には、産業資本の現実の蓄積とは本質的に違った契機が含まれているのである。

貨幣資本の蓄積には、他にも特殊な形態がある。生産要素の価格低下で資本が遊離したが再生産過程を拡張できない時、事業が中断して資本(特に商人資本)が遊離した時、あるいは大儲けして再生産から引退する人の数が増えた時などである。

現実の蓄積からは独立したものでありながら、しかも現実の蓄積に伴って現れる諸契機によって、貸付資本の蓄積が拡張されるということは、絶えず貨幣資本の過多が生じざるを得ないことを示している。この過多は、信用の発達につれて増大し常にある反動を呼び起こさざるをえない(将来の予測の不確実性ゆえに)。

地代や労賃からの貨幣資本の蓄積についてはここではふれない。が、次のことだけは述べておく。貯蓄の諸契機を供給する限りでの、現実の節約や禁欲の仕事が、しばしば自分の貯蓄さえも失ってしまうような人々に任されているということである。産業資本家の資本は自身の貯蓄ではなくて他人の貯蓄なのであり、貨幣資本家はそれに加えて信用を自分個人の致富の源泉にする。ここにおいて、資本主義体制の最後の幻想、すなわち、資本が自分自身の労働や貯蓄を生み出すという幻想、が打ち砕かれる。利潤が他人の労働の搾取であるだけではなく、貨幣資本家が産業資本家を搾取するのである。

貸付資本の形態が現実の貨幣(金や銀)だけだとしても、その大きな部分は必然的に架空的、すなわち価値請求権でしかない。このような請求権の蓄積は、その源泉である現実の蓄積とも、貨幣の貸出によって媒介される将来の蓄積(生産過程)とも違うのである。

自由に利用できる貨幣資本の発展につれて、自由に利用できる貨幣資本に対する需要も増大する。これらの証券の思惑取引をする証券仲買人が貨幣市場(ロンドンの集中的な貨幣取引所など)で主役を演ずるのである。もしこれらの証券の売買がすべて現実の資本投下の表現であるならば、このような売買が貸付資本に対する需要に影響することはない。

商業的利子の変動との関係については後でもっと詳しく述べる。とはいえ、ここで次の二つのことは言っておきたい。第一に、利子率がかなり長い期間にわたって高いとしても、必ずしも企業者利得の率が高いわけではなく反対に低くなる場合がある。それは、ひとたび着手した企業は続行するほかはないからである。第二に、利潤率が高いので貨幣資本に対する需要が増え、従ってまた利子率が高くなると言う表現は、産業資本に対する需要が増え、従ってまた利子率が高いという表現と同じではない。



第三十三章 信用制度のもとでの流通手段

 流通手段(貨幣等)を節約する方法は信用に基づいている。流通手段の流通プロセス(手形振出、銀行への当座預金、等々の流れ)自体が流通手段の流通速度を媒介する。

 現実に流通する貨幣の量は、諸商品の価値とその取引量によって規定されている。銀行券の絶対量とその流通速度の積が取引に必要とされる銀行券量となる。

通貨の絶対量が利子率に影響を与えるのは逼迫期においてである。この時は、利子率が、信用が与えられなくなったために生じた蓄蔵貨幣手段に対する需要の程度を表す。例えば1847年に銀行法が停止されたとき、それまでの貨幣需要は非常に逼迫していて利子率は高かったが、イングランド銀行が銀行券を発行できるようになると流通の膨張も起きずに退蔵銀行券が流通に投げ入れられた。

流通手段の支出と資本の貸出との区別は、現実の再生産過程では最もよく現れている(第二部第三篇 社会的総資本の再生産と流通)。信用制度が発達している場合には、銀行は貨幣を前貸しするのだが、これは通貨の前貸しであり、通貨によって流通させられる資本の前貸しではない。

長期の手形が振り出されるのが通常である輸出が、国内貨幣市場に対して貨幣量の増大を要求するのは逼迫期になってからのことである。

手形の流通量は、銀行券と同じく取引上の必要によって規定されており、銀行券の流通量とは通常は関係がない。貨幣が不足すると手形が増えてその質が落ちる(不渡り手形が増える)。恐慌時は手形が流通しなくなり、銀行券だけが流通できる。イングランドの銀行券の信用は、国民の富の全体で支えられている。

1857年頃の)ロンドンには何人かの大貨幣資本家がいて、整理公債を売って銀行券を市場から引き上げることで一瞬のうちに貨幣市場全体を混乱に陥れる力を持っていた。ロンドンの最大の資本力を持っているイングランド銀行は、半国家機関としてそのような乱暴な仕方でその支配力を行使できないようにされてはいるが、1844年の銀行法以降はことに、私利を図る手段方法をよく知っていた。

17971817年のイングランド銀行は、この銀行の銀行券はただ国家のお陰で信用を得ているだけなのに、この銀行券を紙から貨幣に転化させてそれを国家に貸し付ける(国債を買う)という国家から与えられた権能に対して、国家からつまり公衆から、利子の支払を受けていた。

イングランド銀行の力は、この銀行が利子の市場率の調整を行うことのうちに現れている。、流通手段に対する需要が個人銀行や株式銀行や手形仲買人によって満たされている時期にはさほどではなくても、貨幣需要が逼迫したときにはこの力が現れる。大きな利子率の変動は、(貨幣流通プロセスの)事情に通じた銀行などに有利に働く。

「さらに集中について述べなければならない!いわゆる国立銀行とそれをとりまく大きな貨幣貸付業者や高利貸しとを中心とする信用制度は、巨大な集中であって、それは、この寄生階級に、単に産業資本家を周期的に減殺するだけではなく危険極まる仕方で現実の生産に干渉もする法外な力を与えるのである。―――しかもこの仲間は生産のことは何も知らず、また生産とは何の関係もないのである。1844年及び1845年の諸法律は、金融業者や株式相場師をも仲間に加えたこの盗賊どもの力が増大したことの証拠である。」



第三十四章 通貨主義と1844年のイギリスの銀行立法

本章は、19世紀初頭において発生した恐慌(1825年と1836年は大恐慌)に対処する経済政策論争においての一つの主張である「通貨主義」(発行紙幣量は金属貨幣量で制限されるという説)批判、あるいは、通貨主義を唱える人々(マルクスにいわせれば、前章の最後に述べられているような寄生階級の人々)批判が述べられる。

(以下しばらくは『経済学批判』1859年を引用しながらの、エンゲルスの挿入。)リカードは、流通貨幣の(価値)総量は流通商品の(価値)総量と同じであり、従って経済の活動の増減によって、流通貨幣も増減する、と述べた。これはリカードの大きな発見の一つである。しかし、ロード・オーヴァストーン一派はこの発見を無理矢理に自分たちに利用して、1844年および1845年のサー・ロバート・ピールの銀行法の基本原理にした結果は失敗であり、(その証拠に)この銀行法を適用しないことで恐慌を収束させた。

商業恐慌の現象で最も一般的なのは商品価格の突然の低下である。商品価格の一般的低下と貨幣の相対的価値の上昇とは同じ現象の言い換えだから、この現象を因果関係で捉えれば同語反復となる。そこで、リカードの貨幣理論がひどく好都合に現れた。というのは、この理論は同語反復に因果関係の外観を与えるからである。

リカードによれば、一般的な物価変動は純粋な金銀貨幣の流通のもとでも起こるのだが、いろいろな変動で相殺されることになる。例えば、(貨幣の)流通が減ると(商品価格が低下するからその商品は輸出に回され、従って決済に使用される貴金属が国内に流入して(貨幣の)流通が増える、と。

貨幣流通量の減少は輸入される金で補われるというリカードの前提は誤っている(輸入される金はすべて貨幣になるとは限らない)。この誤った前提に立つ理論は誤った方法へ到達することになる。恐慌による物価の低下をもたらす貨幣不足は金の輸入の増加によって示されるのだから、そのような場合には輸入される金の増加が国内貨幣量の増加と同じとなるようにするために、金の輸入増加量と同価値分の貨幣を銀行が流通に投入すればよい、と。→「その時々に現存する金と同量の鋳貨を流通させようとする実際上の試みになるのである。」

(実際の不況には貨幣は流通せず利子は高騰し、従って貨幣はますます蓄蔵されて流通しなくなり恐慌に至る)ここで、ピールの銀行法に関する1857年の下院委員会の審議(『銀行法委員会』、1857年)の内容を引用して、通貨主義の誤りを示そう(内容省略)。

1844年の銀行法はイングランド銀行を独立した二つの部門、発券部と銀行部に分けられる。前者は保証準備(殆ど政府債務)と金属準備が与えられ、その合計額と同額の銀行券を発行する。銀行券は後者の常置準備金をなしている。発券部は公衆に銀行券と引き換えに金を与え、金と引き換えに銀行券を与える。それ以外の公衆との取引は銀行部によって行われる。この仕組みは、貨幣不足の折に補償準備金の利用を出来なくさせて銀行部を破産に導き、恐慌時に生じる金の流出がますます貨幣の流通を減少させて恐慌を促進する。

これまでに二度、18471025日と18571112日とに恐慌は登り詰めたが、何れも政府が銀行法を停止することで銀行券を発行し、恐慌を打開した。

一つ言っておきたいことは、1844年の立法は、今世紀(19世紀)の最初の20年間には存在した、銀行券に対する兌換停止と減価という、信用失墜の心配は、既に無くなっていると言うことである。(以上まではエンゲルスの挿入箇所)。

次のような規定はすべて利子率の引き上げに帰着する(そのことで寄生階級の人々に利益をもたらす)。イングランド銀行は金準備なしに保証準備額(上限は規定されている)を越える銀行券を発行してはならないという規定。銀行部は(儲けを優先する)普通の銀行として管理されるべきだから、貨幣過剰期には利子率を引き下げ逼迫期には引き上げるべきだという規定。ヨーロッパ大陸やアジアとの間の為替を調整するための主要な手段である準備金を制限する規定。輸出のための金を必要としないスコットランドやアイルランドの諸銀行が今ではその銀行券の兌換性―――といっても事実上全く幻想的な兌換性―――と言う口実の下に金を保有しなければならないという規定。

以下、銀行法が利子率の急変動や恐慌を却って促進することを説明するエンゲルスの挿入部は省略。



第三十五章 貴金属と為替相場

第一節 金準備の運動

逼迫期の銀行券退蔵について言っておきたいことは、不安の時期に現れる貴金属での貨幣退蔵のことである。1844年の法律は国内のすべての貴金属を流通手段に転化させようとするものだが、実際には(恐慌時になるほど貨幣が流通しなくなるという)反対の証明が与えられた。

貴金属の流入について、次のことを注意しておきたい。

第一に、金銀を産しない地域内での金銀の移動と、金銀の産地から他の諸国への金銀の流動を区別しなければならない。ロシアやカリフォルニアやオーストラリアで金鉱が開発されると、それ以後の北アメリカやヨーロッパからのアジア貿易が増大するにつれてアジアへの銀の輸出が非常に拡大し、その増大分が金の流入で補われた。1844年以降は北アメリカやヨーロッパの中央銀行の金属準備高は増大して貨幣流通量が増大したが、恐慌及びそれに続く不況期には銀行準備金はより急速に増大した。

第二に、金銀を生産しない国々の間では、金銀の増減の大部分は相殺されたが、これは商品の輸出、輸入関係だけではなく、商品貿易とは無関係な貴金属自体の輸入、輸出の関係の表現でもある。

第三に、輸入と輸出のどちらが優勢であるかを示す指標は中央銀行の金属準備高であるが、その指標の正確度は、制度がどの程度中央集権化されているかによる。

第四に、(商品の輸入にともなう)貴金属の輸出ではない貴金属の流出によって銀行の金属準備高が中位の最低限度まで減少する場合がありが、この程度は銀行券の兌換の保証などに関する立法などによる個別事情で任意に決められる。

第五に、国立銀行の貴金属準備の使命(といってもその使命は単独に果たされるわけではない)は三重であること。国際的支払のための準備金として、国内流通の膨張や収縮のための準備金として、預金支払いや兌換の準備金として、そして、これら三つは相互に影響し合う。また、純粋な貴金属流通と中央集権化した銀行制度のもとでは、預金支払いや兌換の準備金としての貴金属が国外へ流出すれば、1857年にハンブルグで起きたように恐慌が起きることがある。

第六に、現実の恐慌はいつでも為替相場の転回の後に、貴金属の輸入が再び輸出を超えた時に、初めて起きたことである。これは、1848年の事例が明白に示している。

第七に、恐慌が終わった後には、それぞれの国にある金銀の相対量は、その国が世界市場で果たす役割によって規定された元来の配分に従って分配されるということである。

第八に、貴金属の流出は外国貿易の状態が変化する徴候であること、またこの変化は再び恐慌へ向かって成熟しつつある前兆であること。

第九に、国際収支はアジアに順(黒字)でヨーロッパやアメリカに逆であることもあり得る、ということ。

貴金属の流入・流出は利子率の変化や信用取引に過剰に影響する。イギリスの生産は大規模だから、平均的に流通している金の量、(7000万ポンド)に比べればずっと少ない金の流出(経験的に最大でも500800万ポンド)が、生産に要する資本の量に与える影響は微々たるものであるのに、そうである。その理由は信用・銀行制度の発展にある。この信用制度は不安と表裏一体をなしているものだからである。

信用制度から重金主義への転換が必要である(第一部第三章で、支払手段としての貨幣機能の拡大つまり信用の拡大は恐慌の可能性を高めるから、重金主義が必要と述べている)。

信用は、富の社会的形態としての貨幣の地位を奪う。「生産の社会的な性格に対する信頼こそは、生産物の貨幣形態を、ただ一時的でしかないもの、ただ観念的でしかないものとして、単なる心象として、現れさせるのである。ところが、信用がゆらげば―――そうした局面は近代産業の循環では常に必然的に出現する―――、たちまち一切の物的な富が現実ににわかに貨幣すなわち金銀に転化させられなければならなくなる。それは気違いじみた要求だとはいえ、この要求は制度そのものから必然的に出て来るものである。<中略>それは資本主義体制の中ではじめて最も明確に、そして馬鹿げた矛盾と背理との最もグロテスクな形で、現れるのである。」

第二節 為替相場

{エンゲルスの挿入部の解説:(エンゲルスによる金利と為替相場と金保持量との関係の説明)各国の貨幣はその国では使用できるが外国では使用できない。しかし、貿易の場合には商品が国家間を移動するから、決済通貨の交換が必要になる。国家間の異なる通貨の交換比率、すなわち為替相場は、国家間での支払債務の比率が変われば変わる。例えばイギリスとドイツの貿易において、イギリスの支払債務が増加すると、イギリスの貨幣とドイツの貨幣の為替相場はドイツ貨幣高になる(ドイツの貨幣に交換する需要の方が、その逆よりも多いから)。ドイツ貨幣高は、為替でドイツ貨幣に交換するよりも金をドイツへ送る方が引き合うところまで進むから、金流出防策として金利の引き上げが行われる。それは金が流出する時は貨幣需要が供給を上回る時だから、当然の帰結となる。}

(以下省略)



第三六章 資本主義以前 

商業資本と双子の兄弟である高利資本と呼ばれるものは、資本主義的生産様式よりもずっと以前の様々な経済的社会構成体の中に現れる資本形態に属する。高利資本が存在するには、生産物の一部分が商品取引の対象となると同時に貨幣の様々な機能が発展していればよい。古代ローマでは、共和制最後の時代以降、高利資本が高度に発展していた。

家父長制的な奴隷制ではなく、後のギリシャやローマの奴隷経済のように、貨幣が他人の労働を購入する手段となる場合には、貨幣は資本となり、利子を生むものとなる。

資本主義的生産様式以前の時代に高利資本が採る特徴的な形態は二つある。一つは、浪費をこととする貴人、主に土地所有者への貨幣貸付、もう一つは、自分自身の労働条件を持っている小生産者(手工業者、自営農民)への貨幣貸付である。前者は富裕な土地所有者たちを、後者は小生産者たちを破滅させ、大きな貨幣資本の形成と集積とに通じる。(高利貸しの地位として残った)ローマの貴族の高利がローマの平民や小農民を破滅させてしまったとき、この搾取形態は終わりを告げて、純粋な奴隷経済が小農民経済に取って代わった。

ここでは、生産様式は変わらずに、生産者の最も必要な生活手段(後の労賃)を越えるすべての剰余、つまり利潤や地代として現れるものが、国家の手にはいるものを除いてすべて、利子という形で取り込まれる。さらに、高利貸しは剰余労働の搾取のみならず労働条件そのもの、つまり土地や家屋などの所有権をも奪う。これらのことは、資本主義生産様式が目指す結果ではなくてこの生産方式の出発点となる既成の前提であった。

高利資本は一方では、古代的および封建的富に対して転覆的破壊的に作用し、他方では、生産者がまだ自分の生産手段の所有者として現れているようなすべての形態を転覆し破壊する。

高利は、生産手段は分散されているのに貨幣財産を集中し、生産様式を変化させないで搾取し衰退させ、ますますみじめな条件のもとでの再生産を強制する。だから高利に対する民衆の憎悪は古代社会において最も激しかった。そこでは生産者が自分の生産条件の所有者であることが国民の独立性の基礎だったからである。

奴隷制でも封建制でも、生産様式がそのままで剰余価値が一層食い潰されている限り、労働者は一層苛酷な労働を強いられ、それを強いる奴隷所有者や封建領主は高利貸しから吸い取られ、ついには古代ローマの騎士のように高利貸しに席を譲る。昔の搾取者が行う搾取は家長的であったが、それは家長的なものが政治権力手段だったからである。だが、今では高利貸しが搾取者となる。しかし、生産様式は変わらないままに。

資本主義以前のすべての生産様式のもとで高利が革命的に作用するのは、ただ、高利が所有形態を破壊し分解するからである。アジア的な諸形態のもとでは、高利は、経済的衰微と政治的腐敗を引き起こしながら長く存続する。封建領主や小生産が没落し、労働力が資本のもとに集中するなど資本主義的生産様式が可能な条件が満たされてはじめて、高利は新たな生産様式の形成手段の一つとして現れる。

中世では一般的な利子率というものはなかったが、貨幣流通は少なく手形取引が未発達の状況で、支払手段が現金であったので借入は必要であった。教会は利子取引を禁止していたし、法律も裁判も貸付を安全にしなかった。従って、8世紀~18世紀までの色々な地方でさまざまな利息があったが、総じて利子は高かった。

高利資本は、資本の生産様式を持つことなしに資本の搾取様式を持っている。このことは、例えば利子率を比較する場合には注意が必要である。

高利は、消費的な富に比べれば、それ自身資本の成立過程として歴史的に重要である。商品経済が未発達なほど貨幣は支払手段の形態として現れ、貨幣が貨幣として必要とされるようになり、貨幣の機能は貨幣資本を発展させ、蓄蔵貨幣の所有者は利子によって貨幣を資本に転化させる。「高利はいわば生産の気孔の中に住むのであって、ちょうど、エピクロスによれば神々が世界と世界との間の空所に住んでいるようなものである。」

戦争によってローマの貴族は、平民に軍務を強制し従って労働の再生産を妨害して破滅させた破滅させた。同じ戦争によって貴族は、貸付分捕り品の銅(貨幣)を法外の金利で平民に貸し付けた、生活必要品は与えずに。そして貴族は平民を債務奴隷とした。カール大帝の治下ではフランクの農民がやはり戦争によって没落させられて、債務者から農奴になるほかはなかった。ローマ帝国では、衆知のように、飢饉のために自由民が子どもや自分自身を奴隷として富者に売り渡さざるをなくなることがしばしばあった。

以上は、一般的な転回点について述べた事例だが、個々に見れば、小生産者にとっての生産条件の維持または喪失は無数の偶然事にかかっており、この偶然や喪失が貧窮化を意味し、高利寄生虫が付着できる点となる。一度高利の虜になると再び自由は取り戻せなくなる。

借地料や年貢や租税などは支払期限があるから、古代ローマから近代に至るまで、高利は徴税請負人につきものである。商業の発展や商品生産の一般化につれて、購買と支払との時間的分離が発展すると、貨幣資本家と高利貸しとの区別がはっきりしない状態となることがあるのは、近代の恐慌時に証明されている。だが、この高利は支払手段としての貨幣の必要を一層発展させる手段となる、というのは高利は生産者をますます深く債務に陥れるからである。

信用制度の発達は高利に対する反作用として実現される。「このことが意味しているのは、利子生み資本が資本主義的生産様式の諸条件と諸要求とに従属するということ以上の何ものでもないし、またそれ以下の何ものでもないのである。」

資本主義的生産様式における利子生み資本を、高利資本から区別するものは、この資本が機能する諸条件が変化したということだけであって、決して資本そのものの性質ではない。財産のない男が信用によって借入が出来るのは、彼が未来の資本家に成り得るからであるが、資本による支配をますます強固なものにする。それは丁度中世のカトリック教会が、身分や素性や財産ではなくて人民のなかの最良の頭脳を登用したのは、聖職者支配と俗人抑圧を強固にする重要な手段であったようなものである。「被支配者階級の最も優れた人物を自分の中に取り入れる能力が支配階級にあればあるほど、その支配階級はますます強固でますます危険なのである。」

12世紀および14世紀にヴェネチアやジェノヴァで作られた信用組合は、高利による支配や貨幣取引の独占から開放されようとする海上貿易とそれに基礎を置く卸売業者との要求から生まれた。これらの都市共和国に設けられた本来の銀行は同時にまた公信用のための施設として現れた。国家はこの施設から徴収予定の租税を担保として前貸しを受けたが、その際には次のことを忘れてはならない。かの信用組合を作った商人達は自分たちの政府と自分たち自身とを高利から解放すると同時に、それによって国家を自分たちに従属させることに関心を持っていた、ということを。

17世紀初め頃には、アムステルダム銀行もハンブルグ銀行も純粋な預金銀行だった。オランダでは商業信用や貨幣取引業は商業や製造工業と一緒に発展し、この発展プロセス自体によって利子生み資本は産業資本や商業資本に従属していた(これは利子が低かったことに現れている)。17世紀のオランダは今日(19世紀)のイギリスのように経済的発展の模範国として認められており、貧窮を基盤とした古風な高利の独占はすでに覆されていた。

18世紀の全体を通じて、オランダに倣って利子生み資本を商業資本と産業資本に従属させようとするために、利子率の強制的引き下げを求める声が響き、立法もそれに沿って行動した。この主唱者はイギリスの株式売買業の父であり東インド会社の独裁者であるサー・ジョサイア・チャイルドだった。

17世紀の最後の1/3期から18世紀の初めのイギリスの銀行制度に関する全ての著述において、このチャイルドの著作に見出されるのど同様な主張、つまり高利からの商業や産業や国家を解放するという要求が見出される。また、同時に、信用や貴金属独占排除の奇跡的作用、紙幣の貴金属代位、等々についてのとてつもない幻想も見出される。

重農学派では耕作者は大借地農業者を意味し、サン・シモン(1760-1825)の学派では勤労者は一貫して労働者を意味しないで産業資本家や商業資本家を意味している。忘れてならないのは、サン・シモンは最後の著作で初めて労働者の代弁者として現れ、この会級の解放を彼の努力の最終目的として言明した。

忘れてはならないのは、「第一には、相変わらず貨幣(貴金属の形態での)が土台であって、この土台から信用制度は事柄の性質上けっして離脱することができないということである。第二には、信用制度は私人の手による社会的生産手段(資本や土地所有の形態での)の独占を前提するということであり、信用制度はそれ自身一方では資本主義的生産様式の内在的形態であるとともに他方ではこの生産様式をその可能な限りの最高最終の形態まで発展させる推進力だということである。」

資本の社会的性格は、信用・銀行制度の十分な発展によって実現される。この信用・銀行制度は資本の私的性格を廃棄するのであり、従って潜在的には資本そのものの廃業を含んでいるのである。

銀行制度は、貨幣が労働とその生産物との社会的な性格の一つの特殊な表現に他ならないこと、この性格は私的生産の基礎に対立するものとして常に結局は一つの物として、特殊な商品として、現れざるをえないということを示している。

最後に、「資本主義的生産様式から結合労働の生産様式への移行に際して」信用制度が強力な梃子として役立つ事は疑いの余地はない。しかしそれは限定的なものであって、「社会主義的な意味での信用・銀行制度の奇跡的な力についての諸々の幻想」は、信用・銀行制度ついての無知から生まれるのである。



中世の利子 (省略)

利子禁止が教会に与えた利益 (省略)