2016年5月9日月曜日

親族の基本構造(レヴィ・ストロース)

クロード・レヴィ=ストロース 親族の基本構造(福井和美訳、青弓社)
サマーレディなど

29章のうち第1章から第10章まで(3,6,7,8章は抜粋)
(   )内は文脈から推測して補足した文章、[  ]内は小生の文章

初版序文(1947/2/23)
親族の基本構造とは、親族の範囲と、その親族の中での可能配偶者と禁忌配偶者を区分することを同時になす体系である。本書の根本的目的は、婚姻規則、親族分類法、特権・禁止体系が、親族の基本構造における互いに不可分の側面をなすことを明らかにすることである。
比較社会学的研究は、資料の選び方と事実の利用法に困難な問題を含んでいる(要するに、信憑性の吟味を要する膨大な資料から、どのような考えに基づいて当該体系を抽出すればよいかということ)。本書ではこの問題に対して次のような考えをとる。(個別から総合へと進むから)はじめは多数の主観的事実から出発し、次に少数の典型的な実例を選別して深く検討し、それらを総合して一般化する。実地踏査の役割は、仮説を生み出し、直観を導き、原理を例証することにある。(多様な文化から取り出された)実例の役割は、印象を育み、主観的事実が人間の信念や恐れや欲望の中に立ち現れるさいにまとう雰囲気や色合いを確定することにある。

第二版序文(1966/2/23)
私自身は手をつけるつもりがなかったが、「双方的」ないし「無差別的」と言われる出自体系について、綜合的な検討の場を設けるのがやはり望ましかった。この種の体系は執筆時に考えられていたよりも多く、性急に新しい種類に含められた体系もある。今ではそれらの体系も再び単方形式に帰着させることが出来るのでは、と気付かれはじめている[1]
批判があったムルンギン型体系(12)とカチン型体系(第1517章)は、解釈の有効性は失っていないので再録した。第2部のうち、中国とインドの部分(第19章~第27章)についても手直しを控えたが、それは、かくも粗雑な部分を吟味する気力も意欲も今や無くなってしまったからである。読者には、これらの篇を、民俗学の進歩によって乗り越えられてしまった段階として受け取ってくださるよう切にお願いする。
序論で触れた基本的部分については、新しい事実が沢山もたらされ、私の考えも進んだので、今なら別の書き方をする(部分があるがしていない)。インセスト禁忌[2]については遺伝学的側面をぞんざいに扱いすぎた。
自然と文化の対立については、解剖学と大脳生理学研究の進歩が分節言語の有無という視点を強化した。
しかし、(自然科学的観察・研究による)多くの現象が明らかになってきたので、自然と文化の境界線は細く不鮮明になってきた。(例えば)昆虫から哺乳類に至るまでの複雑なコミュニケーション手段が見いだされてきたこと、ある種の鳥類や哺乳類、なかんずく野生のチンパンジーの道具製作・使用能力が知られ始めたことなど。
ホモ・サピエンス種が、もろもろの中間種に対して行われていたと想像できる何十万年に亘る殺戮を思えば、文化と自然の対立は、世界秩序の原初的側面でも客観的側面でもなく、文化の側から人為的につくりだされたものと見るべきだろう(人類は、自身に近い既に絶滅した中間種を殺戮していたときに、彼らを自然と見なしていたのかそれとも文化の担い手として見なしていたのであろうか)。以降省略。

【予め知っておくと便利な出自・出自集団関連の用語、概念の解説】
「出自」:親族関係に関わる譲渡を司る原理。財の移転(相続)、身分・職務・帰属・権利等の移転(継承)が含まれる。
「単系出自」:父系出自、または母系出自のこと。著者においては、「系」と言えば「単系」を意味し、始点(と終点)を結ぶ線として捉えることが出来る。
「父系出自」:上記移転の経路が父を通る場合。
「母系出自」:上記移転の経路が母を通る場合。但し、実際の移転の経路が母方オジからその兄弟の姉妹の息子(甥)へ向かいことが多いので、実は「オジ系出自」と言うべきだが、この用語は存在しない。
「単系二重出自」:父系出自と母系出自が共存する場合。例えば、不動産は父から息子へ、動産は母の属する集団へ譲渡される場合。著者は第8章で「両系出自」と言っている。
「無差別出自」:一般に、父系出自でも母系出自でもない場合。著者は第8章で「共系出自」と定義し、この言葉は基本構造の範囲に入らないとして検討外になっている。
「出自集団」:「系」の始点を共有する集団。例えば始点をアマテラスとすると日本民族はその出自集団と言うことになる。
「部族」:最大の出自集団。(大きすぎて)婚姻や親族関係水準においては重要な単位にはならない。「系」以外の共通項は共に働いているという概念とその実践である。[上の例題に照らすと、アマテラスを出自の始点と考えるなら、人類学的に言うと日本部族という概念で捉えることが出来る]
「クラン」:部族の下部単位。単位婚姻や親族関係の水準において重要な単位だが、リネージに比べて、規模や歴史において系の明瞭さに欠ける。
「リネージ」:婚姻や親族関係の水準において重要な単位だが、系が明瞭なので協働に関する連帯性が強い。だがクランに比べて分裂増殖へ向かう傾向が強く集団の安定性欠ける(結婚して子供を持てば誰でも始祖になり得るから)。

序論
第1章 自然と文化
いままで、自然状態と社会状態(文化状態)の区分や解釈がなされてはきたが、この二つの区別に関わる原理の探求は回避されてきた。
ネアンデルタール人の石器加工技術と埋葬儀礼は、彼らが(動物と同じ)自然状態ではなかったとはいえても、文化的水準からすると新石器時代人とは絶対的に分かたれる。重要なことは、この二つの区分は、歴史的意味を欠くが論理的価値を持つ[3]ことに気づかれ始めていることである。人間は生物であると同時に社会的個体でもある(という考え方が、自然と文化という二つの区分に論理的価値をもたらす)。
(自然状態と社会状態を区分した後の)分析に際して、個々の(人間の)態度の原因が生物次元にあるのか社会次元にあるのかと(対立的に)考えるか、その態度は文化的起源にあると前提して、それが生物的出自を持つ行動にうまくつなげる仕組みを考えるか、どちらを選ぶかの困惑が生じる。前者の考えは、生物次元と社会次元への移行問題を解決できない謎へと導き、後者は社会現象の解明そのものを禁じることになって、今までのところ、この二重の問いに答える十分な方法は無い。
一つの方法は、隔離した新生児を文化から隔離した環境で観察する実験だが、母親の世話があればこの条件は満たされず、更には実験環境自体が人為的であることには変わりがなく(現実的には)困難である。
人為的ではない偶然を利用して観察する方法もある。いわゆる「野生児」の研究だが、これらの子供達の大半は先天的不適応児であった[4](ので参考にならない)。さらに原理的理由によりこの方法は退けられる。人間には、孤立した個体が退行的に帰って行けるような種本来の習性というものがないからである。「野生児」は文化的な怪物であっても文化以前の状態の証人であり得ない。
従って、方法は他の生物から求める他はないが、それは可能だろうか。昆虫社会は解剖学的装備や遺伝を介した行動の伝達が自然の属性であるから、そこから文化への通路は求められないだろう。動物社会のような集団的構造物には、言語、道具、美的・道徳的または宗教的価値体系という普遍的文化モデルは入り込む余地はない。しかし類人猿ならその端緒が見いだされるだろうか。
ここ30年ほどの大型サルの研究は、その期待を裏切るものであった。観察の内容は、社会次元へと飛び越えるには貧しいものである。サルは言語的能力、即ち音声に記号としての性格を付与する能力を決定的に欠いている。
この確信は、個体の観察による個々の経験値から、全体集団の一般的結論は引き出せないと確認したときに、動かしがたくなる。脊椎動物の集団内部における序列関係の秩序は著しく安定しているが、秩序の規則性からの逸脱はある一定期間毎に頻繁に発生して秩序の固定は妨げられている。類人猿についても同様であるが、行動の不規則性や好みの個体差はより激しい。全体から推測すると、大型サルは、大部分のほ乳類と比較して、種としての行動から離れる力があり、本能的振る舞いが弱まっているとはいえ消極的なものでしか無く、代わりの規範を作るまでは行っていない。
このサルの行動の不規則性は、自然過程と文化課程の区別の原理基準を見いださせてくれるかに見える。この点について人間の幼児・子供とサルとの対比は示唆に富んでいる。集団との関係におけるすべての問題に対して、個々の幼児・子供の場合は明瞭な区別、即ちある規則によって解決されるが、個々のサルの場合は偶然にゆだねられている。恒常性と規則性の現れる領域は、自然の中にも文化の中にもあるが内容は異なっていて、前者の中では生物学的遺伝、後者の中では外在的伝統である。自然と文化は連続的なものではなく、この二つの次元の対立点を(連続したある地点において)明確にすることはもともと不可能である。
結局、いかなる実証的分析も自然と文化の事象の移行地点や結節の仕組みを解けなかったが、自然状態と文化状態を区分する(論理的)基準が見いだされた。即ち、次のような仮定である。『人間のもとにある普遍的なものは何であれ自然の次元にあり、自然発生を特徴とする。規範に拘束されるものは何であれ文化に属し、相対的・個別的なものの属性を示す』。こう仮定すると、規範と普遍性という性格を不即不離の形で示す一つの事実に遭遇する。それはインセスト禁忌である。インセスト禁忌は(禁忌だから)規則をなすことは明らかだが、あらゆる社会規則の中でこの規則だけは同時に普遍性という性格を有するのである。つまり、インセスト禁忌に対するルールは様々な社会で異なっても、禁止自体は普遍的に存在する[5]
このことは、いろいろな民族、地域、時代の記録において認められる(パヴィオツォ・インディアン、エジプト、ペルー、ハワイ、アザンデ、マダガスカル、ビルマ、オーストラリア、トンガ、エスキモー、古代エジプト)[6]
別の言い方をすると、インセストという禁忌は存在しない。つまりインセストを(規則として)禁止することなど誰も考えはしない。それは実際には起こりえない何かであり、万一起きたとすると前代未聞のもの、驚異であり、恐怖と戦慄を振りまく侵犯である。

第2章 インセスト問題
ここではさしあたり、インセスト禁忌の両義性・曖昧性(普遍性と規範という)が二重性格に由来することを指摘するだけでよしとしよう。
人間の性生活自体が、動物的本性と目的において二重に集団の外にあり、その目的においても(個体的欲求の充足と雄雌一対の複数的衝動の満足という点において)集団を超越する。そもそも性生活そのものが自然の内部で既に社会生活の端緒をなす。
従来は、インセスト禁忌の両義性を説明する(意味・価値を理解する)より解消する(両義性、いわば矛盾を解消する)ことが、社会学者達の殆ど唯一の関心事であった。この解消の仕方には三つのタイプがあり、ここではそれらの本質的特徴を議論するにとどめる。
第一のタイプは、インセスト禁忌の二重性を保持しながら、それを(普遍性と規範という)二つの局面に(単純に)振り分けるもので、多数の社会に生きている俗信に追随するものである。(結局この考えは)インセスト禁忌(という規範)は血族婚の有害な結果から種を守る防衛策であるというものである。[インセスト禁忌の両義性の矛盾を解消する考えに相当するとは思えないが?]
この説は、西欧社会では仮説としても16世紀以前には存在しない。未開民族の民話には、この考えを支持するとして例に引かれるものがあるが、よく観察すればそうではないことがわかる(規則破りに罰があるのであって、罰が下るから規則があるのではない)。
(そもそもインセスト禁忌の優生学的な根拠は無いのであって)旧石器時代末期以来、人間は同系交配という方法で植物種や家畜を改良して成果を得てきた。人類がこの方法を人間へ応用すれば成果を得られると考えたとしても不思議ではないのに、それ行わなかったのはなぜだろうか。
未開社会においては、交叉イトコ(親同士が兄弟~姉妹)同士の結合を積極的に認めるが平行イトコ(親同士が兄~弟または姉~妹)同士の結合は兄弟~姉妹間における結合と同等に禁止されるという状況は頻繁に観察される(遺伝学的には同等でも社会的な禁止関係には差異がある。だから、インセスト禁忌が優生学的に根拠を持つとはいえない)。
トウモロコシの交配に関するEM・イーストの科学的研究[7]は、近親婚に対する俗信には根拠があると結論づけた著者の視点とは逆に、近親結合に関する偏見を一掃することに貢献した。この研究は、同系交配によりある品種系統をつくりだす際に、はじめは劣性形質が現れてくるが、次第に変異度は低下して安定した基準標本なるというものだが、そのことは、人類がはじめから内婚をしていたならばその危険は既に除去されていたことを意味するから。
ダールベルクは遺伝理論の観点からは婚姻禁忌に正当な根拠があるようには見えないと結論した[8]。つまり、同系遺伝子の結合が選択的であってもそうでなくても遺伝子の一般的性質と個別的特性に変化はないこと、選択的結合が中断されれば同系遺伝子を持つ個体群も無選択交配体系の構成に戻るので血族婚は持続的影響力を持たないこと、またこの影響力が減少する程度(劣性形質の減少率)は集団規模が小さい方が早いこと、からそう結論づけた。突然変異による劣性遺伝異常の出現についても、ダールベルクの計算によれば、その確率は小さな個体群であっても無視できるほどである。
第二のタイプは、インセスト禁忌制度の自然性と社会性とがなす二律背反から、一方の項を排除しようとするもの(の内、社会性の項を排除したもの)で、インセスト禁忌は、人間が本来持っている恐怖や嫌悪や(刺激が鈍化していく等の)生理的性質によるものである、と考える。
だが個々検討してみれば、そう考える根拠はない。それらの説明は、論点先取り(観察記録の説明に、観察記録を前提とする)や事実誤認(インセストの事実は沢山あるのに無いとする)などに基づいているからだが、何より決定的なことは、インセスト禁忌が自然性に基づいているなら、規範として抑止する必要はないということである。
社会は自分が生み出したものしか禁止しない。(インセストと同じく自然に反する)自殺と異なり、インセストは社会に不利益をもたらさない。インセストが社会秩序にマイナスとなる理由はまだ見いだされない。
第三のタイプは、インセスト禁忌に純然たる社会起源の規則を見るものである。このタイプの人々は、インセスト禁忌の親族範囲が恣意的であるという、インセスト禁忌形態に注目する。
外婚をインセスト結合の予防手段と考える仮説は、外婚についてもインセスト禁忌についても何の説明もしないからここでは取り上げない。
第一のグループ[9]の考え方は、外婚習慣を戦争による略奪婚の習俗化であるとすることに基づいているが、この考えからインセスト禁忌の法則を導くことは、特別な現象から一般法則を導くことになるから無理がある。
第二のグループ[10]の考え方は、三つの性格を持っている。第一に、限定された一群の社会の観察を普遍化することで仮定の基礎を作る。第二に、インセスト禁忌は外婚を遠因とするその帰結であるとする。第三に、外婚規則が別次元の現象に基づいて解釈される。デュルケムはオーストラリア諸社会の観察を基にして、その社会における「実質的同一性」への信仰(トーテム信仰)が外婚規則を生み出し、インセスト禁忌は外婚の残渣であると考えた。トーテム信仰は、呪術や生物学的共同性が同一クランの成員を一つに結びつける根拠と考え、その神聖な象徴をクランの血、とりわけ月経血と考えた。神聖は恐れをもたらし禁止を生むから、外婚規則が生じて、インセスト禁忌が外婚規則の残渣となるという論理である。だがこの論理は恣意的であり、論理の繋がりを否定する観察や考えもある。
インセスト禁忌が現代においても機能しているなら、それを歴史の残渣とする考えは普遍性と矛盾する。問題の本質は、歴史上のあらゆる社会において、男女関係の規制が存在する理由にある。
われわれがここまでなしてきた分析は期待に応えてくれなかった。現代社会学がこの問題に対して無力である理由は明確で、方法が不十分なことを認めずに、むしろ自分の領域外にあると公言するからである[11]。インセスト禁忌は、人間が決める規則の存在の根拠が自然科学に求められる唯一の事例なのかもしれない。
しかしローウィも、この問題が規則の問題であるかぎり社会学の領分に属することを知っており、後年「しかしかつてのように私は、インセストが本能的嫌悪を煽るとは考えていない。(略)われわれに必要なのはインセストへの嫌悪を古い文化的適応と考えること---」などと述べているが、理論としては全面的に破綻している。逆にこの破綻の原因を分析して修正すれば民俗学の礎と築くことが出来るだろう。
以上三つのタイプの考えでは、インセスト禁忌の両義性の矛盾を解決できなかった。結局一つの道だけ、即ち静的分析から動的総合へと至る道だけが開かれている。インセスト禁忌は純粋に、文化に根ざすものでも自然に根ざすものでもなく、文化の一部と自然の一部を混ぜたものでもない。インセスト禁忌は、それによって、とりわけそれにおいて、自然から文化への移行が達成される根本的手続きなのである。それは、自然が文化の一般的条件をなすという意味において自然に属するが、(規則であるという意味においては)文化でもある。インセスト問題は、人間の生物としての生と社会的なものとしての生、のどちらか一方にだけ属するものではなく、その二つの生の間の関係に係わるもので、この変則性を(関係or結びつきを)解明することが本書の課題である。
この結びつきは、静的でも恣意的でもなく、結びついた途端に全体が完全に変更されてしまうのである。ゆえにそれは結びつけるというより変換する、移動させるものである。インセスト禁忌とは自然が自己を乗り越えるプロセスであり、それが引き起こす火花によって新しい複雑な心的構造が、単純な動物生活の諸構造を統合しつつ形成される。インセスト禁忌は新しい秩序を到来させる、その到来自体である。

第1部 限定交換
第1編 交換の基礎
3章 規則の世界(抜粋)
[この章は、著者の考えが端的に表現されていると思われる箇所の抜粋にとどめた。また、別紙図のツリーマップ(Free Mind利用)も参照してください。]
既に自然は「与える-受け取る」の二重のリズム、婚姻と親子関係の対立として現れるリズムに自ずと従って働いている。自然にも文化にもこのリズムはあって、いわば共通の形式を両者に付与するが、自然と文化とではリズムの現れ方が違う。自然の領域の特徴は受け取ったものしか与えないことにある。このことの永続性・連続性の表現が遺伝現象である。文化の領域では逆に、個体は常に与える以上のものを受け取ると同時に、受け取る以上のものを与える。この二重の不均衡は、互いに逆方向であるプロセス、教育されることと創造していくことの中にそれぞれ表現され、どちらのプロセスも遺伝プロセスに対立する。(中略)要するに自然から文化への移行問題は、いかにして累積プロセスが反復プロセスの中に繰り込まれるかという問題に帰着する(P100-101)。
自然は配偶を命じはするが決定せず、文化は配偶を受け取るが早いか、まさにその方式を定めるのである。規則であるとの性格と共に普遍性をも帯びるインセスト禁忌のきわだった矛盾は、かくして解消する。普遍性はただ次のことを意味しているにすぎない。すなわち、噴出した泉がまず最初に噴出口のまわりの陥没を水で満たすように、いつでもどこでも、文化がからっぽの形式を内容で満たしてきたのである。言うところの内容とは、文化の恒常的・一般的実質をなす<規則>であるとの確認だけでとりあえず満足し、なぜこの規則が特定の親等を禁忌に付すという一般的性格を示すのか、なぜこの一般性格が奇妙なほど多様な現れ方をするのかは、まだ問わずにおこう(p103)。

第4章 内婚と外婚
集団は、集団的公正さから見て本質的価値と映るものについて監督権を主張するが、配偶者の選定はこれに値する。集団は、自然が家族に配分する男女数の不平等を承認せず、すべての女に対する性的接近の自由をすべての個体に認め、この自由の基盤を次のような唯一可能な原則に求める。
即ち、兄弟、父親の続柄は女を配偶者として要求する資格を持たず(近親ほど生活の密着度が強いから支配力も強いにもかかわらず)、女をめぐる獲得競争においてすべての男の平等を侵害しない要件のみが配偶者獲得権請求資格を有効にすること、つまり、女たちに対する男たちの個々の関係が、家族ではなく集団を規準に定義されること、と言う原則である。
この原則は、個体にとっても有利であり、(集団にとっても)結婚対象として処分可能な女の数は増大し、かつ平等となる(から有利である)。結果が重要なのであり、このような推論が(未開の人たちによって)なされる必要はなく、ただ、集団生活から直接もたらされる心理的、社会的緊張が自然発生的に解消されること(がわれわれに理解されるよう)になればよい。
この社会的緊張の自然発生的解消は、特権を享受したいと思わなくなることに由来する。結晶化前の社会生活形態、例えば状況的偶然性(天災、戦禍)から形成される自然発生的共同体(避難所、収容所、偶然的な子供の集合等)では、特権は、ねたみ、暴力による特権剥奪に対する恐怖、集団全体を敵に回すことへの不安、をもたらす。従って、そのような社会においては、人々は特権を享受したいと思わなくなる。このモデルは動物の生活でも観察されている。
まだ問題の立て方は粗雑だが、野生民族の歴史においては、タイラーの言い方「嫁に出し尽くすか殺され尽くすか」の単純にして容赦のない選択を絶えず突きつけられてきたことは間違いがない。
(この原則に対する)集団の示威が全成員に対して有効となる表現がインセスト禁忌である。(女の獲得に関わる集団の介入は)競争相手としての個的三角関係[12]の姿における介入に始まり、婚姻禁止を示威する集団の介入へと繋がっていく。婚姻可能な関係は、集団を規準にして定義されたものでなければならず、自然的関係であってはならず、集団生活と相容れない(既に示威されている)帰結を一つも伴ってはならない。
要するにインセスト禁忌は、このような介入を有効にする条件であり、男女関係に関して好き勝手なふるまいは許されないとの集団の側からする(消極的=否定的)主張に他ならない。しかし一方において、禁止には積極的側面があり、それは組織化の端緒を開くことになるのである。
禁止(インセスト禁忌)が積極的側面を持つということについて、次のような反論がある。それは、オーストラリアやメラネシアのいくつかの地域にある、老人に有利なように設けられた女を独占する権利や、もっと広く言えば複婚は、(女の平等分配原則にもと基づく)インセスト禁忌にそぐわないから、(そのような習俗があるところで)インセスト禁忌が組織化の機能を果たすとは思えない、というものである[平等、或いは自由の原則が共同体内、或いは共同体間の組織化を促す、という前提が隠れている]。だが、それには集団の存続という観点から答えることが出来る。つまり、個々の婚姻機会は減少しても、集団の安全(婚姻機会平等保証)は増加するからである。トロブリアンド諸島では、首長は共通の兄弟と認識されている(ほどである)。
インセスト禁忌の規則的側面は、禁忌全般に妥当する唯一の側面であるが、いまや我々は規則のもっとも一般的な性格に研究の重点を移し、もとは消極的内容だけしか持たなかった規則がいかにしてそれとは次元の違う一連の約定に変わっていくかを、明らかにしなくてはならない。
禁止という優位性の明示は規定でもあり、それは積極的規則や組織化へ繋がる(ことになる)。そして、婚姻を禁止する親族範囲の規定や、婚姻が必ずその内部でなされるべき親族範囲の指定規則が現れる(外婚の概念は婚姻禁止の外側の親族同士においての婚姻許可範囲も示している)。
内婚には、客観的に定義された集団内での結婚を義務とする場合と、主体に対して特定の親族関係を示す個体を配偶者に選ぶ義務がある場合(選好結合)があるが、類別的親族体系の場合には、内婚と選好結合は区別しがたい[13]
(内婚にはもう一つの本質的な概念が含まれている。それは)真の内婚と呼んでいいもので、この視点から見ると、いかなる社会も外婚的かつ内婚的である。この内婚の概念は、婚姻の可能性を共同体の境界外に求めることの拒否、或いは、文化の境界外で実施される婚姻の排除表明である。オーストラリアの原住民はクランに関しては外婚的だが、部族に対しては内婚的だし、現代アメリカ社会では、第一親等には厳格な、しかし第二親等ないし第三親等以降については柔軟な家族外婚が、州ごとに異なる人種内婚に組み合わされている(この人種内婚は、ここで呼んでいる真の内婚に該当する)。
共同体は(文化の境界区分の根拠となる)世界観次第で自他を多様に定義する[14]。しかし大事なことはただ一つ、共同体観念の論理的内包の広がりを知ることである。ドブ島では、先祖伝来の食料であるヤムイモの種芋は、自分たちの集団を維持するものだから人と同等で、白人は人間存在ではない。モルモン教徒の厳格な内婚規定を基礎づけているのは、人間存在の定義に絶対不可欠な真の信仰なので、信仰に恵まれぬ相手より、父親と結婚する方がましとされる。西欧社会でも、イトコ婚割合は偶然性以上である。(内婚の概念を拡張していくと、血縁とは離れて)地位、財産を重視する集団は、それらの地位や財産が内婚の境界となり得るのである。
真の内婚と区別される内婚は、外婚の一機能に他ならず、「機能的内婚」と呼べるもので、「~してはならぬ」を相殺して「~してもいい」から「~すべし」へと変化する。交叉イトコ婚は平行イトコ婚禁止の結果としての最初の選択肢ではあるが、交叉イトコ婚が認可(~してよい)から義務(~すべし)へとも解されるのは、後に述べるように互酬体系をもたらすからである。交叉イトコ婚とは、本質的に一つの交換体系である。(イトコ関係よりも)親族関係が遠くなるほど事態は複雑で、脆弱となり、完結も不確実な交換周期が必要となる。外婚は一つの社会的進歩、冒険である。
配偶選好は当該体系固有の交換の仕組みによるのであって、特定集団の特権性によるのではない。位階化の良く進んだ社会の婚姻規則の研究では、内婚の二形式(真の内婚と機能的内婚)を区別するのはことのほか容易である。真の内婚は、社会階級が上位ほど際立つ(古代ペルー、ハワイ諸島、アフリカの一部民族)、機能的内婚は、位階が上がるほど目立たなくなる。封建社会では縁組関係の維持拡大が求められるから、最上位の階級は外婚を義務づけられることがある。
内婚・外婚概念は、基礎的諸関係からなる体系に対する、緊密に関係し合う各々の視点と考えるべきである。アビナイェインディアンの外婚集団kiyの事例において、内婚概念と外婚概念との相関性が明確に浮かび上がる。 kiyは四つあって、集団Aの男が集団Bの女をめとり、集団Bの男が集団Cの女を、集団Cの男が集団Dの女を、集団Dの男が集団Aの女をめとる。出自規則もなんらかのイトコ婚の禁止規定もなければ、われわれが後に単純な全面交換体系として性格づける体系と言っていい[15]。実際には男の子は父の身分に、女の子は母の身分に準じるので、ABBCCDDAが内婚集団を作り、各kiyの男性親族集合と女性親族集合の間には親族関係がない。(例外であるとは考えていない)この事例だけでも、内婚カテゴリーと外婚カテゴリーが客観的に存在する独立した実体としてあるのではないことが明らかになる。
しかも、内婚と外婚の相互反転性がある[16]。インドネシア域で、イフガオ語の「姻族」は、同地域での「他集団」を原意とし、「敵」「婚姻による親族」を派生語とする語根に相当する。イフガオ語の「主体と同世代に属す親族」を意味する語は、マレー諸語では「原住民」「兄弟姉妹」「姉妹」「妻」の意味を持っている。古語における両義性からも(日本語の「imo」は「妻」と「姉妹」の両義を持つ)呼び名の研究からも(日本、エジプト、サモア諸島、バタク民族等インドネシア地域)そのことが伺える。
真の内婚は、自力で自分を乗り越える力を持たない硬直的制限原理であって、機能的内婚とは異なるものである。外婚は一つの互酬規則であり、インセスト禁忌が拡張された社会的表現である。(別の見方をすれば)インセスト禁忌は交換を保証し基礎づけるためにある。この保証と基礎づけはいかに、またなぜおこなわれるのか、いまやそれが明らかにされなくてはならない。[外婚が互酬規則でインセスト禁忌が交換の保証と基礎づけである、ということは、これまでの説明ではまだ説得力を持たない]

第5章 互酬原理
モースは「贈与論[17]」において、次のことの解明を目指した。第一点は、未開社会での交換は商取引よりむしろ互酬贈与の形で現れること、第二点は、その互酬贈与は西欧社会におけるより遙かに重要な位置を占めること、第三点は、この原初的交換方式は単なる経済的性格を持つだけではなく「全体的社会事象[18]」という意義を持つと言うこと、である(そしてそれらは、多くの未開社会において現に我々が直面するもの[19]である)。
(互酬贈与において)贈与されるものの価値に対して、返礼される贈り物の価値の方が上回り、また、返礼した側には返礼の贈り物より価値のある贈り物をもらう権利を生じさせる、という制度(儀式)がしばしば見受けられる。その典型はアラスカやヴァンクーヴァー地域のインディアンたちが行うポトラッチである。ポトラッチが繰り返されていく過程で贈答品の総価値が増大して、何万枚の毛布となることもある。(ポトラッチという)儀式は三つの機能を持っている。第一は利息付きの返還、第二に、肩書きや職務特権に対する家族集団ないし社会集団の権利請求の公認や身分変更の公示、第三に、気前の良さにおいて競争相手を凌ぎ打ちのめして特権、肩書、地位、権威、威信をもぎ取ること[20]、である。(モースやバーネット達の研究をも併せて考察して)地域的ばらつきはあるにせよ、ポトラッチに類似した諸制度の多様な側面は一つの全体をなしていて、南アメリカ、北アメリカ、アジア、アフリカにも体系化された形で見いだせる。ポトラッチは一つの普遍的文化モデルである。
未開の思考に含まれているポトラッチ的態度には二つの前提(本質的なことがら)が、暗黙裡に、或いは明示的に込められている[21]。一つは、贈り物を互酬することがその譲渡様式を作り上げていくこと、もう一つは、互酬贈与の本質的目的は経済的利益を得ることではなく、別次元の現実性を持ったもの、すなわち威力、権力、共感、身分、情動などの媒体である、と言うことである。未開の思考にとって、交換の繰り返しは(そのポーズを含めて)結束と競争の土俵上における安全獲得、危険回避をめざす巧みなゲームなのである。(そのような社会においては、富を獲得することよりも経済的損失を被る犠牲を伴ってでも贈与すること)富の所有よりも分配が威信をもたらし、時には莫大な価値がためらいもなく破壊することもある[22]
互酬贈与を通して入手される実利品には神秘的付加価値が伴うという観念は、ただ未開社会にだけ広く行き渡っているのだとは思えない。我々の社会においても、ある種の財は互酬贈与の形で獲得されるのが好ましいと見なされているかのようであり、贈り物交換の伝統様式や定期的反復のスタイルもやはり祭りや儀式によって決められている[23]。富の破壊(犠牲)が威信獲得手段であることを思い起こさせる例[24]もあるし、威信獲得のみを目指す富の移転の鮮烈なイメージを提供するのは賭け事である。(ゴールドラッシュ等々の場面での)賭け事を巡る信じられない数々の逸話は、古代における貨幣という富の意味[25]を思い出させる。「過剰」の使用を儀礼化することと「稀少品」の使用を規制することという両極の間に、言うなれば無差別な自由使用な帯域が広がるのだが、要するに切迫した必要があるときか逆に無いときに、分有や分配の洗練化が現れる[26]
(物資が豊富な場合の事例で)一つの一般モデルに直面する[27]。饗宴、ティータイム、夜会などの形で現代にも脈々と生きている、食料の給付という特徴的領域では、「与える」と「受け取る」は(言葉の上からも)同じ意味合いを持つが、これはアラスカやオセアニア(の未開社会)でも同じである。食事とそれに伴う儀礼とを、未開民族の諸制度に関連づけてくれるものは、(食べ物の給付と受領という意味での)互酬的性格ばかりではなく、他者との社会的関係を築く手段にもある。社会的側面が強くなるほど食べ物の類型[28]や供与の仕方[29]も一段と様式化される。伝統的に決まったいくつかの食べ物[30]は出てくるだけで意味深い記憶を呼び戻して、分け合って食べることを命じるのである。実際(未開社会の実例[31]において)、集団が「独りで飲み食いする」者を厳しく裁く。この独特な感情は、前章までで触れてきた同じ型の情動[32]を遠いこだまのように呼び覚ます。
交換の儀礼性は、南フランスの典型的な大衆レストランにおけるワイン交換でも観察することが出来る。このワインは個人的な食べ物ではなくて社会的財であり、その交換は交換された物品以上のものが含まれている。安レストランのテーブルを挟み、見知らぬもの同士が一メートルにも満たない距離を介して向かい合わせに座っている場面で生じるワイン交換[33]は、一見たわいもないドラマに見えるかもしれないが、われわれにとっては、汲めども尽きせぬ考察の糧を社会学的思考に提供してくれるように見える。交換なる全体的現象はまず何よりも全体的な交換であり、食べ物、製作された品物、そしてあの最も貴重な財のカテゴリー、女を含む。ワイン交換のワインを自分で飲むのをためらうことと、インセスト禁忌はタイプとしては同じ現象であり、どちらも同一の文化的複合体、より正確には文化という基礎的複合体の要素をなす、とわれわれは考えるのである。しかも互酬贈与とインセスト禁忌が根本において同一であることは、ポリネシアでははっきりと目に見える[34]
ここで、予想される二つの反論を一掃しておこう。一つは、特殊な意義しか持たない一現象類型[35]から一般性と重要性を持つ(社会)制度[36]を導いている、いう反論である。もう一つは、互酬贈与の本質的性格であり積極的側面であるところの互酬性がインセスト禁忌には完全に欠けている[37]ので、(互酬贈与と婚姻を結びつける)有効な解釈があり得るとすれば、インセスト禁忌ではなく外婚体系である、という反論である。
第二の反論には前章で暗に言及しておいた。インセスト禁忌と外婚とは、二次的性格において、即ち前者では組織性を欠くが後者では組織化されていることにおいて異なっているが、実質的に同一の規則[38]をなしていていると。我々は、インセスト禁忌から外婚への転換という問題をやがて解決しなければならなくなるが、この解決に際しては、外婚もインセスト禁忌も、交叉イトコ婚の提供する最も単純なモデルに即して解釈されねばならいことを明らかにするが、インセスト禁忌が外婚とも別次元の給付交換とも違わないことははっきりしている。
もう一つの反論は、「古代的」という語の二つの可能な解釈のうち、どちらを選択するのかという本質的問題に関わっている。習俗や信仰は、単なる歴史的残渣以外の意味を持たない遺物であると考えるか、あるいは、それらがそもそも出現した理由を説明する役割と本質的に違わない役割を果たし続けているが故に生き延びていると考えるかである。交換の場合も同様である。未開社会における交換の役割は本質的であり、交換範囲には物質的価値、社会的価値、女が含まれていた。次第に商品の側面については別の獲得法に道を譲っていったが女についてはその根本機能を失うことがなかった。その理由の一つは女が典型定期な財をなす[39]からだが、更に重要な理由は、女は(男にとって)唯一充足を遅らせることの出来る本能(性本能)に対する自然的刺激剤だからである。つまり、性本能の場合に限り、交換行為を通しての互酬性が明瞭に意識化されるに伴って、自然的刺激剤が社会的価値の記号へと転換していく可能性、更にこの根本的歩みが自然から文化への移行を決定づけつつ制度へと結実していく可能性、をもたらすからである。
集団から集団、民族から民族への互酬給付品に女を含めることはごく一般的な習俗である。また、どこでも婚姻は、交換周期を開いたり展開していくための絶好の機会と見なされる[40]。(それどころか)婚姻そのものが最も大きな動機をなす給付ともいえるほど[41]である。(給付と婚姻の密接な関係は)我々の社会での言葉使い[42]やゲルマン諸語、アラビア語、等々からも伺えることである。ここでは一般的な観点から、次のように指摘するだけで満足しておこう。新たな婚姻は、別の時点で社会構造のそれぞれ異なる地点において行われたすべての婚姻を、再活性化する、つまり、どの連結も他のすべての連結の上に成り立ち、成り立った瞬間、既存の連結すべてに活力を取り戻させるのである[43]
婚姻交換の発端をなす「代償」は花嫁の連れ出しに対する弁償を意味することを最後に指摘しておかなくてはならない。略奪婚は互酬規則に反せず、略奪は互酬規則を実行可能にする法的手段の一つである。花嫁に連れ出しは、娘を所持する集団が娘を譲与しなければならないとする義務を演劇的に表現し、娘達に対する処分権を目に見えるようにするのである[44]
女そのものが、互酬贈与の形式のもとでしか獲得できない贈り物のうちで最高のものなのである。(未開社会における)給付体系と婚姻の関係を示す例には、夫婦の絆やそれ以前の縁組が示す多要素融合的な性格を示す例[45]、婚姻取引が経済交換をもたらす例[46]、家畜の交換先と婚姻先が同じである規則を持つ例[47]、婚姻の後でも義父と娘婿の間でポトラッチ競争をする例[48]、娘婿は特に義父を称えねばならない例[49]、外婚によって妻になると「食べ物の素」と呼ばれるようになる例[50]、互酬給付の全体が婚姻へと道をつけていく例[51]、など沢山ある。給付体系は婚姻を組み込むだけでなく、それを維持させもする。要するに給付体系は婚姻に帰着する[52]
ブラジル西部に住むナンビクァラ・インディアンの小さなバンドの間で行われている「和解の検査」なる儀礼的所作は、敵対関係と互酬給付品の供給との間には連続性があり、交換とは平和的に解決された戦争であることを示している。ここでの取引は営利目的ではなくまさに互酬贈与である。更に関係が一段進むとそれぞれのバンドの男性成員の間に人為的親族関係(義理の兄弟)を設定することになり、そうなると彼らの婚姻体系から両集団に属する子供達を互いに潜在的配偶者に変えることになる。互酬贈与の途切れることの無きプロセス、敵対から同盟へ、不安から信頼へ、恐れから友情への移行を達成していくそのプロセスの終着、それが花嫁交換に他ならない[53]

6章 双分組織(抜粋)
[この章は、用語や概念の説明に関連している箇所の抜粋だけとした]
【双分組織】
双分組織と言う用語は、公然たる敵対関係から濃厚な親密性に至る複雑な関係を取り結ぶ二つの区分に、共同体(部族または村落)の成員が振り分けられている体系を言い表す場合に用いられ、普通そこには、さまざまな形の競争と協働とが寄り合わされて見出される。多くの場合、これら二つの半族は外婚を行う。半族への分割が婚姻を規制しないときには、この役割はしばしば別の団体形式(クラン、クラスなど)によって担われる(p161)
双分組織は数多くの共通な特徴を示す。出自はたいがい母系をたどり、神話では2人の文化的英雄が重要な役割を演じ、社会集団の二分はしばしば森羅万象の二分へつながり、時には双分組織に権力の二分法が伴う(世俗の長と宗教上の長など)(p161)
双分組織の最も重要な帰結は、個体の相互関係が何よりのまず同一半族への帰属・非帰属に従って決まることである(p165)
以上の事実、さらにそれらに連なりうる他の事実が一致しているように、双分組織は明確な特徴によって同定できる制度というより、多様な問題の解決に応用できる方法である(p180-181)
要するに双分組織の本質は制度であることにはない。(中略)双分組織はなによりまず一つの組織化原理、(中略)なのである。この原理はもっぱらスポーツ競技にしか適用されない場合もあれば、政治生活に拡大される場合も(この場合なら、二大政党制は二元対立の素地をなすか否かとの問いを、愚問としてではなく立てることが出来る)、(中略)ある。(中略)これら形態の共通基盤を理解するには、世界の中から特に選ばれた地域や文明史の任意の時期にではなく(歴史や地理の研究では汲み尽くし得ないp187)、むしろ人間精神のいくつかの基礎構造に問いかけなくてはならない。(p170)
(中略)この例に見られるように、純粋に経験的な平面を背景にして、対立および相関という概念がはっきり浮かび上がってくる。この基本的対立概念が双分原理を定義しているが、双分原理そのものは互酬原理の一様態にすぎないのである。(p182)
【半族、クラン、クラス】
出自がつねに単方的であることが半族とクランとの共通性である。(中略)クランと半族がどちらも外婚単位であるとの仮定に立ってみよう。するとすぐに(クランと半族の)区分が必要になる[54] (p166)
以下我々は、その内部に配偶者を求めることが出来ないとの純粋に消極的な形で外婚的性格を定義される単方団体にクランの用語をあてがい、逆に交換の方式を積極的に決定することを許す単方団体に(婚姻)クラスの用語を当てる。(p167)
クランとクラスの区別は大きな理論的重要性を持つ。(中略)半族を値がn=2の時のnクラン体系と同一視しようとすれば、解決不可能な幾多の困難に出会う。n>2であったかぎりでは、クランの概念にいかなる積極的規定も伴わなかったが、(中略)n=2となるやいなや事態は一変し、消極的規定は積極的規定に変わる[55](p168)
(中略)半族は実は「クラン」の系列にではなく、「クラス」の系列に入る。実際、双分組織はクランの数が2に落ち込むだけでは出現しない(p167-168)
以上の観察を報告した著者も正しく述べているように、カリフォルニアの半族は、結局、厳密に定義された概念に対応する結晶化した制度ではなく、むしろある原理の表現なのである。(中略)個体、家族、リネージ、部族などを、連繋するか対立するかの二極を起点にして互酬関係のなかにまとめ上げる原理なのである(p180)
クランが有力な組織化形式をなす社会であっても、標準的な社会体系が予想外の問題に対して既成の解決策をもたらしてくれないときは、クラスの素地が出現してくるのが見られる。(p181)

7章 「古代的」をめぐる錯覚(抜粋)
[この章は、著者のモチーフが良く伺える記述があったのでその抜粋にとどめる]
インセスト禁忌という普遍的制度とその制度の様態をなす婚姻規制体系とを組み込むことのできる、社会生活のこく一般的な枠組みのいくつかを、我々はここまで、なるほど暫定的・図式的にではあるが、輪郭づけようとしてきた。我々はまだ構図と素描の段階にいるにすぎず、何らかの論証をもたらすほどに機も熟していない。実際、論証は本書の全体をとおしてしか求めようがなく、論証の是非も、我々が事実をどれほどうまく整合的に解釈し得たかに応じてはじめて決定できる。(p187)
我々が持ち出し、それの普遍的であることの立証も可能であると考える心的構造は何から成り立つか。三つの心的構造があると思われる。一つ目は「規則としての規則」への要求。二つ目は、自他の対立を統合できる最も直接的な形式として考えられた互酬性の概念。三つ目は「贈与」のもつ総合する性格で、それは、二個体の合意の上で一方から他方になされる価値の移転が彼らをパートナーに変え、なおかつ移転された価値に新しい性質を付加することを言う。これら心的構造の起源の問題はのちに再考する。それらの構造だけですべての現象が説明されるか否かは、本書の全体を持ってしか答えられないからである。

8章 縁組と出自
[この節は、第1部第2篇(オーストラリア)において詳細が述べられるので、その部分について先行して述べられている箇所については、提起された問題のリストアップのみにとどめた]  
双分組織の半族外婚体系では、父の兄弟の子供達と母の姉妹の子供達は、主体と同じ半族のもとに置かれ、父の姉妹の子供達と母の兄弟の子供達は、もう一方の半族に属す。従って、後者は主体にとって結婚可能な最初の傍系親族である。そして、主体と同じ半族に属するイトコ達はみな兄弟・姉妹と呼ばれ、従ってその親たちはみな父・母と呼ばれ、もう一方の半族に属するイトコ達は夫・妻を意味する名称で指示され、従って彼らの父母はみんな、主体にとって義父・義母と呼ばれる。このような二分法的名称体系、親族区分方法は、多数の未開社会が共通に持つ交叉イトコ選好婚とも一致する。このことは、半族への社会組織化が親族名称に翻訳された[56]とも、双分組織こそ、縁組規則に由来する親族体系が制度面に翻訳された[57]とも考えられる。一般に社会学者達は前者の解釈を好むが、我々の考え[58]では、交叉イトコ婚と双分組織という二つの制度の関係は、単なる派生の形では適切に解釈されえない。
大部分の著者が我々の考えと違う見解を持つには二つの理由があると思われる。一つは、我々(一般)の持っている禁忌親等の観念からは、交叉イトコ婚体系が不合理に見える[59]ので、この制度の全体が次元の違う現象から間接的に帰結したと考えたからで、もう一つは、原住民の神話における半族の制定が意図的改革として描写されているという「めざましい事実」や、それを裏付けるように見えるいくつかの事例の存在である。そこから、双分組織はインセスト防止方法として考案されたと考えた。その際、交叉イトコ婚体系が不合理であると考えた部分は、野蛮の民族ならあり得る体系の欠陥なのだとして処理したのである。
この考え方、つまり交叉イトコ婚を双分組織に対して二次的と見る仮説は、19世紀後半から20世紀初頭において大きな役割を演じた人間諸科学が依って立つある前提を含んでいる。その前提とは、諸制度というものは、歴史的で不合理な起源か、あるいは合理的目的意識からしか出てこないというものである。それに従えば、交叉イトコ婚は合理的動機を欠くから一連の歴史的偶然から生じたことになる。数学的観念は、人間精神の卓越した本質をなすもの以外は、経験に基づく自動的観念連合によって(制度も)構築されるというのだ(これは二律背反であるが)[60]。だが、関係の内在性が実験によって発見されるに及んで、この対立は雲散霧消した[61]
人間の作った制度は構造であり、構造の規制原理は部分[62]よりも先に与えられることがあり、合理的に考案されなくても合理的価値を持つこともあり、それ自体の意義を失うことなく恣意的定式に表現されることもある。我々の考えでは、双分組織も交叉イトコ婚も、未開の思考による基礎的な諸構造の把握を起源としており、これらの基礎構造の中に文化の存立基盤そのものがある。交叉イトコ婚と双分組織は、それぞれの構造を巡る意識化の異なる段階に対応する、と言える。この二つの制度の形式ではなく、共通して伏在している現実に注意を向けることが大切である。
交叉イトコ婚も双分体系もほぼ全世界に広がっているが、その出現頻度は交叉イトコ婚制度の方が遙かに高い。だがこの解釈は、継起関係ではなく、交叉イトコ婚の方が組織化の度合いの低い構造を示すのである、という[63]構造から考察されるべきである。
かくして次のことが言える(著者等の主張)。双分組織と交叉イトコ婚との理論的関連は、どちらも互酬体系[64]であり、どちらも二分法的名称体系に行き着き、どちらの場合でも名称体系の大略は同じである。双分組織は、交叉イトコ婚を端緒にして開かれる体系、交叉イトコ婚を未だ未分化な表現とする体系の、高度に機能特化された定式なのである。交叉イトコ婚はある関係を定義するだけなので、個人が婚姻対象とする集団が規則により決められてはいない。双分組織は一律に当てはめる規則によって二つのクラスを限定するが、個体は広義に解釈されたクラスの相互関係の中に置かれていることになる。これら二つの制度は、いわば結晶化した形式と柔軟な形式として対立する。この区別に先行性の問題は関わってこない。
現代社会と未開社会で観察される親族団体の間には本性上の違いがあると社会学者達は考えてきた。単系出自を杓子定規に解釈すれば、ある系にとっては父母のいずれかの一方の系しか親族関係と認知しないので、家族としての自然な感情と矛盾するからである。だが、1905年のスワントンの研究以来一方のリネージが考慮されているという研究が30年ほど蓄積され、単系社会が例外で両系主義が一般的な定式であると言われるようになった。
我々には真実はもっと複雑であるように見える[65][それを簡単にまとめると次のようになる]。両系主義に基づいている共系体系の規準は土地権体系であって出自規則ではないから、基本的親族構造とは別類型の体系であり、ここでは考察に及ばない。
主体の半族に対置された半族には、交叉イトコ以外の個体、例えば男にとって交叉オバ、交叉姪などの身分を有するものもいるのに、交叉「従姉妹」が配偶者として好まれる理由についての詳細な論証は第11章で述べるが、ここではいくつかの実例[66]と、論証の根拠となる仮定を述べる。その仮定は、父・母リネージの一方が双分組織へ二分された後に、次の世代では同様の二分法が逆のリネージに加えられると言うものである。そうすると、可能配偶者が父方、母方いずれとも異なっていなければならないのなら、それは交叉イトコだけとなる。
限られた事例から一般的結論は導けないし、実際にあるかどうかあやふやな二分法で交叉イトコ婚ほど一般的に存在する体系が説明できるとも思っていない。二分法と交叉イトコ婚、この二つの現象の間にどんな関連があるかが問われるべきである。これについては第一部の数章においてオーストラリアの実例で検討するが、ここでは問いと考え方だけ先取りしておく[以下その話が続くので、ここでは一部の紹介にとどめる]
問いのすべては、オーストラリアは親族規則および婚姻規則という普遍的規則の本性を明かすような事例を提供するのか、それとも我々の目の前には原住民固有の諸問題を整理するために原住民の意識がもたらすローカルな理論があるのか、である。ここに社会科学における説明という根本問題がある。
この点に関する我々の考え方をはっきりさせよう。二分法を規準にして解釈される一つの例は遺伝であり、この場合には分析手続きと分析対象には厳密な対応があって、客観的に実在する [と考えて良い] [67]。代数的方法はデカルトの方法に倣って「よりよい解決に必要なだけの部分に」分割して[68]、得られた結果が事実と合致する程度で方法の価値を判定する[69]。だが、実際、社会学者や原住民は遺伝学者や数学者のようにふるまったのか、あれら基本性格は社会構造の客観的属性なのか、それとも社会構造の属性のいくつかを検証する便利な手続きなのか。
(分析対象となっている)基本単位が外延的に示される例はあるが、外延的に示されることは演繹されることであるから、論理学的に公準として前提することは出来ない。
もっとやっかいな状況がある。方法の作為性を我々は問題にしているのだが、原住民自身が作為性に染まってきた。
のちに分析してみる互隔世代現象(例えば祖父母と孫が名前を共有する現象)は、父系と母系の二回にわたって加えられる両次二分法に実に完璧に一致するが、別の条件においても互隔世代現象は現れるから、この両次二分法が互隔世代現象の原因とは言えない。
交叉イトコ婚は集団に両次二分法を加えたものであることの結果である、とする主張はちょっと検討してみると、諸事実は分析に耐えないことが分かる[70]
互隔世代の弁証法はのちに分析してみるから、ここでは次の点だけを指摘しておく。父系と母系の外婚集団が不特定多数ある場合、二重外婚の規則だけでは、婚姻を双方交叉イトコ同士の結合という理想モデルに適合させるには不十分である。
交叉イトコが父方と母方に区分される現象の理論的根拠はのちに明らかになるだろう(27章インド-互酬周期)。しかし、二つの観察記録は例外として見過ごすわけにはいかない。両次二分法が自動的に生み出されるような団体形式の存在が明確に検証されない場合、二重出自による交叉イトコ婚の説明は例外なく怠惰な説明である。
オーストラリア南部の原住民の習俗であるkoparaの機能は、集団間の交換のバランスシートを均衡に保つことなのだが、特に興味を引くのは、殺人やイニシエーションへの恩義(精神的負債と言う意味を持つ)が通常、女の贈与で精算されることである[71]。ガダルカナル島では、「おまえの姉妹の糞を食らえ」という言葉は最悪の罵詈雑言で、この侮辱は相手を殺すに値するものだが、侮辱した相手が反対半族の場合には、殺す対象は自分の姉妹となる(侮辱した当人が精算するには自分の姉妹が殺す対象)[72]。原住民のこの証言はおそらく神話に根ざすが、ムルンギン[73]の観察記録にも符合する[74]
この事例には共通するある本質的なものが含まれている。それは婚姻交換が多様な交換形式[75]の一例にしかすぎないこと、交換の間に広く互換性[76]があること、などもあるが、婚姻禁忌の問題の核心がこれらの事例は示している。それは、禁忌は禁忌対象よりも論理的[77]に先に定義される、ということである。
別のある事例においては、半族同士の敵対関係は、半族の内在的性格には全く根ざさず、ただ半族の数が2であることのみに根ざしている。だがこの原住民達は他のクランを根絶やしにしようなどとは毛頭思っていない。もしそんなことをしたら妻や子供を獲得できなくなると思っている。食糧祭礼では同じ贈答品が交換されることがあり、先ほどの例のkoparaでも交換された女が交換品として戻ってくることがある。このことは、贈答品には、なにか生得的性格にではなく、構造内の任意の位置に由来する、「他性のしるし」さえあればいいことを示している。行為が行為の媒体を決定するのである。
互酬現象の帯びる性格は、項をなす人間存在よりも、諸項の関係のほうが優位であるような形式的なものに見えるが、そうではない。男女の関係も父系集団と母系集団も対照的・等価的なものではない。根本的事実を見落としてはいけない。すなわち、男が女を交換するのであって、その逆ではない。習俗を理解するには目に見える内容や経験的な現れの考察にとどまってはならず、取り出すべきは、習俗がその表面を照らすにすぎない関係の体系である[78]
婚姻の本質をなす全体的交換関係は、二つの男性集団の間に成立する。女はこの交換関係の中に交換パートナーの一方としてではなく、交換される物品の一つとして登場するのである。女は交換活動を加速したり可能にしたりするが、交換活動の本性を変質させることはあり得ない。この観点は終始厳しく堅持されねばならず、婚姻が人と人との契約という外観をとる我々の社会についてさえ、例外ではない。
母権体制と父権体制の間に、厳格な並行関係を立ててしまうと事実を見誤る。ローウイが「母系コンプレックス[79]」と呼んだものは、一見前代未聞の状況を作りだすかに見える[80]。母系出自とは、妻の父や妻の兄弟が義理の兄弟の村にまで広げていく支配力のことなのである。
マードックは、父系的制度は文化的水準の高まりに応じて優勢になっていくとした[81]。政治組織化の段階に達した社会は、父権を社会全般に広げようとする方向へ傾く。だが、母系的制度に対する父系的制度の絶対的な優位は変わらず、男性優先は(人間社会においては)ともかく一つの恒常的性格を示す。
父系体制に匹敵する数の母系体制が存在するが、母方居住を同時にとる母系体制の数は極端に少ない。これは、男女の非対称性を物語る。また、母方居住を同時にとる母系体制を維持するにはどのような工夫が必要なのかを事例で考察すると納得する[82]。厳密に母方である体系は厳密に父方である体系よりまれで、しかもそれは後者の単純な裏返しではない。「根本的相違」は偏りを持った相違[83]なのである。
今までの考察をもとに、思い切った示唆を前面に押し出してみよう。それは、双分組織は母系であることが多い[84]理由についてである。母系社会というものは、父方母方どちらに居住しようと、出自規則と居住規則が対立することに由来する軋轢[85]を生む。その軋轢の解決は社会単位を地理的に近づけることであり、それを可能にする原理を双分組織は持っている[86]と言うことである。
そして「男子集会所」は儀礼や政治での協力をとおして夫と義理の兄弟とを団結させ、「持ち主」と「よそ者」の間の軋轢を解消し、「女達の君臨」という記憶を神話の中に追いやる。その記憶とは、みずからの果たす妻の取り手という役割と姉妹の与え手という役割とのあいだにいつでも立ち現れては、男達の交換の実行者であると同時に犠牲者にもしかねなかった二律背反を、彼ら男達が解決できずにいた時代の記憶のことだと言っていいだろう[87]

9章 イトコ婚
互酬原理は、相補的だが異なる二つの働き方をする。可能配偶者集団をつくりだす働きと個別的関係を決める働きである。それらは同時に与えられ、前者は婚姻クラスと言う手段をもたらし、後者はインセスト禁忌との組み合わせで否定的関係の形で利用される。
交叉イトコ婚は、この互酬原理の二側面が併存する事例である。交叉イトコ婚は選好結合であり、肯定的関係を配偶者決定に利用する点でインセスト禁忌から区分され、同時に双分組織からも、単系出自に基づいて個体の婚姻相手を自動的に選り分けるのではないという点において区分される。レヴィート婚[88]やソロレート婚[89]、オジ=メイ婚など他の体系は選好結合とは別の結合様式を前提としている特権結合である。
類別的体系の社会では、いずれの個体も、自分を他のすべての個体と結びつける多数の親族的絆の中から、一つ(の呼び方)を選択しなければならない。例えば、ある男にとって、父の姉妹を、母の兄弟の妻、祖母、義母、妻、の五つの呼び方が可能な場合、どれかを選ぶ根拠は何だろうか。交叉イトコ婚を実施している南アメリカの諸民族では、大部分の親族体系において祖父母と義父母との同一視が確立されていて、この習わしはオジ=メイ婚によって容易に説明がつくが、ここでは義父母は姉妹および義理の兄弟とは同一視されない。ナンビクァラは祖父、母の兄弟、夫の父をさすのに一つの語しかもたず、祖母、父の姉妹、夫の母をさすのにも一つの語しか持たない。これらの事実から引き出せることは、女の視点からの呼び名を採用することによって、オジ=メイ婚が交叉イトコ婚体系に引き起こす混乱を防いでいるということである[90][従って、オジ=メイ婚などがあっても、かえってイトコ婚の普遍的構造が証明されていると著者は言いたい]
交叉イトコ婚がもろもろの婚姻制度の交点に位置するとか、インセスト禁忌と双分組織を連繋する「ターンテーブル」の役を果たすということも重要なのだが[91]、とりわけ興味深い点は、同じイトコの間で、なぜ規定配偶者と禁忌配偶者の区分を立て、しかも、生物学的近親度が厳密に互換可能な、並行イトコと交叉イトコという仕方で立てるのか、ということにある。
インセスト禁忌は生物学的根拠に基づかないと繰り返すだけでは十分ではない。生物学的根拠に基づかないならば、ではいかなる根拠か、これが真の問いである。だが、この答えを与えることがきわめて難しい。なぜなら、許容される親等に比べて抑止される親等は一般に生物学的近親性が密であるから[92]
生物学的親等と社会的親等[93]のどちらがインセスト禁忌制度の基礎をなすかという問いには疑わしさ[94]がつきまとう。この疑いは、交叉イトコ婚の謎を解明することで解けるだろう。(だから)交叉イトコ婚を研究方法として用いることは我々にはきわめて適切に見えるのだが、一般にそうではないのは、丁度イスラム教が豚肉を禁止している理由を、かって衛生学を欠いていた古代文明では豚肉が腐りかねなかったからであると説明する人がいるのと同じである。
交叉イトコ婚、双分組織、外婚規則は同一視されるものではなく、歴史的に解釈されるようなものでもなく[95]、交叉イトコ婚を分析[96]してそこに外婚習俗と双分組織の残渣を見るような関係にあるものでもなく、それらの三つの制度は、同一の基礎構造が再現されたそれぞれ異なる実例として扱うべきものである。なかでも交叉イトコ婚は婚姻禁忌の研究にとってまさに決定的実験[97]である。
(親族間の)多彩な婚姻関係や、その規則や選好や特権、或いはそれらと密接に関連している親族同士の呼び方がある。更に、婚姻に関わる選好や特権が欠けていたりお互いに相容れない場合でも、交叉オバ・交叉オジと交叉甥・交叉姪との間に、特別な性格を帯びたあらゆる種類の関係、尊敬や親しみ、威厳や馴れ馴れしさによって特徴付けられる関係がある。こうした特徴はそれぞれの歴史や地域で異なるだろうが、どの特徴も他のすべての特徴から切り離されて実体をなすものではない。逆にどの特徴も、基本テーマを巡る一つの異本[98]、共通の背景から浮かび上がる一つの特別な様態、として現れるが、そこには全体として捉えられた親族構造という共通基盤がある。この全体構造はインセスト禁忌ほどの普遍性は持たないにせよ、それに次ぐものであると言える。
いろいろな原住民達の調査研究によって、親族の関係が体系と呼ぶのにふさわしいほど認識されていることが判明しており[99]、また、そのことについての研究者達の考察や態度には構造論的分析の考え方[100]も含まれている。要するに、複雑な構造を捉え、さまざまな関係をつかむ能力が、未開の思考に備わっていないわけではないのである。
未開の思考の持つこの能力に基づいて、親族問題にたいする第三の構造的方向性[101]にも注意が払われなければならない。この方向性は外婚だけではなく、クランや双分組織を持たない多くの体系の中にも働くもので、同一親等の傍系親族間に、同性の親族を介して成り立つか異性の親族を介して成り立つかに従って、区分が立てられるという方向性である。
こうして我々はこれまでの章で検討してきた現象の、最も一般的な定式に到達する。名称体系の単なる変動から権利・義務体系全体の変換にまで及びうる影響力は、大部分の社会で、直系から傍系へ移ったときの性別の異同と結びついている(という定式である)。直系と傍系に関わる二つの関係の対立が制度以前に把握されており、この対立が二つの系を媒介する親族達の性別の違いとして捉えられているのである。更にこの対立関係の存在理由は、交換婚の基本定式である交換にあるのだ[102]
交換イトコ婚の本性を決定してみよう。それは端的に第6図(本文261P)で説明することが出来る。この図において、女を獲得した結果として生じた夫婦には(+)、女を失う結果として生じた夫婦には(-)印がついている。更に、世代間において債務の弁済と債権の獲得権利が引き継がれるという関係が表現されている。そうすると、(+-)の関係にある夫婦は対等な交換関係にあり、(++)(--)関係は一方的な関係であることになる。そうすると、対等な交換関係にある前者は交叉イトコ、一方的な関係にある後者は平行イトコの関係になっていることが分かる。この関係が成り立つ唯一の前提は、女が価値であると見なされていることと、個体の意識によって次の型の相互関係(互酬関係が成立するための)が把握されていることである。すなわちABに対する関係はBAに対する関係に等しい[103]。更に、ADに対する関係がBCに対する関係に等しいなら、CDに関する関係はBAに対する関係に等しくなければならない[104]。前者は姉妹交換、後者は交叉イトコ婚の定式である。いまや我々は、この型の構造が未開の思考によって実際に把握されていることを知っている。


10章 婚姻交換
交換婚と交叉イトコ婚の構造的相似性に注目して、二つの制度間に存在する現実的な関連を立証した功績は、フレイザーに認めなくてはならない[105]。彼は、交叉従姉妹の一方(通常は母の兄弟の娘)のみとの選好婚をする親族体系において、父の姉妹の娘との婚姻の存在という(ルール違反の)問題が、自分の姉妹を交換しあった男から交叉イトコが生まれることによって自動的に解消されると指摘した。
インドやビルマにおいて、交叉イトコ婚と交換婚の繋がりが鮮明に把握されたいくつかの事例があるが、とりわけオーストラリアにおいては、交換婚と交叉イトコ婚のきわだった一致を確認できる。オーストラリアの交換婚については、自分の娘を息子の嫁として交換し合う例、未婚の男達が姉妹や親戚の女を直に交換し合う例など広く共通する慣習であった。なかには、交換に出されないことは女の不名誉とされ、交換とは別の手続きで獲得された妻は、われわれの世界での売春婦とさして変わらない格付けを受ける部族もある。
私見によれば、フレイザーは踏み込むべき方向には明確に気付き、慧眼を持って事実を収集したが、切り開いた道を果てまで踏破できなかった。交叉イトコ婚と交換婚の関係づけは婚姻の普遍的構造、永続的かつ基礎的な構造の発見へと繋がってしかるべきであった。しかしフレイザーは、交叉イトコ婚に婚姻の一歴史形態、交換に別の一歴史形態を見て、これら二つの歴史形態の間に、またそれらと双分組織、類別的体系などの他の形態との間に、時間的継起関係と因果関係を付けることに没頭した。我々にとっては文化史から脱出する手段となるものを彼は文化史の内部で解釈することを試み、我々が社会の条件と見ているものさえ社会進化の諸時期に分解しようと努めたのだった。
フレイザーは、自分の理論の開く可能性を直観していた。常に偶数で与えられるオーストラリアの婚姻クラスについて、実に彼はこう書いている「これが示唆するのは(中略)相互婚を実行するまず二つの、次いで四つの、最終的に八つの外婚集団ないし外婚クラスへと共同体に意図的に繰り返し加えられる、二分操作の結果であると言うことだ。(中略)この法則の働きによって、結晶のごとく人間共同体は、堅固(けんご)な数学的規則に従って(中略)厳密な対称性をなす要素へ解離していく傾向を持つのかもしれない」。
確かに社会を結晶に譬える(たとえる)ことなど考えも及ばないが、しかし生物学的関係を対立関係[106]として思考する人間の側の能力が、自然状態から文化状態への移行を規定するとすれば、つまり、対立の組から生じる直接の結果が交換で、その交換の反映がイトコの二分法であるのなら、次のことは受け入れなくてはならないだろう。明確なかたちで現れるにせよ、不明瞭なかたちで現れるにせよ、双数性、交互性、対立、対称性は説明されるべき現象であるより、心的・社会的現実の基礎的で直接的な所与であり、いかなる説明を試みるにせよ、それらのうちにこそ説明の出発点を認めるべきなのである。
数多の事例からフレイザーは「交叉イトコ婚は、相互婚を目的とした姉妹交換から単純かつ直接に、全く自然な連鎖に従って出てくる」と結論づけたが、この基本的説明原理を捨ててしまう。交叉イトコ婚と並行イトコ婚を無関係なものと見なして後者の禁止理由を解明していく過程において矛盾の網の目に閉じ込められてしまったからである。
フレイザーと我々には、交換の捉え方において、次のような基本的相違に由来する二つの根本的な違いがある。我々にとって、交換は包括的互酬構造の示す一面にすぎず、この構造自体は社会的人間の側から(まだこれから明確化しなければならない条件の下で)すぐさま直観的に把握される対象である。フレイザーにとって交換は、進化系列をなして連なる諸制度の中に繰り込まれる一制度なのである。交換の捉え方に対するフレイザーと我々の二つの根本的違いとは、交換の本質と起源に関する考え方である。
経済的財(女を含め)の存在がまず前提されるのではなく、対立についての意識がまず存在するのである。交換は購買の一様態であるどころか、逆に購買に交換の一様態を見なくてはならない。我々は、獲得をなした集団に返還を義務づけ、贈与をなした集団に請求を可能にさせる互酬構造がこの原初的対立からどのように作られるのかを明らかにし、次のことを確認した。
任意の集団において、並行関係にあるイトコ達は、同一の形式的位置、静的で均衡した位置にある家族から生まれるが、交叉イトコ達は、競合する形式的位置にある家族、親族関係からもたらされる動的で不均衡な相互関係の中に置かれる家族から生まれる。この不均衡を解消する力を持つのは縁組だけである。交換関係は交換物以前に、かつ交換物とは独立に与えられるゆえ、同一である財も、互酬構造内での固有な位置に置かれるなら異なるものとなる。
双分組織は、傍系親族を婚姻可能と禁止という二つのカテゴリーに分割する操作として解釈される。後者には並行イトコと兄弟姉妹が含まれる。双分組織に存在理由があるとすれば、兄弟姉妹と並行イトコとに共通する性質、これら二つの集団を同じように交叉イトコ集団に対立させる性質の中にしかあり得ず、しかもその性質は生物学的近親性ではあり得ない。
兄弟姉妹も並行イトコ同士も互酬構造の内部において、同じ方向付けを受け、同じ徴表を帯びると言うことの中に、我々は共通の性質を見出した。その性質とは次のようなものである。兄弟姉妹の間、並行イトコ間では、いわば力の中和が起こること、交叉イトコの間には互いに対立する相補的徴表を帯びていて、それゆえそのあいだには、同じ隠喩を使うなら、引力が働く、という性質である[107]
我々は歴史に基づく思弁も起源に関わる探究も制度の仮説的継起順序を再構成する企ても除外しておいた。論証における第一の位置を交叉イトコ婚に与えたが、古代においてあまねくそれが存在したとしても、他の婚姻形式に相対的に先行するとも前提していない。(現在の社会において当てはまらない様に見える事例があっても)ある種の論理構造が把握されることを婚姻習俗の根本的土台と考える理論にとって、この論理構造は、当の論理構造が具現化されなかった体系においてさえ、可視的である。
我々が提出しようとしている考え方は、イトコの二分法だけでなく、互酬原理に基づいているが故に、オジとオバ、従兄弟と従姉妹、甥と姪のいずれもが平行と交叉とに区別されるわけを明らかにすることができる。そのことを図7(本文280P)に示す。この図は、<私>は自分の姪の母を姉妹として譲与したので彼女の娘に対する権利を持つが、しかし自分の娘の母を妻として獲得したので自分の娘を譲与しなくてはならない、とする実例を示している。記号の同一或いは反対の関係は、先行世代から主体の世代に移っても、主体の世代から甥の世代に移っても変わらず、ただ記号の反転が起こるにすぎない。<私>の代わりに<私>の母方オジを主体に立てても、記号が反転するだけで一般構造は同一のままにとどまるのである[108]

記号の意味は(図6)と同じ。






[1] 8章で著者自身が出自体系の定義をしているが、要約すると次のようになる。出自は単系、両系、双方(無差別または共系)に原則として区別される。原則としてというのは、互いを完全に遮断する仕切りはおそらくないから。著者によれば、両系と双方は両系主義または双系主義と言って単方主義に対立する。尚、「双方」という言葉は、双方イトコのように、母方と父方が同時という意味でも用いられ、この場合には親子関係に関連して使われる出自とは無関係(対抗概念として「単方」と言う言葉も使われる)。[訳者の注に依れば、出自区分については専門家の説明も要領を得ない程曖昧なものらしいので、出自の内容自体については今回はあまり追求しないことにしたい]
[2] 訳者注によれば、incesteを近親相姦ではなく、インセスト禁忌と訳したのは、著者が問題にしているのが、親子や兄弟と姉妹が性的関係を持つというそのこと自体ではなく「社会的インセスト」、換言すれば交換の否定、社会形成の否定だから
[3] [後で判明するが、構造主義の考えが理解されはじめていることを表現している言い方]
[4] 19世紀前半から1942年にわたる多くの文献調査により、そう結論づけている。
[5] [善悪の規準に絶対はないが善悪自体は普遍的に存在する、という思考形式と同じと思う]
[6] 19世紀末から20世紀前半の多くの文献から事例が引用されている
[7] 1938年頃の研究
[8] 1929年頃の研究
[9] マクレナン、スペンサー、ラボックのグループ
[10] デュルケムのグループ
[11] ロバート・ローウィ著『未開社会学論』は、この問題は生物学や心理学の問題とした
[12] 本書の重要な結論の前もっての指摘:親族(関係)の基本構造の最小要素は、父・母・子からなる「核家族」ではなく、そこに母方オジを加えた四つの項からなる「親族関係の原子」である。父と息子、母方オジと息子という二組の対立関係と言う構造。父、母、母方オジ間の三角関係。換言すると女性交換に関わるパートナー関係(父と母方オジ)、血縁(母と母方オジ)、出自(父と子)、縁組(父と母)の三つの基本関係の要約。このモデルが全面交換の縁組周期の中に置かれるなら、引き出される婚姻型は母方婚(母方オジの娘との婚姻=母方交叉イトコ婚)で、縁組は一定の方向を持って集団をつないでいく。母型婚の方向性を持った社会においては、父方婚(父方オジの娘との婚姻=父方平行イトコ婚だと思う)は社会的インセストとなる
[13] 全個体が一つのクラスへ構成され、選好結合から本来の内婚の間に明確な境目がなくなる、正真正銘の外婚体系が、見るからに内婚のような体型へと偽りの転換をする、などによって区別が困難となる
[14] ノートン・サウンドのエスキモーは自分たちを「完全無欠の民」、近隣蛮族を「シラミの卵」と呼ぶ例。多くの民間伝承に小人、巨人、怪物等が登場する例。メラネシアのいくつかの民族は、やってきた白人たちを人間ではなく、幽霊、悪鬼、海の妖精と思った例、etc
[15] 12章参照
[16] この段落の記述は19321941年頃の文献調査に依っている
[17] 1925年出版
[18] 社会的、宗教的或いは呪術的、経済的或いは功利的、情緒的或いは法的、道徳的、のいずれの意義をも帯びた事象
[19] とりわけ太平洋の島々、カナダからアラスカに至る太平洋北西岩では、重要な出来事にともなって催されるあらゆる儀式に富の分配が伴う。具体例は1929年から1939年にかけての他者文献の引用
[20] 具体例は1922年~1938年にかけての文献の調査による
[21] この段落は、ターナーやホグビン等、20世紀初め頃の文献等を基に考察している
[22] それは相手より価値あるものを破壊することで威信を保つことが出来るからである
[23] 事例として、クリスマスプレゼントの交換が挙げられている
[24] 例えば、「赤字覚悟で売ります」と耳打ちする商売上手な商人たち
[25] 贈与や犠牲による威信獲得機能と、「過剰」の消費という儀礼化の意味を持っている
[26] 1867年の文献(物資が豊富な場合の事例)が根拠として付け加えられている。[これだけではまだ説得性に欠ける]
[27] この段落はR.FirthE.Bestの研究が多く引用されている
[28] 料理文献はサーモンのマヨネーズソース添え等々の祝宴のご馳走について述べている
[29] われわれが大切にしまっている磁器製高級食器セットやアラスカの儀式用椀やスプーン
[30] 年代物のワイン、珍しいリキュール、フォアグラ
[31] ポリネシアの儀式的交換、マオリの諺
[32] 集団の参与を通常必要とする行為が個体によってなされる、一種の社会的インセスト
[33] 料金込みのワインは(自分では飲まずに)同じテーブルの他人に注ぐ習慣がある
[34] R.Firthの研究。女と土地は個人的債務の弁済として贈与される
[35] 今では招待、祭り、贈り物などにおいて特殊な意義しか持たない残存物である贈り物、互酬贈与のこと
[36] 今も一般性と重要性を持つ規則としてのインセスト禁忌のこと
[37] 互酬贈与とインセスト禁忌の共通性は、当事者に共通な特定の財を一方的に消費することへの個人の側からの嫌忌と社会の側からの指弾があること
[38] [女の獲得は独占せずに相互に供与し合うという意味では同一規則、という意味だろう]
[39] 女は複婚傾向を持つ男に対して供給不足で、かつ生活労働に必須な価値を持つ(第三章)
[40] 婚姻におけるポトラッチ、コモックス民族の疑似結婚式(H.G.Barnett 1938
[41] P153の図3(ポリネシアの婚姻交換R. Firth)は、夫と妻のリネージ(単系出自集団。クラン、部族の順に集団規模が大きくなる)が区分され、リネージ間に方向付けられた複雑な交換体系がある
[42] Give up the bride(花嫁を譲る)、身を任せる
[43] [根拠無く突飛に出現しているこの文章の意味は、あとで理解できることを期待しよう]
[44] この段落の内容についてはこれ以上の説明はなく、根拠となる出典も書かれていない
[45] 南アフリカのブッシュマンは、結婚に当たり娘の両親の埋葬の約束をするなど、互酬給付のまとまりである婚姻の全体的性格、性的・経済的・法的・社会的性格を示す
[46] ソロモン諸島の一つの島では、婚姻関係に基づいて、パンと魚を各人の属する集団同士で実にうまく交換できるルールがある
[47] ニューギニアのある集団では、育てたブタとイヌは他の村に供給するが、婚姻も同じ
[48] アラスカ
[49] アマンダン諸島
[50] ニューカレドニア島
[51] ユニャック・ナガ民族は婚姻する当人間の贈答品交換ルールとせりふまで決まっている
[52] この段落は19101938にかけての他者文献調査に基づいている
[53] この段落は、1943年発表された著者等の研究による
[54] [クランの個人がどのクランの誰と婚姻可能なのか我々には解らないが、半族の場合には解るような規則があるからか?]
[55] [なぜ変わるのかはここでは説明されていない。9章と10章が参考になる]
[56] [はじめに双分組織が出来て、それが親族名称に翻訳された]
[57] [交叉イトコ選好婚などが先で(同時に親族名称が出来て)、それが制度に翻訳されたのが双分組織である]
[58] [どちらとも異なる独自の考え]
[59] [並行イトコも同じ親等だから、交叉イトコだけOKは不合理に見える]
[60] [この辺の事情は、フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』が参考となる]
[61] この内容については分からない。訳注(3)W.Kohlerの文献を読むと解るのかもしれない
[62] 部分には、用語体系、制度の帰結や含意、制度の表現である習俗、制度が生み出す信仰が含まれる
[63] 1908年から1925年かけての文献、ナンビクァラに関する研究などによる
[64] [5.章参照]
[65] 1935年のRadcliffe-Brownの研究~1940年過ぎまでの多くの文献よりの著者等の考察
[66] ここでは1928年から1938年にかけての5人の研究から三つの事例が述べられている
[67] [この時代はまだDNAやゲノムは同定されていない]
[68] 例えば婚姻型の単位を未知数にとって、どんどん分解していくヴェイユの研究
[69] [さしずめ、現代風に言えばコンピュータシミュレーションか]
[70] 1922年と1941年の他者研究より
[71] それどころか、精算の終了を祝って、多種な方法で女の交換や性的関係が取り結ばれる
[72] [侮辱に対する精算が相手に対する負債の棒引きでなされることが復習になるから]
[73] オーストラリア北部の部族
[74] この段落は1931年から1938年の他者研究の引用
[75] 物質的財、権利、人
[76] 殺人、儀礼的特権など性質が異なる債権に女が弁済されるなど
[77] [構造主義的、と言う意味だろうか]
[78] 「習俗は恣意的で整合性を欠く」と述べているマリノフスキーを機能主義者と批判して
[79] 母系社会における、親しみ、尊敬、遠慮、敵意、対立など親族関係の感情的様態
[80] [どのような状況を作り出しているのか、調べないとこれだけでは分からない]
[81] 1937
[82] 南インドの事例。1935年の他者研究による
[83] [母系体制と父系体制を並行・等置する形式的思考批判が前提されている表現]
[84] 第6章参照
[85] [母系の場合でも権力者は妻の父や兄弟であるから、父・母側のどちらに居住しても、妻か夫が「よそ者」であり、婚姻家族の軋轢が有り続ける]
[86] [双分組織は、いわば未開の思考がもっている問題解決ツール。6章参照]
[87] [著者の思い入れが感じられる文章なので、そのまま引用してみた]
[88] レヴィート婚は子のいない未亡人が亡父の兄弟等と結婚する体系
[89] ソロレート婚は寡夫が亡妻の姉妹と結婚する体系
[90] [この部分の著者の説明は訳者も述べているようにわかりにくいが、要するにイトコは親が兄弟なのだから、オジ=メイ婚の際には親の世代を祖父の世代名で呼べば間違えない(祖父の子供はイトコでないから)ということ]
[91] [この辺の言い方をもう少し理解するには、社会学や人類学の素養が必要なのだろう]
[92] [やっぱり生物学的な根拠に基づくのだろうと思い込むためだからだろう]
[93] [「社会的親等」という語は、生物学的親等との対比で暗示的に用いたのだと思う]
[94] [物事の本質に対して問うているのかどうかと言う、ニュアンスに感じる]
[95] [例えば交叉イトコ婚が双分組織の歴史的帰結であるとか]
[96] 分析して分解した断片を並べたものが内在的意味を持つことは、いつまでたってもない
[97] 17世紀のイギリスの哲学者フランシス・ベーコンが使った用語
[98] [この言い方から、同じようなテーマを扱っている世界各地の神話の異本を連想する]
[99] 1913年から1937年にかけての他者の研究例を11ヶ程挙げている。
[100] 歴史的な、また地域的な様態から切り離し、複雑な親族体系に隠されている構造を、論理的思考力・数学的推理能力等の優れた能力を持った原住民の視点から考えるという考え
[101] 1915年の研究において、ローウィは、構造論的視点から、外婚は直系と傍系の融合と世代の融合という二方向に作用する可能性を帯びていることを示した
[102] [10章参照。しかし、ここの段落でなされている説明を納得するには、説明を実証している詳細な研究である第二篇以降を読まねばならないのだろう]
[103] [A,Bは交換において対等でなければならないからこれは当然]
[104] [ADB Cはたすき掛けの位置で1世代異なる。世代間で貸し借りが相殺される]
[105] [この節は、大部分J.G.Frazerの著作、主に Folklore in the Old Testament(1918)からの引用や孫引きと、その評価や批判を通して自説の説明をしている]
[106] 所有する男と所有される女の対立、所有される女達(獲得される女即ち妻と譲り渡される女即ち姉妹や娘)の間に現れる対立、二つの型の絆(姻族と親族)との対立、連続的リネージ系列(性別を同じくする個体からなる系列)と交替(こうたい)的リネージ(ある個体から次の個体へ移るたびに性別が入れ替わっていく系列)との対立など
[107] [この性質の見出し方は、経済的な財や歴史的・継時因果関係に基づいた理解をエポケーした、人間社会の本質観取だと思う。納得するには多くの事例を学んで内省する他はない。だから、まだ半信半疑。この章は、この類の記述が多い]
[108] 9章で説明した、交叉イトコ婚の定式も満足していることが分かる。即ち、ADに対する関係がBCに対する関係に等しいなら、CDに関する関係はBAに対する関係に等しい。ここで、左上がAで、右がB、左下がC、右下がD

2016年5月5日木曜日

人間の学としての倫理学(和辻哲郎 岩波文庫)


1:「 」内は本文引用文章、(  )内は大体小生の補い、傍点は原文に沿ったもの


この書には、人間の学としての倫理学の意義と方法だけがのべられている。
しだれ桜と花桃

第一章 人間の学としての倫理学の意義
一、「倫理」という言葉の意味
倫理学は「倫理とは何であるか」という問いである。そしてこの問いは、その答えを倫理学自身によって与えられる他はない、というものなのである。「だから、倫理学とは何であるかを倫理学の初めに決定的に規定することはできない。」
出発点において唯一確かなことは、「倫理とは何であるか」という問いが言葉で表現され、共通の問いとして議論できるということである。我々は、倫理という言葉によって表現されていることの意味を問うている。そのことは、その問いに先立ち、「一般言語と同じく歴史的・社会的な生の表現として、既に客観的に存在しているのである。」
従って、この言葉を手がかりにして出発することが出来る。この言葉の意味の上にどのような概念を作ることが出来るだろうか。
倫理という言葉はシナ(シナは古代インドにおける、現中国領域付近の呼称で仏典漢訳読み。秦が語源と言われている)に由来し、我々の間においてもなおその言葉の活力は生き残っている。シナ語で「倫」という語はもともと(日本語の)「なかま」を意味する。「なかま」には「仲間」という漢字が当てはめられたが、このことは、「なかま」は単に複数の人を意味するのではなく「一面において人々のなかであり間でありつつ、他面においてかかる仲や間における人々なのである。」。(シナにおいて)「倫」の用法も同じように発展した。父子君臣夫婦が「人の大輪」(孟子)と言われ、兄弟が「天倫」(公洋伝=『春秋』(孔子)の解説書の一つで、漢の時代に作られたと言われている)と言われるように、人の関係表すとともに、その関係における人々をも表している。「人倫」という言葉は、人々の関係と、この関係によって規定された人々とを意味している。換言すれば共同体を意味している。従って、人倫五常(父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信。父子有親は相続)とは人間共同態における五つの不変なることである。不変なることとは人間生活がそれにおいて変転していくところの秩序、道、である。倫の内容は人倫五常だけではなく(シナの時代や場所によって)多様だが「人倫を人間共同体の存在根柢から把捉するという根本の態度」は不変である。
そのような根本の態度が自覚的に把持されていたわけではなく、個人的主観的意識から道徳を説こうとするものも少なくない。だが、その道徳も人倫の地盤からでたものであることは推測するに難くない。思想史的考察からはさしあたり、「人間共同態の存在根柢たる秩序あるいは道が「倫」あるいは「人倫」という言葉によって意味せられている、という点が明らかになりさえすればよいのである」。
では「倫理」という言葉は何を意味するのだろう。「理」は人間の理、人間の道のことだが、(結論を言えば)倫の意味を強調するだけである。「倫理」は「倫」=「人倫」であって、例えば芸術や歴史に表現されているような 人間の道であり、理論的に形成された原理ではない。
以上より倫理という言葉の意味が明らかになった。「倫理という言葉は、第一に人間共同態 に関する。共同態を捨象した個人的意識はこの語と縁なきものである。第二にそれは人間共同態の存在 根柢に関する。道徳的判断あるいは評価はこの地盤の上で可能にせられるのであって、逆にかかる判断や評価が根柢となるのではない。<中略>「倫理」という概念を、主観的道徳意識から区別しつつ、作り上げることができる。倫理とは人間共同態の存在根柢として、種々の共同態に実現せられるものである。それは人々の間柄の道であり秩序であって、それがあるがゆえに間柄そのものが可能にせられる。」
「倫理学とは人間関係・従って人間の共同態の根柢たる秩序・道理を明らかにしようとする学問である。」。しかし、ここではまだ、人間或いは人・人間関係或いは間柄・共同態とは何であるのかは規定されていない。

二、「人間」という言葉の意味
「人間」という言葉も「人」という言葉もヨーロッパ語のanthropos(ギリシャ語),homo(ラテン語),man(英語),Mensch(ドイツ語)などの訳に用いられている。(また、例えば)ドイツの社会学者は、「人」と「間」という二語を結びつけて、Zwischen den Menschen あるいは das Zwischenmenschliche という言葉によって、(人間と人間関係を区別し)人間の関係を「社会」と考える一つの立場を言い表している。日本語においては「人間」と「人」という異なる言葉が異なる意味を持てなかったのではなく、その言葉を用いる「人間」自身がその二つの言葉の意味を混同し、誤解したのである 。
だがこの誤解は、思考能力の弱さを意味するのではなく、反対に重大な意義を示唆している。「なぜならそれは数世紀にわたる日本人の歴史的生活において、無自覚的にではあるがしかも人間に対する直接の理解にもとづいて 、社会的に起こった事件なのだからである。この歴史的事実は、「世の中」を意味する「人間」という言葉が、単に「人」の意にも解せられ得るということを実証している。<中略>(そういう意味で)歴史全体において、人間が社会であるとともにまた個人であると言うことの直接の理解を見いだしうると思う。」。そこで、人間と言う言葉の意味を歴史的に考察し、「人間」の概念を確立することを試みる。
個々の人間という意味の「人」に当たる言葉はシナ古代の「人」という字に「ひと」と言う日本語を当てはめたものである。古代シナ語の「人」は、ギリシャ語のAnthroposと、「二足歩行と言葉を話す」個々人という意味で完全に一致している。しかし、日本語の「ひと」はそれだけではなく、「・・・自、他、世人などの意味を含蓄しつつ世間という意味さえも示唆しているのである 。」。シナ語、ギリシャ後だけではなく、ラテン語、英語、ドイツ語も、そのような日本語「ひと(=人)」の意味合いは持っていない 。日本語の「人間」は単に「人の間」だけでなく、自、他、世人、であるところの人の間なのである。そうであるならば、「人間」という言葉が「人」の意味に転用されても不思議ではない。
しかし、この「転用」は自覚的に起こったものではない。「それは客観的精神の世界での遠い迂り路によって知らず知らずにひきおこされたことなのである。」。このことは、シナにおいては起こっておらず、人間とは人間社会のこと であって、仏教の漢訳経典の用法もそうである。古いインドに神話的想像において、衆生 は輪廻によって五つの世界(=loka)に転生するが、「人間」はそのうちの一つの世界のことであり「人」を意味していない。
日本において最も普及している法華経は、lokaと同じ用法で、シナ語の「人間」と言う言葉に翻訳している。仏教経典の用法を媒介として人間と言う言葉が人の意に転用されたのである。仏教の輪廻観では、衆生の経めぐる世界を「地獄中」、「餓鬼中」、「畜生中」、「人間」、「天上」の五界、あるいは「阿修羅」を加えて六界とした。衆生は「人間」に生じた場合には「人」であり、「畜生中に」生じた場合に「畜生」である。漢訳経典ではlokaの訳語に「中」や「間」などを当てたが、しばしばその「中」を省略して、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上というふうに二字をそろえて並べたので、「人間」という言葉が直ちに畜生・餓鬼等と対応した概念と捉えられることになった。漢訳経典において「中」が省略され、人間の場合にlocaを意味する「間」が省略されずに記載されたという偶然が、「人間」という言葉を「人」と同じ意味に転用されることになった。
この転用は偶然であるのだが、この偶然事に媒介せられたこと自身は偶然的ではない。つまり、もともと「人間」という言葉が「人」を意味し得た からこそこのような転用が可能だったのである。可能であったとしても、どうして実際に転用されたのだろうか。「それは部分と全体の弁証的関係というほかはない。<中略>我々はすでに古くから、その日常性において、部分に全体を見、部分を全体の名で呼んでいる。 」。「かく見れば人間を「世間」と「人」との二重の意味に用いうることは、人間の本質を最も良く言い表したものと言わねばならぬ」。
以上のような歴史的背景を背負った「人間」という言葉から、我々は「人間」の概念を現そうとする。「人間とは「世の中」自身であるとともにまた世の中における「人」である。」。従って、「人間」の学は、「人」の学であるアントロポロギー ではなく、また「人間」の概念においては、MenschGemeinschaftとを何らかの別物とは考えないのである。
倫理の概念は既に「人間共同態の存在根拠」を我々に指し示している。「人間」の概念が規定されたので、次ぎに共同態、人間関係、間柄が何であるかが問われねばならない。

三、「世間」あるいは「世の中」の意義
世間という言葉は、漢訳経典に由来する。仏教哲学の根本命題は「世間無常 」であり、日本人はここから世間の概念を受け取った。
シナの仏教学者によれば「世」は「遷流 」という意味を持つ。つまり世は常に変転している。換言すると、世の中にあるものはあり続けることは出来ないからいつも破壊され続けるのである。また(破壊や苦悩を経験することで)それらとは反対のものがあるはずだと感じ取ることが可能となる。しかし、常に変転する世においては、立ち止まってその反対なるもののことを考えることができず、かえって考えないようにしながら日々を暮らすほかはない。これが人の日常的なありさまである。「「世間」とはかくのごとき世の中に堕在していることである 」。「かくのごとく「世」の意義は、破壊性、対治性 、覆真性の三つの契機において規定せられる。」
世間無常という概念は、遷流という言葉が示しているように、時間 の経緯によって惹き起こされる事柄に関わっている。そして、その事柄の内容は人間関係における「苦」として捉えられている。愛別離苦、怨憎会苦のような言葉が苦における最大のものとされているからである。変転がもたらす苦は自然現象の時間的推移ではなく、人間の関係の変転に関わっているのである。従って「世」そのものが人の社会的存在として捉えられていることが分かる。「かくみれば「遷流への堕在」としての世間の概念は、人間関係をその時間的性格において強調しつつ捕らえたものと解することが出来る。世間無常という命題が特に著しく印象するのは、人間関係の破壊性である。」
世間と訳された(インドにおける梵語の)原語lokaには、本来「遷流」の意味より「場所」の意味をもつものあった。場所と言っても、初めは「見ゆる世界」(自然科学的空間において見える世界)としての世界を意味したが、次第に現象を含んだ、またその現象の特徴によって区分された領域(欲界や輪廻観の五界など)をも意味するようになり、それは「主体的存在 の特殊な界隈、特殊な領域であり」、「衆生の生の関係の空間的性格を現したもの」となった。仏教により日本に伝わった世間の概念は、空間的性格を保持しながら時間的性格において捉えられたものである。仏教は無常性が根本命題であるから、lokaの意味が時間的性格を持つように変化したのである。Lokaは「世界」という言葉にも訳されるが、そこでは時間的意味が振り落とされていく。そして同時に、「世間」という言葉は「見ゆる世界」ではなくて「主体的存在の領域」での意味を担っていった 。
「世()」は「世代」という語において「よ」=「代()」として時を意味し、第一に時の概念を含んでいる。しかし、同時に「遁世」では人の社会を意味し、「世情」では人の社会のありさまを意味し、「世路」では場所的なものを意味するなど人間の共同態をも意味している。
「間」は「中」と同様に第一に空間の意を含んでいるが、「男女の間」、「仲違いをする」などの用法が示すように、人と人との交わり、行為的連関 (=間柄)である。人は行為なくして「間」「中」を作り得ず、何らかの「間」「中」がなければ行為できないからである。このような意味での「間」「仲」は、「机の間、水の中というごとき静的な空間ではなく、生ける動的なものであり、自由 な創造を意味する。それが人間の共同態なのである。」
仏教哲学における用法である「遷流へ堕在する世間」の「世」は時間、「間」は場所の意味として区別されて用いられているが、日本語における「世間」「世の中」という言葉は、一つの言葉として一つの意味を現している。しかも、「世間に知られる」「世の中を騒がせる」の用法では「主体」の位置を占め、「世間をはばかる」という用法では「ある態度を取る他人」の位置を占めている。この二つの意味(時間・空間の二重性と自他の二重性、という二つ)が一語の「世間」「世の中」として一つの意味を示している。「かく見れば世間・世の中は、世及び間・中がそれぞれに有する社会の意味を、重ねて強めた語として用いられているのである。」
「社会」という語は、元々シナにおいて宗教的に結びついた小さな村落共同体、あるいは「団結事をともにする」集団を意味した。日本において訳語として用いられ始めると、以前より使われていた「世間」「世の中」という言葉に代替してきた。この「世間」・「世の中」という言葉は、日本ではもともと空間的だけではなく時間的性格を持っていたから、社会という言葉の中にも、人間存在の歴史的・風土的・社会的性格を捉えていた(「世間」が「社会」と「人」いう言葉に後から分節した)。
そこで「世間」「世の中」の概念を次のように規定する。「遷流性及び場所性を性格とせる人の社会である。あるいは、歴史的・風土的・社会的なる人間存在 である」。
世間の概念を明確にしたので、人間の概念を人間の世間性と人間の個人性という二つの性格に区別して言い表すことができるようになった。人間存在はこの両性格の統一である。この統一は、行為的連関として共同態であると同時に行為自体は個人的である。これは人間存在の構造であって、人間存在の根柢には行為的連関の動的統一が存すると言うことができる。この動的統一が一節で述べた秩序・道である。
すると倫理とは「存在」の根柢であって「当為」(Sollen)ではないのだろうか 。「人間存在」とは何だろうか?

四、「存在」という言葉の意味
存在という言葉はSeinの同義語として用いられている。しかし、seinは繋辞(copula、「である」)で、存在という言葉は繋辞ではないから、この二つの言葉は同義ではない。
Seinの訳は「存在」ではなく、「である」の語幹の「あり」が選ばれるべきであった。「あり」は名詞(「ありのまま」)、繋辞的用法(「である」 )exsitentia(事実)を現す場合(「がある」)、の何れの形も取ることができる。このように「あり」は「である」と「がある」に分化した。seinはそのような分化を示していない。「かく「あり」という言葉自身が二つの方向に分化していることは、かかる分化を示さないseinよりもかえって優れている と言ってよい。」。「論理学は「である」を取り扱いオントロギー は「がある」を取り扱う、しかも両者は根源的な「あり」に基づいている。だからこの根源的な「あり」を取り扱う基礎的オントロギーがなくてはならぬ。」(と言えば、存在論が「存在」という言葉が何を意味しているのかを問う学であるなら、一応の答えとはなる)。
「がある」に当てている漢語は「有」である。シナには繋辞のseinに当たる語はないから「有」には「である」の意味を含まない 。だから「がある」を取り扱うオントロギーは「有論」である。しかし、この「有」という言葉に導かれて更に一歩を進めることができる。「有」には「がある」と同等の強さで「もつこと」の意味がある。ハイデッガーはギリシャ語のousia(訳語はexsitentia)について同様に論じている。Ousiaはもともと所有を意味していたが、「有る所のもの」をも意味しており、これをハイデッガーは身近にもたらされたものと解釈して、事物を交渉的存在へと連れ込んだのである。有為、有意、有志、有罪、有利、有徳などの用法において、有の下の字は「がある」とともに「所有」、持つことを意味する。そして有()つのは人間であるから、有()るのは有()つという人間のかかわり方に基づいてのみ有るのである 。
「がある」は「人間が有()つことである」。すると「人間がある」ことはいかに解すべきなのであろうか。人間自身は人間以外の何ものにも有たれるのではない 。天が人間を有つという考えも天は人間の全体性を反映したもので、人間以外のものではない。人間があるのは人間が人間自身を有()つことである。まさにこの点に人間であることの特徴がある。「そうして人間が己自身を有()つと言い現す言葉がまさに「存在」なのである。」
「存」という言葉は、「日常的には「存じております」というごとく、あることを心に保持する意に用いられている」。「存」のこの意味は、シナ古代から用いられていて、「がある」ではなくて自覚的に有つことを意味している 。「存は主体の行動として己自身及び物を有つことを意味するが、まさにそのゆえにまた存は明白に時間的性格を帯びるのである。」。「存」の本来の意味は「を存する」であり「が存する」ではない。このことは、存身、存生、存命、生存などの用法からも明らかである。「存」はその根源的な意味において主体の自己把持である。
「「存」が時間的意味を含むことに対して「在」は古来「にあり」として特徴付けられている。すなわちある場所にあることを意味するのである。」しかし、単に空間的な場所を指すだけでなく、在市、在宿、在宅、在郷、在世などの言葉から、社会的場所でもあり得る。「在は、主体的に行動する者が何らかの人間関係においてあることを示唆すると言わなくてはならぬ」。「在」は根源的にその主体が実践的交渉においてあることを意味する。
以上から、「「存在」が間柄としての主体の自己把持、すなわち人間が己自身を有()つことの意であるのは明らかである。存が自覚的に有()つことであり在が社会的な場所にあることであるという点を結合すれば、存在とは「自覚的に世の中にあること」にほかならない。しかし、その世の中にあることがただ実践的交渉においてのみ可能である点を強調すれば、存在とは「人間の行為的連関」であると言わねばならない。これが我々の存在の概念である。従って我々が存在をいうとき、それは厳密に人間存在を意味しているのである。

五、人間の学としての倫理学の構想
以上において、倫理、人間、世間、存在という四つの根本概念を規定したので、「倫理とは人間共同態の存在根柢である」という最初の規定も明確になってきた。倫理学はそのような倫理の学だから、人間存在の学でなければならない。
人間存在は人間の行為連関であるゆえに自然必然的な客体であるSeinではない。人間存在は行為として常に未だ実現していないことの実現に向かっているからである。人間存在は人間の行為連関として、単に主観的な当為の意識としてのSollenでもない。単なる主観的な当為意識は人間存在が個人の意識に反映したものにすぎない。
SeinSollenはともに人間存在から導き出されるものとして取り扱われ得ると考える。人間存在はSeinSollenの実践的根源であり、両者成立の地盤である。従って、人間存在の根本的解明は、一方では客体的なSeinの成立根拠に答える地盤を、他方ではSollenの意識の存立根拠に答える地盤を与える。前者は人間存在の「有の系列」(「存在」「物を有つこと」「物があること」という系列)を辿ることによって 、後者は人間存在の構造が自覚される過程を辿ることによって答えられる 。
そのような人間存在として、人間は個として現れつつ全体を表現する。個も全体も主体的存在から抽離されるもので、そのことによって個は肉体に対する主観的自我となり、全体は客観的な形成物としての社会となるのだが、この主体的存在は実践的行為的なものであって有でもなければ意識でもない。「このような存在は、個であることを通じて全体となるという運動においてまさに存在なのであり、従ってそのような運動の生起する地盤は絶対空 である。すなわち絶対的否定 である。絶対的否定が己を否定して個となりさらに個を否定して全体に還るという運動そのものが、人間の主体的存在なのである。ところで一切の人間共同態を可能ならしめているものはこの運動にほかならない。それは一般に間柄を作るためのふるまい方として、行為的連関そのものを貫いている。それがまさに倫理である。」
倫理学はそのような倫理の学であり、その方法は次章の問題だが、「とにかく(倫理学は)人間存在において主体的実践的に実現せられたものを、一定の仕方で学問的意識にもたらせばよいのである。従って「倫理」の学は同時に「人間存在」の学でなくてはならぬ。それが「人間の学としての倫理学」なのである」
そこで、倫理学の課題をおおよそ定めることができる。第一に問題にすべきは、人間存在の根本構造である世間性と個人性という二重性格のうちに、あらゆる実践の根本原理 が見いだされるということである。この実践の場は人間の共同態であるから、第二の問いとして、人間の世間性を取り上げねばならない。世間や存在という概念は(実存的な)空間性と時間性という二重の性格を持つから、人間存在は空間と時間の二重構造を持ち、これが実践的意義(意味)を担うこととなる。良心や自由や善悪の問題はこの問いにおいて解かれる。「人間の世間性の解明は、人間の孤立的存在が何であるかを明らかにする。が、それとともに人間の共同態がいかにこの孤立的存在に媒介せられているかもまた明らかになる。」 。すると、共同態の様々な層を捕らえることができるから、「実践の原理の実現せられる段階」を追うことができ、すなわち、「人間の連帯性の構造」が第三の問題として扱うことができるようになる。責任、義務、徳などの問題がここで解かれる。共同態の諸層が明らかになると「人間(存在)の空間性と時間性とは(そういう人間存在の二重構造は)人間の風土性及び歴史性として己を現してくる」。「共同態の形成は風土的・歴史的に特殊な仕方を持っている」というのが、第四の人間の特殊性の問題である。国民道徳の原理問題がここで解かれる。「これらの課題を人間存在の根本構造から解くこと、それが人間の学としての倫理学の仕事である。」
人間の学としての倫理学の構想を言葉の研究から導いてきたが、それは「一つの民族の体験を客観的に結晶させたものとして言葉を重視する」からである。倫理学の歴史を通して、この構想は古くから哲学により試みられてきた。次ぎに、代表的な哲学者を捕らえて、そのことを示してみよう。そのことによってわれわれのこの構想は歴史的な支持を得ることができるのである。

六、アリストテレスのPolitike【簡略に】
アリストテレスはEthica Nicomacheaによって倫理学の祖と言われている。この著作にて取り扱っているのは全体としてのPolitike(政治学)であるが、部分としての個人のEthica(倫理)が語られているからである。
Politikeは個人及び社会組織(ポリス)の両面から考究して初めて完成する「人の哲学」であり、我々の言う人間の学としての倫理学と一致する。しかし、Politikeにおいては個人の本質内容を個人自身のうちに 置くことと、人が本性上ポリス的動物であるとすることが並置されている。我々はこの二つの考えの統一においてアリストテレスの人間の学を見なければならない。

七、カントのAnthropoligie 【簡略に】
カントの道徳哲学は、主観的道徳哲学という部分においては十分とは言えない。しかし、その最も深い内容においては我々の言う「人間の学」と一致している。この視点はヘーゲルの人倫と同じである。
カントのアントロポロギーは二つある。一つは経験学としてのそれであり、もう一つはこのような経験の可能根拠(=人間知)を明らかにする道徳学としてのそれである。つまり「人」を経験的及び可想的な二重性格において規定している。定言命法はこの二重性から理解できる。この原理は、人間関係の原理である。

八、コーヘンにおける人間の概念の学【簡略に】
コーヘンは、カントが人間自身は目的であるという原理を立てたことをもって、ドイツ社会主義の真の創設者と呼んだ。「カント自身が共同社会的法則と呼んだこの原理こそは、定言命法の最も深い、最も力強い意味を表したものであると共に、また社会主義の原理でもあると主張せられる。」

九、ヘーゲルの人倫の学【簡略に】
『人倫の体系(1802年?)』の基本はアリストテレスのEthikでもなく、カントの「主観的道徳意識の学」でもなく、普遍と個別の弁証法的展開による社会哲学である。
『精神現象学』においては、「人倫の体系と精神哲学とのいまだ熟せざる接合点を見いだし得る。」
「『法の哲学』として詳述したときには、それは<中略>初めのような人倫の哲学ではなかった。ここでは絶対的人倫がその絶対性を失っている。しかし精神の哲学に取り込まれた人倫の哲学がなんらかの形でその独立性を維持しようとしたことは、ここにも看取せられると言ってよい」。
ヘーゲルの哲学は「かく見れば人倫の哲学は、絶対的全体性を「空」とするところの人間の哲学としても発展し得るものである。<中略>かかる意味においてヘーゲルの人倫の学は、倫理学にとっての最も偉大な典型の一と呼ばれてよい。」
精神の運動と捉えるヘーゲル哲学が観念論的立場であるという批判はあり得る。フォイエルバッハ、マルクスがそうである。しかし、彼らもヘーゲルの分析した存在の構造を根本概念として使用している。

十、フォイエルバッハの人間学【簡略に】
フォイエルバッハはヘーゲル哲学を「神学」として批判し、「神の学」から「人の学」への転向を試みたが、あまりうまくはいかなかった。

十一、マルクスの人間存在【簡略に】
マルクスは、フォイエルバッハが人の社会的存在の部分をうまく把握していないことを批判し、人は常に社会的関係において有る、だから人の本質は社会的関係の総体にほかならない、と捉えた。
マルクスはヘーゲルの国家観を徹底的に覆し去ろうとしたが、ヘーゲルの人倫哲学を受け継いだのである。
だが、この「人倫の体系」の最大の問題点は人倫の絶対的全体性であり、この問題は有の立場では解かれない。「その解決に対して我々に最もよき指針を与えるものは、無の場所において「我れと汝」を説く最近の西田哲学であろう。」

第二章 人間の学としての倫理学の方法
十二、人間の問い
倫理学は「倫理とは何であるか」と問うことである。倫理学は人間存在の学(=人間存在が問われている学)である。従って、「問うこと」が人間存在の一つの仕方であり、倫理学においては、問うこと自身が問われていることなのである。これが倫理学の方法を規定する第一の点である。「問うこと」が人間存在の一つの仕方である、ということはどういうことなのか、問うこと自身が問われていることである、という問いはどのようにして答えられ得るのだろうか。
人間とは間柄におけるわれわれ自身である。従って、「問うこと」(=学)は間柄において把握されなければならないことになる。「学」は元来人間を離れてそれ自身で存立する知識ではなく、それは「まねぶこと、倣うこと及び訪いたずねること」として、人間の行動であって、そこには「こと」が探求の目的として目ざされているとともに、その探求が学び問うという人間関係において行われるのである。このことは問いが根本的に「人間の問い」であることを意味している。
問いの構造に関してはハイデッガーの考え が参考になる。ハイデッガーにとって、問いは探究 である。探究は何ものかへの問いとして「問われているもの」を持っている。同時に、そのものが何であるかと問うのだから「問われていること」を持っている。特に理論的な問いにおいては、問われていることのほかに、そのことの意味 をも含んでいる。更に問いには「問う者」があるから、「上の空の問いもあれば根ほり葉ほり問うこともある。」というような「問う者の態度として特殊な有り方」を持っている。これらは問いの構造として一応誰でも承認せざるを得ないだろう。
しかし、ハイデッガーの問いの構造では規定できない契機がある。それは「問われるもの」についての規定である。問いは確かに何物かにおいて何ごとかをたずねるのだが、更に何者かに対して向けられているのだ。そしてしばしば問われている問いの向けられているものと問われているものが同一である 。しかも問いの本来の意義は間安 、問訊 というように人への問いであり、それは間柄を表現する何ごとかが問われたのであり、問われる者の気持ちを問うと同時に問う者の関心の表現でもある。更に訪問という意味において人を問う場合には、第三者が問われる者と問われることの関係に付け加わる。「だから我々は問いにおいて、問う者と問われる者と、及びその間において問われている物と問われていることとを区別することができる。それがまさに「人間の問い」である。かかる問いにおいては、問う者が問うとともに、その問いは問われる者にとっても存在する。すなわち問いが共同的に存在する。」 特に理論的な問いにおいて問われている意味が問題とされるとき には、この問いには必然的に共同的性格が伴っている。なぜなら、人間の言葉において言い現されていることが問題とされるからである。
問いの構造は、以上のように「人間の問い」として明らかにされるべきものである。問われる者(物ではない)を持たないで一人密かに疑問を抱くというような問いは、人間の問いの欠如態 である。問いが身振りや言語や概念に形成されずに漠然たる気分であるうちは、問いではない。本質的に共同性なき問いは(共同性なき言語があり得ないのと同じように)ありえないからである。
学問としての問いは人間の問い、言いかえれば共同的に「ことの意味」を問う、という問いである。「しかるにこの共同性が近代哲学の出発点においてきわめて鮮やかに見捨てられた」。近代哲学を支配したデカルトの考え、すなわち方法的懐疑という方法は、「かく「孤独」に身を置いて自我と対象とを対立せしめ、その何れが確実であるかを問う」という、換言すれば「人間関係から己を切り放つこととによって自我を独立させる」という立場に立ったものであり、「実践的行為的連関としての世間から離脱してすべてをただ観照する、という態度を取ることにほかならぬ。」。この立場に立つことで自我は絶対確実となり、自我の出所である現実は疑わしいものとなる。そしてここに個人の問い(人間の問いに対する)が成り立つのである。
しかし観照の立場に立ち自我を出発点にしたとしても、個人の問いは、実は人間の問いなのである。なぜならばデカルトの問いは、学問において確実なものを探究するのだから自我以外の一切が疑われる場合にも学者の間に共通した学問があることが前提となっているからである。この問い方は、歴史的社会的に学者の間の問いとして発生したのだから、本質的に人間の問いなのである。「我れ」が疑いを言葉によって表現するということは、それは共同の疑いなのである。だから「我れ」(=自我)を出発点にしないで「人間」(=我々)を出発点にしなければならない 。
問いは本質的に人間の問いであり、その限りにおいて問いは人間の存在の仕方である 。倫理学は人間存在の根本構造への問いだから、倫理学は人間存在の一つの仕方においてその存在自身をあらわにするほかはなく、換言すれば一つの人間関係を作ることにおいて、そのような人間関係自身を根源的に把捉しようとするほかはない。問われることが倫理ではなく従って人間存在でない場合 もあるが、それ以外においては、問われていること(=倫理)、と、問うている人間(=間柄)、を分離することはできないのである。

十三、問われている人間
倫理学の方法の第一の規定から、倫理学の問いにおいては、問う主観と問われる客観を本質的に区分することができないことが分かる。従って倫理学においては主観客観の対立関係を用いることが出来ない。我々は人間を実践的主体として把握しなければならない。これが倫理学の方法の特徴の第二点目である。
主観と客観を区分せずに学的に認識する方法は「有論」であることを、われわれはすでに見てとっている 。カント以後承認されてきた認識論を、現象学の志向性の立場から覆そうとするハイデッガーの考察は、その著しい例であり、示唆に富んでいる。その考えは大体次のようなものである。
主観客観の対立は、「我れ」は主観、「もの」は客観として、「我れ」と「もの」は、その関係以前に、すでにあることが前提されている。しかし、このことは不可能である。「我れ」は必ず「もの」への志向的関係を持つ「我れ」であり、「もの」は必ずこの関係において見いだされるものである。関係の方が「我れ」と「もの」に先立つのである。志向性の地盤において初めて主観と客観が分かれてくるのである。だが、あくまでも「もの」は主観の外側にあり、客観は主観的に、主観は客観的となりうるのである。主観と客観の明確な対立関係によって「もの」と「我れ」を捉えることはできず、両者の根底をなすのが志向性であり、志向性を可能にするのは人の存在である。
主観客観の対立を可能にする地盤は人間存在であるという上記の考えによれば、人間が単なる客観として認識対象に対立するはずはない。このことを明白に認めていたのはカントである。カントにおいては、認識の客観は「自然」であり、本来の「人」は認識の対象外であり、人の全体的規定は実践的な道徳形而上学として求められる。「かかる規定を彼は主体の自己規定が実践的にあらわになるという直接意識の事実から出発し、その事実の分析によって得ようとした。すなわちそれは実践的にすでに行われている規定の理論的反省にほかならなかった。」
倫理学はそのような意味においては古くから実践的な主体の学として理論的な客観の学からは区別されていた。「ここで新しく問題となるのは、その実践的な主体が「人」あるいは「我れ」ではなくして「人間」であり「間柄」であるという一点にほかならない。」
主体が「我れ」である限り、それを「我々」とするには極めて困難な他我の認識を解かねばならない(という問題が生じてくる)。しかし、主体が「間柄」であれば、「我れ」はもともと「我々」なので何ら問題は生じない。
「このような「我々」の立場は、すべてが主体として連関し合う立場である。それが主体的な間柄 にほかならない。従って間柄は互いに相手が主体であることの実践的な了解なのである。行為的連関があるということと相互了解とは同義である。」
人間を間柄として把握すれば、「もの」と「我れ」との関係における志向性の志向は本来共同志向となる。このことは、個人的意識を問題とする現象学 では許されないだろう。「ここ(共同志向が我れにおいて我れの志向となるという考え)に我々は主体的な間柄がいかに己を客観化するかについての重要な視点を得ることができると思う。」
志向性は対象を成立させる地盤であって、間柄自身の構造ではない。例えば誰かを見ると言う場面を想定してみよう。ここでは、見るという志向作用ではなく、見る~見られるという「間柄における働き合い」が重要なのである。「「見る」といいうことが、相見る、眼を見つめる、睨みつける、眼をそらす、眼をそむける、眼を伏せる、見入る、見入らせられる等のさまざまなの「見方」によって、鮮やかに間柄の諸様相を現している。」。志向作用がノエーシス~ノエマの連関であるならば、このような見方は志向作用であるとは言えない(それは「行為」である)。「志向作用はすべての間柄的な契機を排除して、いわば中和的な意識作用をのみ残したものである。」このことは、「見る」だけではなく一切の作用 について言うことができる。
(主観と客観の区別以前にその根柢にあるという意味では同じである)志向性と間柄が上記のように区別されることは、間柄が行為的連関であることを一層明らかにする。「行為は「我れ」の立場において「意思」からのみ説かれるべきものではない。それは自と他とに分かれたものが自他不二において間柄を形成するという運動そのものである。」行為は、他の主体についての了解を初めから含んでいる。他の主体から規定せられることなしにはいかなる行為も行われない。
倫理学は実践的なる主体の学であるが、その「主体」は実践的な間柄として把捉されなければならない。倫理学において問われている人間はこのような主体的な間柄である。

十四、学としての目標
倫理学は倫理とは何かと問うのだが、その問いには「何々である」として答えなければならない。そこで問われていることは(人間存在を可能にする)人間の存在の仕方であるのだが、存在の仕方はただ行為することによってのみあらわとなる。従って倫理学は、行為のなかの特殊な領域である理論的反省の立場として、存在の仕方を「であること」に翻訳しなくてはならない。これが倫理学の学的性格を決める第三点目である。
まず、倫理学のめざすのは(=目標は)「もの」ではなく「こと」である点を明らかにしなければならない。理論的反省の対象は「物」でしかあり得ず「者」であってはならないから、倫理「学」は背理であるかのように見えるがそうではない。主体としての「我々」が主体の外に出ることによって「客観」となり、そうすることで主観としてこの客観に対立することができるのである 。「これが「物」を表現として、すなわち外に出た我々自身として、取り扱う立場である。」
我々は日常生活において、「物」を単なる「物」ではなく道具 として取り扱っている。そして道具は生活の表現であるから、「物は表現であり外に出た我々自身であると言ってよい。」。つまり、物への問いは「物における生活の表現を目ざしている。」。
倫理学の問いは「一切の物 における人間生活の表現を目ざしている。」。道具、言葉、作品、社会的制度などは人間存在の表現である。実践的主体を把捉するためには、この表現は欠くことのできない通路である。この「物」により表現されているのは人間存在であって、人間という「もの」はこの存在においてあるのである。「従って一切の表現は実践的な間柄における主体的な存在の表現である。」。個人的な体験の表出のように見える表現も、個人として現れた間柄の表出である。
間柄の表現は、間柄自身を発展させ、間柄は自覚的な存在となる。言い換えれば、人間存在は己を外化し表現することで絶えず己を自覚的に形成していく存在である。そのことによって人間存在は無限の表現や了解を含み、その表現や了解には無数の段階があるのである。
倫理学は、このように既に自覚され、また表現において己を示している人間の存在の仕方を、しかじかであることとして、「こと」に翻訳すれば良いのである。そこで繋辞(copula)「である」の問題に突き当たる。
(前に述べたように)「である」は「あり」の一様態である。古い日本語では「である」に当たる言葉は「なり」(にあり)および「たり」(とあり)のように「に」「と」という助詞と組み合わされた「あり」であったが、(助詞を用いないで)繋辞としての「である」に区別したのはなぜだろうか。
山田孝雄氏 は、「あり」の根底的な用法はcopulaとしての用法すなわち「である」であって、その根拠を人間思想の統覚作用に基づいていると考えている。しかし、「あり」の本来の用法は事物があること「がある」であって、copulaとしての用法は「たり」「なり」に姿を変えている。「がある」の意味も「である」に転化され得ない。従って「あり」のcopulaとしての用法が根底的だと考えることはできない。
繋辞の「なり」「たり」は、それらの語幹である「あり」を、助詞「に」「と」で限定したものである。顕著な例は「風静かなり」のような、賓辞が副詞の場合である。単に風があるのではなく、静かにあるのである。これは、風の「有り様(さま)」を示すもので統覚作用をあらわすとは言えない。山田氏が形容動詞として区別した「あり」(・・・くあり)も、「風烈しかりき」のように形容詞と熟合した「あり」も、このような「なり」と同じで、「あり」の限定である。
繋辞の「あり」は一般に「がある」の限定である。SはPなりという命題形式を考えてみると、例えば「彼は学生である」のように賓辞が体言の場合も、例えば「学生は学ぶものなり」のように分析的命題の場合も、その分析の対象が実在しない場合、例えば「幽霊は錯覚像なり」も、繋辞としての「あり」の限定である。AはAである、のような、命題が自同律の場合は、「である」は「がある」を全然離れて純粋に統覚作用をあらわしている。しかし、そうであっても、「がある」が繋辞としての「あり」の限定であることは成り立つ。「もしAが定立せられているならば、すなわちAという観念があるならば、それはAという観念としてある。Aという事物があるか否かには関しない。これが自同律の言おうとするところである。しからばここにも我々観察は通用する。」
だが、事物や観念がある、ということの限定とは何だろうか。事物や観念は自らを限定するという働きをせず、働くのは人間である。事物があるのは人間に有()たれることであった。従って「有り」の限定は、事物や観念を有()つ人間の有()ち方の限定である。風がある、風静かなり、さすがに風は風である、のように、有つのは人間であり、どのように有つかも人間である。「・・・「がある」と「である」との区別は、人間の存在の内部における区別である。<中略>「あり」が「存在」をあらわすということは、厳密にはただここでのみ言われ得る。」。「あり」という言葉は人間の存在の顕示 であり、このことが学において特に重要となる。だから学において「であること」がめざされるのである。
「である」が存在を顕示する場所は「陳述 」である。「「陳述」は人間の存在の言い現しである。人間は何かについて陳述しつつ己の存在を表現する。<中略>陳述とはこの存在をのべひろげ て言い現すことである。のべひろげるに当たってそれはさまざまの言葉に分けられ、そうしてその分けられた言葉が結合せられる。」
「あり」が単なる結合の辞なら、何かをのべるときに言葉を探すという現象を説明することはできない。言葉を探すという現象があるのは、まだ結合するべき言葉はないけれども、のべられるべき「こと」、換言すれば陳述されるべきことは既に与えられているからである。
従って、陳述においては結合よりも分離の方が重大な契機である。そしてこの分離の仕方は、個々独立の部分として分けるのではなくて、本来の統一の自覚を意味するように分けるのである。「我々の国語によれば、理解を言い現す語は「分かる」であり、理解せられた「こと」は「ことわり」であり、理解しやすく話すのは「ことをわけて話す」のである。もとよりかく分け得るのは「こと」のうちに本来分けらるべき構造があるからである。だから理解は「ことのわけ」が分かるのであって「わけのないこと」が分かるのではない。しかしすでに「わけ」があるとしても、理解せられる以前にはそれはまだ分かってはいない。だから「わけ」は分かるべき構造を持った統一である。理解はそれを分けて分かった構造に引き直すことにほかならぬ。」
「「分かる」のは統一の自覚である。」。本来の統一が現れている分離を、明確に言い現わしていることばが「である」である。「統一・分離・結合の連関において初めて統一の自覚が成就せられる。」
「ところでこの統一・分離・結合の連関における統一の自覚こそ、まさに人間存在の根本図式なのである。」。従って陳述は人間存在の構造をそのまま映し取っているのだが、そのことは陳述の本質から解きうる。
間柄における行為的連関には無限の表現や了解が含まれているのであったから「わけ」は既に行為的にわかっている。しかも「わけ」は言葉で言い現され得るのだから、これは陳述の根源的姿である。言い現すのは「もの」を共有する間柄において、その「もの」に即して自他の連関を実現するためである。だから、陳述は根源的に間柄の表現である。また、表現は間柄において実践的行為的に分かっていることの客観化である。
間柄において実践的行為的に分かっているのは、自と他は分離しつつ間柄として合一しているからである。「自と他とは、本来自でもなく他でもないものが、そのないことの否定として己を現したものである。<中略>しかも自と他とは、本来一であるゆえに、自他不二的に連関する。」。
統一・分離・結合の連関としての実践的行為的な「わけ」は、言葉のみならず、色々な習慣、生活様式などとして、微妙な相互了解を含んで客観化されている。だから、そのような実践的な「わけ」を己のうちに映し取っている「こと」すなわち「ことのわけ」の陳述は人間存在の構造をあらわすのである。「ことのわけ」を分析することで人間の存在の仕方を「であること」に引き直し得るのである。
倫理学の方法はこの点から規定することが出来る。「ことのわけ」は倫理学以前に既に与えられている。「実際生活において「もの」のわかった人は、(理論的な反省をすることなしに、) また「こと」を分けて話すことも出来る。」。このような人は理論的な存在論(西洋哲学におけるOntologie)以前に存在論的であると呼び、我々の倫理学はこのような意味における存在論である。われわれの存在論は存在論以前の存在論的理解を通じて人間の存在の仕方、すなわち倫理をあらわにする。従って倫理学にとっては、理論 として人間存在への通路が問題となる。

十五、人間存在への通路
主体的な人間存在の学的な把捉(=倫理学) は、言葉や物などによる人間存在の表現 の理解(=通路)を通じるほかはない、と言うことを見てきた。従って、学的方法の中へどうやってその方法を持ち込むことが出来るのか、が問題にされなければならない。
通路の問題は、われわれ自身の存在が主体的であると言う事に基づいている。もしこの存在が自然の有 と同じなら、この通路の問題は生じない。例えば経験論的倫理学の場合などがそうである。人間存在を自我の有 としてのみ取り扱う立場においても、例えばカントの立場ならば、直接意識の事実が主体の実践的な自己規定であるのだから、この通路の問題は生じない。
主体的に、主体的な人間存在を把捉するには、「意識に先立ち意識の地盤となる層へ入りこむ」のである。その地盤は実践的行為的な連関である。そのためには「個人の直接意識の事実からではなくして、人間における事実 、すなわち歴史的社会的なる事実を媒介として人間存在が探られねばならないのである。」
我々は、学の事実ではなく、日常的実践的なる経験の事実を捕らようとする。なぜなら、そこにおいては対象は常に人間存在の表現だからである。
社会科学の経験もその通路になりうるとしても、その場合には実践的行為的連関における人間の日常経験が選ばれなければならない。
ハイデッガーの存在論はきわめて参考になる。「我々がハイデッガーにおいて学び取るべきものとするのは、人が直接に己自身を対象とするのではなくして、逆に対象的なるものから己の有を了解する、という点である。<中略>だから存在への通路は、日常的に与えられた「有るところのもの」において認められる。<中略>しかも我々は彼の方法をそのままに襲用することができない。何故なら彼は<中略>志向性を掘り下げて人の存在に達するのであり、従って間柄としての存在には達し得ないからである。」
ハイデッガーが存在論的に用いているDasein(現存在)の存在的内容は、我れとしての人にほかならない。これはものとの係わりから始める限りそうなるのであって、このことは同時に人を根源的に間柄において把捉する道を塞いでしまう。
ハイデッガーは人と人との係わりをMitdasein(共現存在)の考えで説明している。しかし、Daseinが本質的に他人(共現存在)であると言われても、そこでは間柄には触れられておらず、自他不二的統一もなく、アトム的Daseinの並在はあっても一つの全体としての「共同態」はない。「あくまでも有の了解を介してのみ他人が出てくと考えたところに、彼(ハイデッガー)の存在論の著しい限界がある。それは有の了解よりもさらに根底的な実践的行為的連関、すなわち人間存在をみのがしてしまう。」
(ハイデッガーのように)「我れ」から出発して他人に達するというのは実践的行為的な人間存在の事実ではない。我々は「もの」と係わる前に「人」と係わっている。「かくして人間存在への通路は、見合い語り合い働き合うというごとき日常的な存在の表現や、さらにこれらの日常関係の中で取り扱われるさまざまの物的表現において求められることになる。我々の日常性はこれらの表現の了解においてにおいて成り立っているのである。」
共同的な生の表現が意識に先立っているところがあるディルタイの生の哲学は、主体的実践的な人間存在を主体的に把捉する道が与えられている。
我々は「事実に即する」ということを日常的な表現とその了解から出発するという意味に規定する。この表現が欺きであっても了解が多様であっても、「すでにこの表現・了解において、「こと」のわけに化せられているのである。それは「まこと」であることも「ひがごと」(僻ごと)であることもできる。」。日常経験の鋭い把捉に長じた文芸家の人間描写に頼ることもできる。人間存在への通路は無限に豊富である。
日常生活は茫漠たる表現の海であるから、この海に溺れてしまうのを恐れて諸科学の力を利用しようと考えるかもしれない。しかし、学的取り扱いは、「もの」が存在の表現であると言う日常的了解の地盤を隠してしまう。「そこ(隠れた地盤)にこそ主体的な人間存在が「ことのわけ」に化せられてくる急所がある。すなわち実践的行為的な連関が意味の連関に転化し来たる熔炉がある。」
日常生活におけるものの表現の横溢はそれほどの困難さを提供しない。なぜなら、困難となるのはものの関係を規定しようとするからであって、表現するものがめざしているのは人間存在なのだから帰還するところは一であるからである。従って、日常的な表現とその了解からの出発はどこからでもどんな表現物からでも始めることができる。
だが、人間存在への遡り方は順序正しく行わねばならない。まずさまざまな「間柄」が開示されなければならない。電車は交通の道具として、商品もそれぞれの社会関係として、山でさえもたとえば東山は「名勝」「保護林」等々としての社会的存在として、間柄を開示する。開示された間柄は了解される。それらは、親子の間柄、男女の間柄、等々身近な間柄において見出すことができるだろう。それらが総合されて世間の時間空間的構造が現れてくる。すると、家、村、町、国、会社などの客観的な形成物が、人間存在の仕方を表現するものとして、重要な意義を現してくる。親子や男女や友人の間柄というものも同様である。「それとともにかかるさまざまな存在の仕方を一定の段階として含むところの全体的な存在の仕方が、国民、民族というごときものから開示せられるであろう。かかる取り扱いをすれば、人間存在の表現の無限な多様性も、決して我々を混乱におとしいれはしない。」
我々のこのよう手法は、倫理学と社会学を近づける。歴史を振り返れば、社会学は19世紀にポリスの学、国家の学から別れたのだが、それまではアリストテレスの「人間の哲学」の伝統が残されていた。しかし、その際に社会もまた人間存在の一つの仕方であることを忘れて、それを「人の学」に対立させたのは誤りであった。「社会は「人間」である。社会の学は人間の学でなくてはならない。従ってそこでの根本問題は人と人の間柄である。個であるところの「人」がいかにしてまた同時に「共同態」であるか、総じていかなる行為の仕方が人間の団体というごときものを可能にしているのであるか、それをここで根本的に解かれねばならない。かく見れば社会の学は本来倫理学と異なるものではないはずなのである。」
しかし、社会学はそういうものとして形成されなかった。社会学は、人間存在への通路、換言すれば諸形成物の表現自体を学の対象自身としてしまっているのである。

十六、解釈学的方法
日常生活における表現の了解の問題は、学的には表現の理解の問題である。表現の了解は、(存在論的な)間柄の構造に結びつけられてはじめて理解となる。言い換えれば我々は了解されたその「こと」において実践的行為的な連関を理解することができる。この理解が単に主観的、恣意的ではなく学として客観性を持ちうる事が、どうやって保証されるのだろうか。我々は、それを解釈学的方法に求めようと思う。
解釈学は文学の地盤から生じたものである。ベェク(August Boeckh1785-1867)は、文学はすでに認識されているものの再認識であり、またその意味において歴史的認識である、と述べている。哲学は原始的に認識するものである。文学と哲学は相互制約的で相互補完的である 。文学と哲学は「歴史哲学」(文学の哲学化)及び「哲学史」(哲学の文学化)において合致してしまう。
「解釈」の問題は、表現の理解に関して生じてきた。理解には解釈(Hermeneutik)と批判(Kritik)という二つの契機があって、前者は対象をそれ自身において理解し、後者は対象の関係の理解である。Hermeneutikの語源を辿ると、「分からせること(hermeneia)」の本質は「(言語文字により)内なるものが分からせられる」こと即ち思想の表現であるのが分かる。つまりHermeneiaは表現と理解の二重の意味を持っている。このことは表現と理解についての鋭い洞察を示している。「表現自身がすでに分かるようにすることである<中略>表現における理解の自覚、それが「解釈」にほかならない。」ベェクはこのような意味で「解釈」の理論 を作ろうとした。
生の哲学に基づいたディルタイの解釈学は、ベェクの「理解の理論」を歴史認識の理論として哲学の中へ導き入れたものである。これを我々の倫理学に学び取ろうとするのだが、ディルタイの解釈学的方法は、日常的なる生の表現と了解とが、哲学的理解を媒介するものとして認められていない点において問題である 。解釈学においては、哲学的理解に先立つ実践的了解が必要なのである。「解釈学的方法における生・表現・理解の連関は、人間の存在の仕方の一つとしての哲学の中へ右のごとき実践的なる生・表現・了解の連関をうつし取ったものにほかならぬ。」
生は実は人間存在であるから、生の表現の理解はおのずから人を倫理に導く。逆にあらゆる間柄の表現すなわち社会的な形成物はすべて倫理の表現である。従って倫理学の方法は解釈学的方法であるほかはない。解釈学が与えられた文書的遺物から出発するのと同様に、解釈学的方法は人間存在の表現から出発する。解釈学がすでに言葉として言い現されたことの再認識であるように、解釈学的方法は日常的表現の了解において意味的連関に化せられたことの自覚である。
日常的な人間存在の表現から出発するのであるなら、このことを根本性とする現象学の主張を顧みておかなければならない。
「現象学的方法と解釈学的方法とは、いずれも「事実に即する」という要求の上に立っている。<中略>それ(現象学)は日常生活の自然的態度における世界経験から、その素朴な超越有(外にものが有ること)の定立を排除し、「純粋意識」にまで還らなくてはならぬ。これが現象学の固有の領域たる「現象」なのである。」。この現象学的還元は、無意識的・実践的・行為的側面を顧みないもので、人間存在の表現を排除してしまうもの であって、そこでの「現象」は静的で観照的 なものであるにすぎない。しかし、解釈学では、自然的態度における日常生活自体が間柄における表現・了解・の動的発展であり、そこでの現象はすべて無自覚的に人間存在の表現として取り扱われる。昇る太陽は「拝まるべきもの」であって、単なる超越有として観照されるものではない。「超越有の排除は人間存在をもともに排除することなしには不可能であろう。従って純粋意識への還元はここでは行われ得ない。」
(以降、和辻の現象学=ハイデッガー解釈が述べられるが、その概要は参考として欄外にまとめ、文末 にも問題提起として記載した) 。
「・・・現象学からの脱却は、現象を純粋意識の事実とせずして、人と人との間において見いだされるものとすることによってのみ達せられる。<中略>人間存在の分析は、有論と現象学とから離れて、まっすぐに倫理を目指していくものになる。」。ハイデッガーの現象学には学び取るべき多くのものを見いだされるから、そこからの脱却はその延長点からの離脱により可能となる。
ハイデッガーの現象学的方法 は次のようなものである。第一は現象学的還元である。現象は「有」であり、「有の把捉は、まず必然的に「有る物」に向かい、次ぎに一定の仕方でそこから去り、その「有」へ還っていく。これが現象学的還元である。」
我々はハイデッガーの現象学的還元をさらに一歩進める。現象を「有る物」即ち人間存在の表現とし、その表現を捕らえ解釈することで、既に了解されている表現の自覚即ち理解が得られる。「それは人間存在への解釈学的還元と呼ばれてもよいであろう。」
第二は現象学的構成 である。それは、日常的な堕在 から自己を解放することによって「有る物」から「有」及び「有の構造」の方へ離脱させることである。しかし、我々は既に了解されている日常的な直接の所与を現象とするからそのような構成は必要がない。実践的行為的連関過程を自覚的に繰り返すことによって、人間存在の表現と了解が理論的な理解となって、人間存在の動的構造が自覚された意味連関になる。「これを我々は解釈学的構成と呼んでよいであろう。」
第三は現象学的破壊 である。伝承的概念は、(伝統に頽落した部分を)その源泉に遡って破壊し、批判的に掘り起こさねばならない。「かかる意味において構成は破壊によって行われ、破壊は構成となる。従って哲学的認識は本来的には歴史的認識である。両者は本来一つである」と言う。こうなると我々はこの破壊が現象学的と呼ばれることを理解できない。「この破壊と言われるのはまさに解釈学的方法の核心である」
「かく見れば還元・構成・破壊の方法は解釈学的にこそ真義を発揮し得るものである。」。「第一章において人間の学としての倫理学の意義を明らかにした仕方は、すでにほぼこれに従ったのである。」


おわり