2015年10月19日月曜日

資本論(第1巻)第1篇 商品と貨幣 第3章 貨幣または商品流通

第三章 貨幣または商品流通

【感想】:貨幣の使い方は普通誰でも知っている。しかし「貨幣」って何?という問いには答えるのが難しい。だが、チョット考えると貨幣=お金の使い方も稼ぎ方も自分の生き方の中で考えはじめた途端にとても難しくなる。

第一節 価値尺度
簡単にするために、本書ではどこでも金を貨幣商品として前提する。価値尺度としての貨幣は、諸商品の内在的な価値尺度の、すなわち労働時間の、必然的現象形態である[1]
一商品の金での価値表現、x量の商品A=y量の貨幣商品、はその商品の貨幣形態またはその商品の価格である。これに反して、貨幣は価格を持っていない。商品の価格または貨幣形態は、単に観念的な、または想像された形態である。それゆえ、その価値尺度機能においては、貨幣は、ただ想像されただけの、すなわち観念的な、貨幣として役立つのである。
とは言え、価格はまったく実在の貨幣材料によって定まるのである。例えば一トンの鉄に含まれている価値、すなわち人間労働の一定量は、同じ量の労働を含む想像された貨幣商品量で表される。それゆえ、もし二つの違った商品、例えば金と銀とが同時に価値尺度として使用されると、この価値比率の変動が起こるたびにその機能に矛盾が生じる[2]
貨幣には、価値の尺度及び価格の度量標準という二つの異なる機能がある。価格の度量標準としては、同じ金量が不変的度量単位として役立ち、価値の尺度としては、ただ、金そのものが労働生産物、つまり可能性から見て一つの可変的な価値であるからこそ役立つ。この意味は次のようなことである。まず、金の価値が変動しても、諸商品の相互の相対的価値には変化を起こさない。次に、貨幣も商品であるから、その価値が上昇すれば他の商品価値も上昇する。なぜなら商品価値は労働価値であるから。「貨幣価値の上昇は商品価格の比例的な低下を必然にし、貨幣価値の低下は商品価格の比例的な上昇を必然にするということには、けっしてならないのである。」(事実そうであるという現象を把握した上で、その根拠を普遍的なものに置くという考え方に立っている。その普遍的なものとは「労働」という人間が生きて社会を形成する時に普遍的価値をもったものであるはずで、より詳しくは「抽象的労働」となる。だが、この仮説には、人間が生きて社会を形成する時に普遍的価値をもつものとして、「労働」以外のものは含まれていない)
以下しばらく価格形態(=貨幣)の考察がつづくが、簡単な紹介にとどめる。金属重量の貨幣名は、次第にそれらの元来の重量名から離れてくる。その主原因は、(一)外国貨幣の輸入、(二)より高級な金属への転換、(三)王侯による貨幣変造である。貨幣度量標準は、一方では純粋に慣習的であるが、他方では一般的な効力を必要とする。従って結局は法律によって規制されることになる。
価格は、商品に対象化されている労働の貨幣名である。価格は、商品の価値量の指標としての、その商品と貨幣との交換割合の指標である。しかし、価格がその商品の価値量を示していないことは実際に生じていることである。このことは、価格形態そのもののうちにあるのであって、形態自体の欠陥ではない。一つの生産様式、すなわちそこでは原則がただ無原則性の盲目的に作用する平均法則としてのみ貫かれうるような生産様式が、価格形態をそのような生産様式に適した形態にするのである(人々が商品を交換するという歴史的営みには、その商品の生産様式を左右する社会的力関係が関与しているはずである)。
商品でなくても価格をもつことができる、という現実、換言するとそのような生産様式が商品の価値量と価格の間に乖離を生じる。「しかし、価格形態は、価値量と価格との、・・・量的な不一致を許すだけではなく、一つの質的な矛盾、・・・価格がおよそ価値表現ではなくなるという矛盾を宿すことができる。それ自体としては商品ではないもの、たとえば良心や名誉などは、その所持者が貨幣とひきかえに売ることのできるものであり、こうしてその価格を通じて商品形態を受け取ることができる。それゆえ、ある物は、価値を持つことなしに、形式的に価格をもつことができるのである。」
想像上の貨幣価値は、現実の金の価値と乖離し続けることはできない。「相対的価値形態一般がそうであるように・・・実際に交換価値の働きをするためには、商品はその自然の肉体を捨て去って、ただ想像されただけの金から現実の金に転化しなければならない。・・・商品は、その実在の姿、例えば、鉄という姿のほかに、価格において観念的な価値姿態または想像された金姿態をもつことはできるが、しかし、現実に鉄であると同時に金であることはできない。」
貨幣の貨幣商品としての観念的な価値は、現実の価値へと戻る必然性を持っているから、そこに価値の乖離があれば矛盾を抱えていることになる。「価格形態は、貨幣とひきかえに商品を手放すことの可能性とこの手放すことの必然性とを含んでいる。他方、金は、ただそれが既に交換過程で貨幣商品として駆け回っているからこそ、観念的な価値尺度として機能するのである。それゆえ、観念的な価値尺度のうちには硬い貨幣が待ち伏せしているのである。」[3]

第二節 流通手段
a 商品の変態
すでに見たように、商品の交換過程もまた、相互に排除し合う諸関係を含んでいる(価値量と価格の不一致など)。だが、矛盾があっても矛盾の運動を可能にする形態はつくり出される。
ある有用な労働様式の生産物が、他の有用労働様式の生産物と入れ替わる限りにおいては、この交換過程は社会的物質代謝である。使用価値として役立つ場所に達すれば、商品は商品交換の部面から消費の部面に落ちる。われわれが関心を持つのは商品交換の部面だけである。そこで、われわれは全過程を、社会的物質代謝を媒介する諸商品の形態変換または変態の面から考察しなければならない。
この形態変換はつねに普通の商品と貨幣商品との交換において発生する。商品はそもそもその使用価値と価値との内的な対立を含んでいるが、交換過程においては、その内定対立が商品と貨幣が相対するという外的対立として現れる。交換が成立するということを、普通の商品と貨幣商品のそれぞれについての、価値と使用価値の対立の統一、と表現することにすれば、諸商品の対立的な諸形態が、諸商品の交換過程の現実の運動形態であることがわかる(だが、価値概念自体は明らかになってはいない)。
交換過程においては、商品は実在的には使用価値であり、その価値存在は価格においてただ観念的に現れているだけであり、金材料(=貨幣)は実在的には交換価値であり、その使用価値はただ観念的に現れているだけである。
(ここで、価値=価値存在=交換価値と使用価値は対立したものとして、商品においては前者が観念的で後者が実在的、貨幣においてはその逆となる。この対立の統一とは、交換過程の成立となる。これはヘーゲルの弁証法を用いた論法のように見える。ヘーゲルでは、概念と対象が、知と真が弁証法的に反転しながら運動して行き、ついに一致すれば絶対知になるというのだが、商品と貨幣が交換され続ける果てしない運動から何が生まれるのかは、ここでは言及されていない)
商品―貨幣―商品という運動を、W-G-W、と表現する。「・・・こうして、商品の交換過程は、対立しつつ互いに補い合う二つの変態―――商品の貨幣への転化と貨幣の商品へのその再転化とにおいて行われるのである。」
W-G、商品の第一変態または売り、これは商品の命がけの飛躍である。それはこういうことである。まず、社会的分業は彼の労働を一面的にすると共に、彼の欲望を多面的にしているから、その欲望を満たすには、交換価値としてだけ役立つ彼の生産物を貨幣に転換しなければならない。このとき、その生産物が他の代替物の出現によって貨幣に転換できなくなるかもしれないし、また、彼の知らぬ間に生産条件(原料価格、製造技術、労働者の賃金など)が激変して、価格も激変するかもしれない。最後に、ある商品について、ただ社会的に必要な労働時間だけを含んでいるものとしても、これらの商品の総計は、余分に支出された労働時間を含んでいることがあり得る、つまり、彼が働いた社会的必要労働時間に見合うだけの価格に相当する貨幣とは交換できないということは十分に考えられる。
既に明らかであるが、W-Gは同時にG-Wである。この運動は、W-G-W、と表現される。「・・・一商品の第一の変態、商品形態から貨幣へのその転化は、いつでも同時に他の一商品の第二の反対の変態、貨幣形態から商品へのその再転化である。」
こうして、各商品の変態列は商品流通として現れる。この商品流通は、ただ形式的にだけではなく、実質的に直接的生産物交換とは違っている。商品流通では、一方では商品交換が人間労働の物質代謝を発展させる、他方では、当事者達によっては制御され得ない社会的な自然関連の一つの全体圏が発展してくる。貨幣は、商品が空けた流通場所に沈殿する。
流通は生産物交換の時間的、場所的、個人的制限を取り払うのだが、それは労働生産物の直接的同一性を、売りと買いとの対立に分裂させるということによって可能となる。
「独立して相対する諸過程が一つの内的な統一をなしていることは、同様にまた、これらの過程の内的な統一が外的な諸対立において運動するということも意味している。互いに補い合っているために内的には独立していないものの外的な独立化が、ある点まで進めば、統一は暴力的に貫かれる――恐慌というものによって。商品に内在する使用価値と価値との対立、私的労働が同時に直接に社会的な労働として現れなければならないという対立、特殊な具体的な労働が同時にただ抽象的一般的労働としてのみ認められるという対立、物の人化と人の物化という対立――この内在的な矛盾は、商品変態の諸対立においてその発展した運動形態を受け取るのである。それゆえ、これらの形態は、恐慌の可能性を、しかしただ可能性だけを、含んでいるのである。この可能性の現実性への発展は、単純な商品流通の立場からはまだまったく存在しない諸関係の一大範囲を必要とするのである。」
「商品流通の媒介者として、貨幣は流通手段という機能をもつことになる。」

b 貨幣の流通
商品はいつでも売り手の側に立ち、貨幣はいつでも購買手段として買い手の側に立っているように見えるから、このような貨幣運動の一面的な形態が、商品の二面的な形態運動を覆い隠している。
W-G-W、という運動の連続性はまったく貨幣の側にかかっている、商品の交換過程は貨幣の機能によって媒介されるように見えるのである。それゆえ、貨幣運動はただ商品流通の表現でしかないのに、逆に商品流通がただ貨幣運動の結果に他ならぬように見える。
貨幣は諸商品の価値の独立化されたものであるから、貨幣には流通手段の機能が属する。従って、貨幣の運動は商品自身の形態運動でしかない。
W-G-W、における、商品の形態変換の頻繁な繰り返しには、商品世界一般の無数の変態の絡み合いが反映している。また、どの商品も最後は消費によって流通から脱落するが、貨幣は流通手段としていつでも流通部面に住んでいる。このことは、流通部面に貨幣を吸収するという問題を生む。
商品世界の流通過程のために必要な流通手段の量は、すでに諸商品の価格総額によって規定されている。

(諸商品の価格総額)/(同名の貨幣片の流通回数)=流通手段として機能する貨幣の量

貨幣流通の緩慢化には物質代謝の停滞が現れる。この停滞がどこから生ずるかは、もちろん、流通そのものをみてもわからないのだが、流通手段の量不足から説明しようとする通俗的見解は、いかにもありそうなことである。[4]
要するに、貨幣の総量は、一方では流通する商品世界の価格総額によって、他方では、商品世界の対立的な流通過程の流れの緩急によって、規定されている。価格総額は、各商品種類の量と価格との両方で定まる。ところが、この三つの要因、つまり価格の運動と流通商品量とそして最後に貨幣の流通速度とは、違った方向に、違った割合で変動することができる。したがって、価格総額も流通手段の量も、非常に多くの組み合わせの結果でありうる。
少し長い期間を取れば、このような要因の絶え間ない不安定にもかかわらず流通する貨幣量の水準は、周期的恐慌や貨幣価値自体の激変による混乱をべつにすれば、その平均値からの偏差は大きくはない。
流通手段の量は、流通する商品の価格総額と貨幣流通の平均速度とによって規定されているという法則[5]は、次のようにも表現することができる。すなわち、諸商品の価値総額とその変態の平均速度が与えられていれば、流通する貨幣または貨幣材料の量は、それ自身の価値によって定まる、と。これとは逆に、商品価格は流通手段の量によって規定されるという考えは幻想[6]である。この考えは、商品は価格をもたずに流通過程に入り、貨幣は価値を持たずに流通過程に入るという馬鹿げた仮説に根ざしたものである[7]

c 鋳貨 価値章標
価格の度量標準の確定と同様に、鋳造の仕事は国家の手に帰する。流通しているうちに金鋳貨は摩滅し、金の称号と金の実体とが分離し始める。一八世紀までの中世及び近世の鋳貨史は、このような混乱の歴史をなしている。鋳貨の金存在を金仮象に転化させるという自然発生的な傾向は、金属喪失が一個の金貨を通用不能にして廃貨とするその程度についての最も近代的な法律によっても承認されている。[8]
貨幣流通そのものが鋳貨の実質純分を名目純分から分離するとすれば、貨幣流通は、金属貨幣が他の材料によって置き換えられるという可能性を含んでいる。これらの金属(低級な金属)が金の代理をするのは、商品流通の中でも、鋳貨が急速に流通するような領域である。補助鋳貨は、最小の金鋳貨の何分の一かの支払いのために金と並んで現れる。金は、絶えず少額流通に入るが、補助鋳貨との引き替えによって同様に絶えずそこから投げ出される。
銀製や銅製の商標の金属純分は、それらは、流通しているうちに金鋳貨よりももっと速く摩滅する。それゆえ、それらの鋳貨機能は事実上それらの重量にはかかわりのないものになる。金属製の貨幣章標では、純粋に象徴的な性格はまだいくらか隠されている。紙幣では、それが一見してわかるように現れている。要するに、困難なのはただ一歩だけだというわけである。
ここで問題にするのは、ただ、強制通用力のある国家紙幣だけである。それは直接に金属流通から生まれてくる。これに反して、信用貨幣は、単純な商品流通の立場からはまだまったくわれわれに知られていない諸関係を前提する。だが、ついでに言えば、本来の紙幣が流通手段としての貨幣の機能から生ずるように、信用貨幣は、支払い手段としての貨幣の機能にその自然発生的な根源をもっている。
貨幣名の印刷されている紙券が、国家によって外から流通過程に投げ込まれる。それが現実に同名の金の額に代わって流通する限り、その運動にはただ貨幣流通そのものの諸法則が反映するだけである。この法則は、紙幣の発行は紙幣によって象徴的に表される金が現実に流通しなければならないであろう量に制限されるべきである、というものである。
「紙幣は金章標または貨幣章標である。ただ、すべての他の商品量と同じにやはり価値量である金量と紙幣が代表する限りにおいてのみ、紙幣は価値標章なのである[9]。」
最後に問題になるのは、なぜ金は紙幣によって代理されることができるのか?ということである。答えは、貨幣が流通部面において常に存在しながら果たしている機能は瞬間的であるということ、そして、貨幣標章の客観的で社会的な有効性は国家による強制的通用力によって保証されているからである。

第三節 貨幣
a 貨幣蓄蔵
商品流通そのものの最初の発展と共に、第一の変態の産物、商品の転化した姿態または商品の金蛹を固持する必要と情熱が発展する。こうして、貨幣は蓄蔵貨幣に化石し、商品の売り手は貨幣蓄蔵者になる。
商品流通が始まったばかりのときには、ただ使用価値の余剰分だけが貨幣に転化する。こうして、金銀は、おのずから、有り余るものまたは富の社会的な表現になる。このような貨幣蓄蔵の素朴な形態が永久化されるのは、固く閉ざされた欲望範囲が伝統的な自給自足的な生活様式に対応している諸民族の場合である。
商品生産がさらに発展するにつれて、どの商品生産者も、諸物の神経、「社会的な質物」を確保しておかねばならなくなる。彼の欲望は絶えず更新されるが彼自身の商品の生産と販売は、時間がかかる。売ることなしに買うためには、前もって、買うことなしに売っていなければならない。このような操作は矛盾しているように見える。しかし、貴金属はその生産源では直接に諸商品と交換される、つまり売りが買いなしに行われる。こうして、交易において金銀蓄蔵が生じ黄金欲が出てくる。商品流通の拡大につれて、貨幣の力が、すなわち富の絶対的に社会的な形態の力が、増大する。
貨幣を見てもなにがそれに転化したのかはわからないのだから[10]、あらゆるものが、商品であろうとなかろうと、貨幣に転化する。流通は、大きな社会的な坩堝となり、そこに貨幣が結晶する。貨幣では商品の一切の質的な相違が消し去っているように、貨幣そのものもまた徹底的な平等派として一切の相違を消し去るのである。しかし、貨幣はそれ自身商品であり、誰の私有物にでもなれる外的な物である。こうして、社会的な力が個人的な力になるのである。それだからこそ、古代社会は貨幣をその経済的及び道徳的秩序の破壊者として非難するのである。
高価な商品の所有は社会的富の大きさを表し、貨幣蓄蔵はその本性上無制限であるから、金銀も蓄蔵されるが、貨幣額は量的に制限されている。だから、貨幣蓄蔵者は黄金呪物のために自分の肉体の欲望を犠牲にする。彼が貨幣として流通から引き上げることのできるものは、彼が商品として流通に投ずるものだけであるから、勤勉と節約と貪欲とが彼の主徳をなすのであり、たくさん売って少なく買うことが彼の経済学の全体をなすのである。蓄蔵貨幣の直接的な形態と並んで、その美的な形態、金銀商品の所有もある。
貨幣蓄蔵は金属流通の経済ではいろいろな機能を果たす。貨幣の流通量も休み無く満ち引きするが、一国にある金銀量は、現に鋳貨機能を果たしている金銀量よりも大きくなければならない。そこで蓄蔵貨幣貯水池は流通する貨幣の流出流入の水路として役立つのである。

b 支払い手段
商品流通の発展につれて、商品の譲渡を商品価格の実現から時間的に分離する事情が発展する。売り手は債権者となり、買い手は債務者となる。ここでは、商品の変態または商品の価値形態の展開が変わるのだから、貨幣もまた別の一機能を受け取るのである。貨幣は支払い手段となる。
債権者または債務者という役割は、一時的な、そして同じ当事者たちによって代わる代わる演ぜられる役割である。とはいえ、対立は、いまではその性質上あまり気持ちの良くないものに見える。同じこれらの役割は商品流通に関わりなく現れることもある。例えば古代世界の階級闘争は、主としてこの対立に基づく闘争という形で行われ、ローマでは平民債務者の没落と彼らの奴隷化で終わる。中世には闘争は封建的債務者の没落で終わり、この債務者は政治権力と経済的基盤を失う。何れも債権者と債務者との関係は一つの貨幣関係の形態を持ってはいるが、ここでは、ただ、もっと深く根ざしている経済的生活条件の敵対関係を反映している。
商品流通の部面に帰ろう。貨幣が支払手段の役割を果たすようになると、それは、債権者が債務者から、強制的に貨幣にて支払を受ける権利(債権)として、蓄蔵貨幣に転化する。「貨幣は、交換価値の絶対的定在または一般的商品として、過程を独立に閉じる。・・・商品の価値姿態、貨幣は、いまでは、流通過程そのものの諸関係から発生する社会的必然によって、売りの自己目的になるのである。」
満期になった諸債務は、債務が生まれた諸商品の価格総額を表しているが、この価格総額の実現に必要な貨幣量は、まず、債務者と債権者の連鎖と支払期限の間の時間の長さに関係する支払い手段の流通速度によって定まる。また、相殺を可能にする債権の集積は、それが多いほど差額が小さくなり、従って流通する支払手段の量を減少させる。
このような支払手段としての貨幣機能の拡大は、支払の諸連鎖の整合が破れると貨幣恐慌として現れる。「支払い手段としての貨幣の機能は、媒介されない矛盾を含んでいる。・・・貨幣は・・・社会的労働の個別的化身、交換価値の独立な定在、絶対的商品として現れるのである。この矛盾は、生産・商業恐慌中の貨幣恐慌と呼ばれる瞬間に爆発する。」
「たったいままで、ブルジョアは、繁栄に酔い開花を自負して、貨幣などは空虚な妄想だと断言していた。商品こそは貨幣だ、と。いまや世界市場には、ただ貨幣だけが商品だ!という声が響き渡る。」
信用貨幣は支払手段としての貨幣の機能から直接に発生するし、債務証書そのもの、さらに債権の転移のために流通することによって発生する。この形態にある貨幣は大口商取引の部面を住みかとし、他方、金銀鋳貨は主として小口取引の部面に追い返される。
商品生産がある程度の高さと広さとに達すれば、支払い手段としての貨幣の機能は商品流通の部面を超える。貨幣は契約の一般的商品となる。地代や租税などは現物納付から貨幣支払いに変わる。この変化は、生産過程の総姿態によって制約されている。たとえば、すべての貢祖を貨幣で取り立てようとするローマ帝国の試みは二度も失敗し、ルイ14世治下のフランス農民住民のひどい窮乏は租税の高さだっただけではなく、現物租税から貨幣租税への転化のせいでもあった。「ヨーロッパによって強制された外国貿易が日本で現物地代から貨幣地代への転化を伴うならば、日本の模範的な農業もそれでおしまいである。」

c 世界貨幣
貨幣が国内流通部面から外に出るときは、貴金属の元来の地金形態に逆戻りする。世界市場ではじめて、貨幣の定在様式はその概念に適合したものになる。世界市場では二通りの価値尺度が、金と銀とが、支配する。
各国は、その国内流通のために準備金を必要とするように、世界市場流通のためにもそれを必要とする。だから、蓄蔵貨幣の一部には金銀が必要となる。
金銀の流れの運動は二重のものである。一方では、その源から世界市場の全面に行き渡り、他方では、各国の流通部面の間を絶えず行ったり来たりしている。それは、為替相場の絶え間ない振動に伴う運動である。
ブルジョワ的生産の発達している諸国においては、銀行に集蓄される蓄蔵貨幣が、平均水準を超えて目につくほどあふれる時には、それは商品流通の停滞または商品変態の流れの中断を暗示している。





[1] マルクスの注:貨幣が労働時間の現象形態であるなら、労働時間を書き付けた紙がなぜ貨幣にならないか、という問いは、労働生産物がなぜ商品にはならず、私的労働がなぜ直接に社会的労働にはならないかという問いに帰着する。その様な紙は労働証明書にすぎず、オーエンの言うような直接に社会化された労働は、商品生産を前提としながらそれとは反対の生産形態をとることになるからあり得ない。(小生注:社会を、フッサールの言う現象として捉えるのではなく、カントの言う理性で推論してそれを事実として誤認するからオーエンのような誤りを侵すように思える。マルクスはこの手の理解のしかたを歴史的理解と表現していると思う)
[2] マルクスの注:「(この事態は)簡単に次のことに帰着する。・・・すなわち、法律によって二つの商品に価値尺度機能が認められているところでは、事実上はつねに一方の商品だけが価値尺度としての地位を維持する、ということである」
[3] この段落の意味はよくわからないが、価値を含まないものが商品形態をとることにより価格がついて売り買いされても、それを可能にするものが貨幣である以上、観念的なものと現実的なものの乖離はなんらかの事態によって解消される、ということか?これって経済恐慌理論の基礎?
[4] マルクス注:商品が売れないのは貨幣量が足りないのではなく、需給バランスであること、流通速度が速いと一国が栄えることを1691年のサー・ダッドリ・ノースの著作を引用している
[5] マルクス注:これについてはすでにウイリアム・ペティの著書『租税貢納論』ロンドン、1667年にのべられているほか、その後もD・ヒューム(A・ヤングによる紹介)、A・スミス『諸国民の富』なども述べていることを紹介している
[6] マルクス注:ジェーコブ・ヴァンダリント『貨幣万能論』ロンドン、1734年や、すでに一七世紀後半に重商主義者のバーボンによっても述べられている“幻想”である、と
[7] マルクス注:古くはロックの『諸考察』、1691年での「人間は、金銀に想像的な価値を与えることに同意したのだから、・・・これらの金属に見られる内在的な価値は、量以外の何ものでもないのである。」から、モンテスキュー『法の精神』にはじまりリカードにとその弟子達によって展開された考え方に対する批判、J.S.ミル、については折衷論者で自らをA・スミスと素朴に誇称し「・・・広範囲でもなければ内容豊富でもない独創的な諸研究は、1884年にでた彼の小著『経済学の未解決の諸問題』の中に、すべてが隊伍を組んで行進している・・・」などと酷評している
[8] マルクスは、歴史的事実の観察を積み重ねることによっても、本質を掴もうとしている、本章は、その傾向が顕著
[9] マルクス注:フラートン『通貨調整論』第二版、ロンドン、1844年、を引用して、貨幣機能の不理解を批判している。「貨幣商品(金等)は、流通の中では単なる価値章標によって代理されることができるのだから、価値の尺度としても価格の度量標準としても不用だというのである!」
[10] 前提として、転化した元のものが何かによっては貨幣に転化したくないと思うかも

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