『資本論』カール・マルクス著(第三巻 資本主義的精算の総過程)
岡崎次郎訳 大月文庫
原則「 」は本文引用、( )は小生補記
第十三章 この法則そのもの
資本主義生産様式が発展すると、利潤率は低下し利潤量は増加する。資本主義生産様式の発展に伴い、同量の労働力に対する生産手段等の不変資本は増大しゆく(生産性が上昇する)。資本主義生産様式の発展に伴い、生産性が上昇し、諸資本の蓄積は(加速度的に)増大する。それは、労働対象の使用価値量の増大を意味し、従って剰余価値率が同じであっても剰余価値量(利潤)は増大する。
(この法則は、既に説明されている以下の簡単な記述から明らかとなる)
利潤率の定義 利潤率=p′=m/C、C=c+v
ここで、mは剰余価値率、Cは総前貸資本、cは不変資本、vは可変資本
ここで、mは剰余価値率、Cは総前貸資本、cは不変資本、vは可変資本
資本の増殖、資本の蓄積、生産性の向上、過剰資本、相対的過剰労働人口(産業予備軍)、は資本主義生産様式の本質契機で、これらすべては不変資本を可変資本に対して相対的に増大させ、利潤量を増大させる
「一般的利潤率の漸進的な低下傾向は、ただ、労働の社会的生産力の発展の進行を表す資本主義的生産様式に特有な表現でしかなのである。」
第十四章 反対に作用する諸原因
資本主義生産体制の発展に伴って、利潤率の低下が生じるとしても、その低下の傾向(変化率)を小さくする作用もある。
第一節 労働の搾取度の増強
労働の搾取度の増加は、利潤率の低下の傾向を弱める
第二節 労働力の価値以下への労賃の引き下げ
これも、利潤率の低下の傾向を弱める
第三節 不変資本の諸要素の低廉化
これも、利潤率の低下の傾向を弱める
第四節 相対的過剰人口
相対的過剰人口(労働予備軍)の増加は、遊離している賃金労働者数を増やし、賃金を減少させるから、利潤率の低下の傾向を弱める
第五節 貿易
貿易によって、不変資本の諸要素が安くなること、可変資本に転換される必要生活手段が安くなることは、利潤率の低下の傾向を弱める
第六節 株式資本の増加
(省略)
第十五章 この法則の内的な諸矛盾の展開
第一節 概要
資本主義生産様式の発展に伴う利潤率の低下は、大規模な労働の集積、資本構成の高度化、小資本家や直接生産者からの収奪を発生させる。またそれによって、資本の集積と集中を促進する。
総資本の増加率即ち利潤率が資本主義的生産の刺激である限り、利潤率の低下は資本主義的生産過程の発展を脅かすものとして現れる。
資本主義的生産の直接目的は剰余価値の生産であり、その直接的生産過程は第一幕に過ぎず、巨大に膨れ上がった剰余価値(を基礎とする資本運動の)第二幕が始まる。
剰余価値の直接的搾取条件と実現条件とは、時間空間的に一致しないだけではなく概念的にも一致しない。前者は社会の生産力によって制限されるだけだが、後者はいろいろな生産部部門間の均衡関係と社会の消費力によって制限される。
社会の消費力は絶対的な生産力や絶対的な消費力(普通に生活するに必要な生産力や消費力?)によって規定されているのではなく、「敵対的な分配関係を基礎とする消費力によって規定されているのであって、これによって社会大衆の消費は、ただ多かれ少なかれ狭い限界の中でしか変動しない最低限に引き下げられているのである。」
社会の消費力は絶対的な生産力や絶対的な消費力(普通に生活するに必要な生産力や消費力?)によって規定されているのではなく、「敵対的な分配関係を基礎とする消費力によって規定されているのであって、これによって社会大衆の消費は、ただ多かれ少なかれ狭い限界の中でしか変動しない最低限に引き下げられているのである。」
第二節 生産の拡大と価値増殖の衝突
労働の[1]社会的生産力の発展は二重に現れる。生産力の大きさと生産条件の価値(生産手段の値段)と量(労働を吸収する生産手段の使用価値)、既に蓄積されている生産資本(機械・設備等)の量に現れる。
社会的生産力の発展は労働力に関して二重に現れる。必要労働時間の短縮と(その分剰余労働の増大)、労働者数の減少に現れる(同量の機械などの資本をより少ない労働者で動かすこと)。この二つの現象は利潤率の変化に対して相反する効果を持つが、(労働するのが人間である限り)労働者数の減少を搾取度で埋め合わす事はできない。従って、社会的生産力の発展は利潤率の低下として現れる(くり返し同じような事が述べられている)。
労働の生産力を増大することによって、直接に資本の価値量を増加させるにいろいろな方法があり、またそれらの方法を実施した結果、いろいろなことが起こる。既存資本の減価(原材料や機械類の消耗、陳腐化)を補うために利潤率を上げること、相対的剰余価値を増加させること(即ち労働価値の減少、具体的には賃金の低下等)、不変資本を安く手に入れること(原材料、機械類、それらの維持費等々)。
労働の生産力を増大することによって、直接に資本の価値量を増加させるにいろいろな方法があり、またそれらの方法を実施した結果、いろいろなことが起こる。既存資本の減価(原材料や機械類の消耗、陳腐化)を補うために利潤率を上げること、相対的剰余価値を増加させること(即ち労働価値の減少、具体的には賃金の低下等)、不変資本を安く手に入れること(原材料、機械類、それらの維持費等々)。
既存資本は減価し、不変資本に比べて可変資本が減少し、利潤率の低下を引き起こすとともにこの低下を緩慢にする。利潤率の上昇が労働需要を増加させれば、産業予備軍も戻ってきて、資本にとって搾取可能な材料を提供する。
労働の生産力を増大することは、既存の資本価値を間接的に増加させる。既存の資本価値は変わらなくても、使用価値の量と多様性が増加し、従ってそれらの素材的対象は増加し、不変資本については直接に、可変資本についても間接的に、追加労働を吸収することが可能となり剰余価値を生み資本を増やす。
資本の蓄積過程に含まれる「この二つの契機[2]は一つの矛盾を含んでおり、この矛盾は矛盾する諸傾向及び諸現象となって現れる。」。矛盾の影響は、抗争する諸機能の衝突は周期的に恐慌にはけ口を求める。矛盾は、ごく一般的に言えば、「既存資本価値の維持とその最高度の増殖とを目的としているという点にある。」。既存資本の減価は資本の流通・再生産過程における諸関係の攪乱をもたらし、生産過程の突然の停滞や危機を伴う可変資本の相対的減少は、労働人口増加を刺激するとしても同時に人為的な過剰人口(産業予備軍)をつくり出す。
利潤率低下は、資本の価値としての蓄積速度を緩慢にするが、使用価値量としては加速し、それが剰余価値量を増やすことで、資本の価値としての蓄積速度を加速する。
「資本主義的生産は、それ自身に内在するこのような制限[3]を絶えず克服しようとするが、しかし、それを克服する手段は、この制限をまた新たにしかも一層強大な規模で自分に加えるのである。」
「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。<中略>生産手段が生産者達の社会のために生活過程を絶えず拡大形成していくための単なる手段なのではないということである。」
資本価値の維持と増殖を可能とする制限(=条件)は、その手段、方法とは絶えず衝突せざるを得ない。「それだから、資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させこれに対応する世界市場を作り出すための歴史的な手段だとすれば、それはまた同時に、このようなその歴史的任務とこれに対応する社会的生産関係とのあいだの恒常的矛盾なのである。」
利潤率低下は、資本の価値としての蓄積速度を緩慢にするが、使用価値量としては加速し、それが剰余価値量を増やすことで、資本の価値としての蓄積速度を加速する。
「資本主義的生産は、それ自身に内在するこのような制限[3]を絶えず克服しようとするが、しかし、それを克服する手段は、この制限をまた新たにしかも一層強大な規模で自分に加えるのである。」
「資本主義的生産の真の制限は、資本そのものである。<中略>生産手段が生産者達の社会のために生活過程を絶えず拡大形成していくための単なる手段なのではないということである。」
資本価値の維持と増殖を可能とする制限(=条件)は、その手段、方法とは絶えず衝突せざるを得ない。「それだから、資本主義的生産様式が、物質的生産力を発展させこれに対応する世界市場を作り出すための歴史的な手段だとすれば、それはまた同時に、このようなその歴史的任務とこれに対応する社会的生産関係とのあいだの恒常的矛盾なのである。」
第三節 人口の過剰に伴う資本の過剰
利潤率の低下に連れて個々の資本家にとって必要な資本の最小限度は増大する。そうすると、小資本は次第に存在できなくなって資本の集積は次々と進み、ついには利潤率が低下しても利潤の量が増加しない状態、つまり資本の過多が生じるようになる。
小資本に対して大きな資本が用立てる信用の過多も生じる。新しい資本は、常に利潤率の低下を利潤の量で補えなくなる。その間に、分散した小資本の大群はリスクを負わされ、投機、信用思惑、株式思惑、恐慌へと追い込まれる。資本過多は相対的過剰人口を起こすのと同じ事情(第1巻第7編第23章 参照)から生じ、これを補うものである。
資本の過剰生産の意味するものは、資本の過剰蓄積以外の何ものでもない。資本の過剰蓄積は商品の過剰生産ではないが、それを含むものである。資本の過剰蓄積の意味を理解するには、すべての生産領域を包括するような過剰生産とは何であるかを問えば良い。資本主義的生産を目的とする追加資本がゼロとなれば、そこには資本の絶対的な過剰生産があることになる。
絶対的な過剰生産による急速な利潤率の低下は、可変資本の貨幣価値の増大(賃金の上昇)とそれに対応する必要労働に対する剰余労働の割合の減少(剰余価値率の低下)によるものであって、
小資本に対して大きな資本が用立てる信用の過多も生じる。新しい資本は、常に利潤率の低下を利潤の量で補えなくなる。その間に、分散した小資本の大群はリスクを負わされ、投機、信用思惑、株式思惑、恐慌へと追い込まれる。資本過多は相対的過剰人口を起こすのと同じ事情(第1巻第7編第23章 参照)から生じ、これを補うものである。
資本の過剰生産の意味するものは、資本の過剰蓄積以外の何ものでもない。資本の過剰蓄積は商品の過剰生産ではないが、それを含むものである。資本の過剰蓄積の意味を理解するには、すべての生産領域を包括するような過剰生産とは何であるかを問えば良い。資本主義的生産を目的とする追加資本がゼロとなれば、そこには資本の絶対的な過剰生産があることになる。
絶対的な過剰生産による急速な利潤率の低下は、可変資本の貨幣価値の増大(賃金の上昇)とそれに対応する必要労働に対する剰余労働の割合の減少(剰余価値率の低下)によるものであって、
現実には以下のことが生じる。資本は遊休し、残りの資本はより低い利潤率での稼働を強いられる。利潤量が従来に比べて減少する。旧資本の価値は事実上減価する。旧資本の減価は、資本家同士の間における衝突、損失の分配競争を生む。利潤率の低下は単なる生産過剰ではなくて資本の過剰生産で起こっている。個々の資本家は、自分の旧資本をなるべく減価させず他の資本の旧資本を減価させるように、自分の旧資本を一部は遊休させたとしても資本を追加する。
資本の遊休や破壊によってこのような衝突が解消され、資本主義的生産の「健全な」運動に対応する諸関係が回復して均衡するが、それまでに下記のようなことが生じる。遊休や破壊は資本の物質的な実体(機械や原料などの生産手段)に及ぶ。主要な破壊、しかも急激な性質を持ったものは、資本価値に関して生じる。剰余価値、利潤の将来の分け前に対する手形という形で存在する資本価値、生産引当の形の債務保証書の減価、金銀の現金の一部分は遊休(貨幣資本として機能しなくなる)、
市場にある商品の著しい価格の低下(流通や再生産過程を通るにはそれしかない)。
固定資産の諸要素の減価。再生産過程は一定の前提された価格関係によって均衡しているから、諸価格の低落は停滞と混乱に陥り、次のようなことが生じる。支払手段としての貨幣の機能の麻痺、一定期間の支払義務の連鎖が中断して信用制度の崩壊の開始。
過剰資本と人為的過剰人口は、生産を停滞させ不変資本量の価値を低下させるかも知れないが、可変資本に比べては増大し、生産性を向上させ、後の生産拡大を準備する。こうして高められた生産力によって、同じ悪循環が繰り返される。
換言すれば、資本の過剰生産というのは、与えられた搾取度での労働の搾取に充用できる生産手段の過剰生産以外の何物でもない。
資本が外国に送られるのはより高い利潤率で使えるからであるが、この分は本国にとっては絶対的に過剰な資本である。
資本主義的生産様式の制限は次のような点に現れる。労働の生産力の発展は利潤率の低下という法則を生み出す。この法則によれば、生産力の発展がある点に達すれば、絶えず恐慌によってその発展に最も敵対するものを克服しなければならないことになる。生産の拡張や制限を決定するのは、社会的に発達した人間の欲望に対する生産の割合ではなく、対象化された労働一般に対する不払い労働の割合なのである。生産の拡張は、他の前提(例えば食糧価格の抑制)の下では不十分な程度に達したところで現れる。
「社会的労働の生産力の発展は、資本の歴史的任務であり、弁明理由である。まさにそれによって資本は無意識のうちにより高度な生産形態の物質的諸条件を作り出すのである。リカードに不安を感じさせるのは、資本主義的生産の刺激であり蓄積の条件でもあれば推進力でもある利潤率が生産そのものの発展によって脅かされるということである。そして、ここでは量的関係がすべてである。実は何かもっと深いものが根底にあるのであるが、彼はそれをただ予感するだけである。ここでは、資本主義的生産の制限、その相対性、すなわち、それがけっして絶対的な生産様式ではなくただ物質的生産条件のある局限された発展期に対応する一つの歴史的な生産様式でしかないということが、純粋に経済学的な仕方で、すなわちブルジョア的立場から、資本家的理解力の限界の中で、資本主義的生産そのものの立場から、示されているのである。」
第四節 補遺
労働の生産力の増大の法則は(資本主義的生産様式の発展という歴史的法則に対して)無条件には妥当しない。このことは、「この生産様式の歴史的使命は、人間労働の生産性の発展に対立しそれを妨げるようになれば、それはこの使命に忠実ではないことになる。」のであるから、「資本主義的生産様式は、ただ、自分が老衰してますます時代遅れになっていくと言うことをあらためて証明しているだけである。」ということを示している。「それは、すでに第Ⅰ部第13章第2節(機械から生産物への価値移転)、原著414ページで簡単に示唆示唆しておいたとおりである。」(労働の生産力の増大の法則が無条件には妥当しないのは、労働の価値が労働に支払われる賃金よりも大きい、言い換えれば労働搾取の当然の帰結となる)
例えば鉄道のような巨大な企業は、平均利潤率を上げないで、その一部分である利子での利潤を上げる。
生産方法の変革は絶えず行われて、その部分については資本の蓄積が行われても、ある期間は利潤率を変えずに蓄積を続けることができる。
労働者の絶対数を減らすような生産力の発展は、人々を無用にするから革命を引き起こす。
資本の蓄積・集積の増大によって、資本は社会的な力として、しかも疎外された独立化した力として、物として、個々の資本家の私的力と矛盾するものとして、現れる。
ジョーンズ(リチャード・ジョーンズ『経済学序講』、ロンドン、1833年)が、利潤率の低下にもかかわらず蓄積の誘因と能力とが増加するということを強調しているのは、正しい(利潤率低下は資本の蓄積と並行して起こっている)。
第一には、相対的過剰人口が増大するから
第二には、労働の生産性の増大に連れて資本の物的要素が増大するから
第三には、生産部門が多様になるから
第四には、信用や株式の発達で貨幣が容易に資本になるから
第五には、欲望の増大
第六には、固定資本の大量投下
資本主義的生産の三つの主要な事実。
(1)「少数の手の中での生産手段の集積。これによって、生産手段は直接的労働者の所有としては現れなくなり、反対に生産の社会的な力に転化する。たとえ最初は資本家の私的所有としてではあっても。資本家はブルジョア社会の受託者であるが、彼らはこの受託の前果実を取り込んでしまうのである。」
(2)「社会的労働としての労働そのものの組織。協業や分業によって、また労働と自然科学との結合によって。どちらの面からみても資本主義的生産様式は私的所有と私的労働とを破棄(止揚[4])する。たとえ対立的な諸形態においてではあっても。」
(3)「世界市場の形成。資本主義的生産様式の中で発展する、人口に比べて巨大な生産力、また、それと同じ割合でではないとはいえ、人口よりもずっと急速に増大する資本価値(単にその物質的基体だけではなく)の増大は、増大する富に比べてますます狭くなっていく基礎、つまりそのためにこの巨大な生産力が作用する基礎と矛盾する。そこで、恐慌が起きる。」
[1] (社会的生産力の発展は、労働によって成し遂げられる、という前提がある)
[2] (この二つの契機とは、多分、利潤率の低下と利潤量の増加即ち資本の蓄積だと思うが、そこから導かれるとも言える相互に制約し合う諸状況、例えば、資本の限りなき増殖運動、利潤率の低減と資本の集約、資本価値の低減と相対的剰余価値の低減つまり商品価格の低減と労働価値すなわち労賃の低減、等々、いろいろな側面から様々な現象を言うことができる)
[3] 制限とは、資本主義的生産の発展を阻むものすべて、例えば利潤率低下、利潤量の阻むものすべて、等々
[4] 長谷部訳では廃棄ではなくて止揚となっている
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