2015年10月19日月曜日

資本論(第1巻)第7篇 資本の蓄積過程 第22章 剰余価値の資本への転化

第二十二章 剰余価値の資本への転化

【感想】:歴史を積み重ねて出来上がってきた資本主義的生産様式の社会においては、資本家も労働者も、剰余価値から更に剰余価値を生むような行動を取る結果となっている。もちろん、資本家は自己の贅沢な再生産に加えて享楽に必要な分も、労働者は自己の貧素な再生産に最低必要な分だけを、貨幣として獲得する。なぜそんなことになるのか?マルクスは言う「・・・所有と労働との分離は、外観上両者の同一性から出発した一法則の必然的な帰結になるのである。・・・資本主義的取得様式は商品生産の諸法則にはまっこうからそむくように見えるとはいえ、それはけっしてこの諸法則の侵害から生まれるのではなく、反対にこの諸法則の適用から生まれるのである。資本主義的蓄積を終結点とする一連の諸運動段階を簡単に振り返ってみれば、このことは一層明らかになるであろう。」その原因は、誰かが悪い(例えば悪い王様とか)というのではなく、人間が歴史を積み重ねて作り上げてきた社会の仕組みにあるのであって、それは知恵がつけばつくほど気付きにくいように埋め込まれてしまっているのだ。その知恵の内実が、経済学批判という形で述べられている部分も面白いです。気持ちだけで知恵がないと問題を解決できないけど、はじめの気持ちが邪なら智恵は悪用されるだけでしょ。

第一節 拡大された規模での資本主義的生産過程 商品生産の所有法則の資本主義的取得法則への変転
今度はどのようにして資本が剰余価値から生じるかを考察する。「剰余価値の資本としての充用、または剰余価値の資本への再転化は、資本の蓄積と呼ばれる。」
剰余価値の一部が資本へ転化するということは、生産規模が拡大するのだから、その分生産手段としての商品を市場からより多く取得することが出来なければならない。他の全ての資本家も同じことをするから、社会が必要とする総生産物量についていえば、それまで必要であった分に加えて新たに必要になった分の商品は、すでにそのときに存在していなければならない。
まず、年間生産はその年に消費される物的資本成分の補填分に使用価値として供給される。残りの剰余生産物がすべて資本家階級の消費財源になるものから成っているなら、単純再生産が行われるだけとなる。蓄積するには剰余生産物の一部分が実際に売れることで貨幣と交換され、それが資本に転化されなければならない。資本に転化しうるものは、生産手段と労働者の生活手段だけである[1]。従って、新たに資本となる部分には、すでに剰余生産物の物的諸成分の中に、追加の生産手段と労働者の追加の生活手段が含まれている[2]
次に、剰余生産物の中に含まれている、追加資本に転化する部分に相当する物的諸成分に働きかける労働の追加が可能かどうか検討してみると、「資本主義的生産の機構はすぐさままにあうようになっている。というのは、この機構は労働者階級を労賃に依存する階級として再生産し、この階級の賃金はこの階級の維持だけではなくその増殖をも補償するに足りるからである。」[3]
「蓄積は、累進的に増大する規模での資本の再生産ということに帰着する。単純再生産の循環は一変して、シスモンディの表現によれば、一つの螺旋に転化するのである。」
最初の資本10,000ポンドの所持者が誰であろうと(経済学の代表者たちはみんな一様に、それは資本家或いは彼の先祖の働きであるというが)、翌年に剰余価値の中から追加された2,000ポンドの資本が翌々年に追加した400ポンドの資本は疑いもなく他人の不払い労働から得たものである。要するに経済社会が進展して到達した資本主義生産様式の社会においては、資本というものは本質的に他人の不払い労働だけに基づいて形成されたものであり、資本家が労働力を商品として買う資本の部分それ自体も、もともと労働者の所有すべきものであった、ということである。(このことが理解されると風景が一変する)「商品生産と商品流通とに基づく取得の法則または私有の法則は、この法則自身の、内的な、不可避的な弁証法によって、その正反対物に一変するのである。・・・所有は、今では、資本家の側では他人の不払い労働またはその生産物を取得する権利として現れ、労働者の側では彼自身の生産物を取得することの不可能として現れる。所有と労働との分離は、外観上両者の同一性から出発した一法則の必然的な帰結になるのである。」[4]
「このように、資本主義的取得様式は商品生産の諸法則にはまっこうからそむくように見えるとはいえ、それはけっしてこの諸法則の侵害から生まれるのではなく、反対にこの諸法則の適用から生まれるのである。資本主義的蓄積を終結点とする一連の諸運動段階を簡単に振り返ってみれば、このことは一層明らかになるであろう。」
(すでに述べられたことだが)「貨幣の資本への転化は、商品の経済的諸法則とも、そこから発生する所有権とも、最も厳密に一致して行われるのである。だが、それにもかかわらず、この転化は次のような結果、(すなわち資本主義的取得の諸法則?)を生む。
(1)生産物は資本家のものであって、労働者のものではないということ。
(2)この生産物の価値は、前貸資本の価値の他に、剰余価値を含んでおり、この剰余価値は労働者には労働を費やさせたが資本家にはなにも費やさせなかったにもかかわらず、資本家の合法的な所有物になるということ。
(3)労働者は引き続き自分の労働力を保持していて、買い手が見つかり次第再びそれを売ることができるということ。
今日機能している資本は、「その最初の処女性を保持している」。労働生産物およびその貨幣への転化形態に対する資本主義的取得様式は、(昔から存在している)商品生産に適合した所有権に触れることなく、当初の様式とは全然違った徹底的な変革が可能であり、同時に、商品生産に適合した所有権は、すでに他人の不払い労働を取得する地位を獲得した人々に対してなお有効なのである(最初の処女性を保持している)[5]
「商品生産がそれ自身の内在的諸法則に従って資本主義的生産に成長してゆくにつれて、それと同じ度合いで商品生産の所有法則は資本主義的取得法則に一変するのである。」

第二節 経済学の側からの拡大された規模での再生産の誤った把握
資本の蓄積に関するより詳しい規定に進む前に、古典派経済学によって生み出された一つの疑惑を片付ける。
資本家が自分で消費するために買う商品は生産にも価値増殖にも役立たないし、その商品が労働力ならその労働は生産的労働ではない。この場合は、剰余価値を資本に転化するのではなく、反対にそれを収入として消費または支出するのである。昔の貴族の心がけは、ヘーゲルが正しく言っているように、「「現在あるものを使い果たすことにあり」、またことに人使いの贅沢さを誇りにするのである」が、ブルジョア経済学にとって決定的に重要だったのは、資本の蓄積を市民の第一の義務とし、生産的労働者を雇うために収入の一部を支出として蓄積することだった。他方では、ブルジョア経済学は世間の偏見とも戦った。その偏見とは資本主義的生産と貨幣蓄蔵との混同[6]に基づいたもので、蓄積された富とは、消費あるいは流通への投入を免れたものであるという考えである。大量の商品の蓄積は、流通の停滞か過剰生産の結果でしかなく、蓄財のために商品を蓄積するのは単なる愚行でしかない。
古典派経済学も、生産的労働者によって行われる、剰余生産物の消費を蓄積過程の特徴的な契機と考える点では正しいのだが、剰余価値が資本に転化した蓄積が全て労働力に転化するという根本的誤りを犯していた。それはアダム・スミスに始まる。「リカードもその後の全ての人々も、「収入のうちから資本に付け加えられると言われる部分は生産的労働者によって消費される」というアダム・スミスの誤りを口まねしていたのであるが、これ以上に大きな誤りはないのである。」剰余価値も、はじめに前貸しされた価値と同じく不変資本と可変資本とに、生産手段と労働力とに分かれるのである。アダム・スミスは、各個の資本は不変成分と可変成分に分かれるにしても、社会的資本は可変資本だけ、つまり労賃の支出だけに支払われるという。そうすると、たとえばある資本家が10,000ポンドの資本で生み出した2,000ポンドの剰余価値を資本として使用して、一部分を織物工の労働力の購入に、他の部分を毛糸や毛織機などに投じた場合、その毛糸や毛織機を販売した人はその代金の一部で労賃を払い、このようにして[7]2,000ポンドについてはすべて労賃となる、というのだが、これが正しいかどうかという研究が困難になろうとするところで、アダム・スミスは研究をやめてしまう[8]
年間生産の全ての成分が商品市場に出されなければならないのであって、そこから困難が始まるのである[9]。この現実の関連分析は、第二部の第三編で行うつもりである。重農学派の経済表[10]は大きな功績である。
尚、経済学がこのアダム・スミスの命題を資本家階級のために利用することにぬかりがなかったのは言うまでもない。

第三節 剰余価値の資本と収入とへの分割 節欲説
剰余価値は、資本家の個人的消費財源および資本の蓄積財源の両方に分割できるのであり、この分割は資本家の意思行為である。
「資本家は、ただ人格化された資本であるかぎりでのみ、一つの歴史的な価値とあの世界史的な存在権、すなわち、才人リヒノフスキーの言葉で言えば、日付のないものではない存在権[11]をもっているのである。」資本家は、ただ人格化された資本であるかぎりでのみ、資本家自身の一時的な必然性は資本主義的生産様式の一時的な必然性のうちに含まれ、使用価値と享楽がではなく、交換価値とその増殖が彼の推進的動機である。価値増殖の狂信者として、資本家は人類に生産のための生産を強制し、したがってまた社会的生産諸力の発展を強制し、そしてまた、各個人の十分な自由な発展を根本原理とするより高い社会形態[12]の唯一の現実の基礎となりうる物質的生産条件の創造を強制する[13]。「彼は貨幣蓄蔵者と同様に絶対的な致富欲をもっている。だが、貨幣蓄蔵者の場合に個人的な熱中として現れるものは、資本家の場合には社会的機構の作用なのであって、この機構のなかでは彼は一つの動輪でしかないのである。」競争は各個の資本家に資本主義的生産様式の内在的な諸法則を外的な強制法則として強制するから、彼の私的消費は資本に蓄積すべき物からの盗み取りとなってしまうのであるが、そのことが蓄積をして社会的な富の世界征服となし、搾取される人々の拡大と資本家の直接間接の支配を拡大する[14]
古典的資本家は、個人的消費を罪悪であり蓄積の抑制であると烙印を押す。だが、現代化された資本家は、蓄積を「禁欲」として理解することが出来る[15]
資本主義的生産様式の歴史的発端では、致富欲と貪欲とが絶対的な情熱として優勢を占める[16]。資本主義的生産様式の進展は、投機や信用制度によって、にわかな致富の源泉を開き、富の誇示が信用創造となって浪費が「不幸」な資本家の必要になり奢侈が資本の交際費の一部となる。もともと資本家はいわば他人の褌で富をなしているのだから、その浪費にはハデな封建領主のそれのような無邪気な性質とは違って、いつでも卑しい貪欲や小心な打算が潜んでいるのだが、「彼の浪費は、彼の貯蓄と一緒に、しかも一方が他方を中断させる必要なしに、増大するのである。それと同時に、個々の資本人の高く張った胸の中では、蓄積欲と享楽欲とのファウスト的葛藤が展開されるのである。」[17]
1795年に公刊された、善良なドクター・エイキン氏の著書からの引用。「マンチェスターの工業は四つの時期に区分することが出来る。第一期には工場主たちは自分の生計のために激しく働いた、第二期には小財産を持ち始めたが激しく働き相変わらず質素に暮らしていた、第三の時期には奢侈が始まり営業域が拡張され、おそらく1690年以前には3,000ポンド~4,000ポンドの資本のうちで工場から得られた分は殆どなかったが、このころには家が石造りになりはじめた。17世紀初め頃に一工場主が外国産ぶどう酒の半リットルを客に出して近所中の非難を買った。機械が出現するまでは、工場主が酒場で一晩に出費するのは酒代と煙草で7ペンスを超えなかったが、1758年になって画期的出来事として、実際に事業に携わっていて自分の馬車を持っているものが一人現れた[18]。第四の時期、18世紀の最後の三分の一期は、営業の拡張に支えられた非常な奢侈と浪費との時期である。」
剰余価値のうちの出来るだけ大きな部分を資本に再転化せよ(蓄積せよ)、これが古典派経済学のブルジョア時代の歴史的使命の表現であるが、ここではプロレタリアは剰余価値を生産する機械であり資本家もまた剰余価値を資本に転化する機械である。マルサスは1820年代のはじめに、生産に携わる資本家には蓄積の仕事を割り当て、その他の剰余価値を分け取る人々、すなわち土地貴族や国家と教会からの受給者などには浪費の仕事を割り当てるというという分業を弁護し、産業資本家からうまい汁を吸い取ることにより彼らを蓄積に駆り立てることを不公平に思うと同時に、労働者を勤勉にしておくためには労働者を出来るだけ最低賃金に抑えつけておくことが必要だと考えていたし、不払い労働の取得が利殖の奥の手だということをけっして隠さなかった。
「労働者から取り上げた獲物を産業資本と土地所有者などとのあいだにどのように分配すれば、蓄積のために一番役に立つか、という学者仲間の争論も、七月革命[19]の前では鳴りを静めた。」1836年、ナッソー・ウイリアム・シーニアは「私は、生産用具と考えられる資本という言葉のかわりに節欲という言葉を用いる。」と述べた。「これこそ俗流経済学の「発見」のなによりの見本だ!俗流経済学は、経済学的範疇のかわりにへつらいものの文句をもってくる。ただそれだけだ。」シーニアは、社会が進歩するほど社会は(他人の勤労とその生産物とを自分のものにするという勤労に従事する人々の)節欲を要求し、労働過程のいっさいの条件は資本家の節欲の実行に転化する。要するにこの世界は資本家の難行苦行によってのみ生活しているのである、とシーニアは言うのである。
拡大された規模での再生産が行われる過程においても、労働者に対して彼の生産手段が、したがってまた生産物も生活手段も、資本という形で対立していないあいだは、資本の蓄積としては現れないし、したがってまた資本家の機能としても現れない。

第四節 資本と収入とへの剰余価値の分割比率とは別に蓄積の規模を規定する諸事情 労働力の搾取度―――労働の生産力―――充用される資本と消費される資本との差額の増大―――前貸資本の大きさ
剰余価値が資本と収入とに分かれる割合が決まっているなら、蓄積の大きさを規定するものは剰余価値量を規定するものと同じである。ここではその規定するものを、蓄積に関連して新しい観点を与える[20]かぎりにおいて、もう一度まとめる。
剰余価値率はまず労働力の搾取度によって決まる。経済学はこのことを重視するが、労働の生産力の上昇による蓄積の加速を労働者の搾取の増大によるそれと同一視することもある[21]。労賃は労働力の価値に等しいことが前提されていたが、現実には労賃の引き下げが重要な役割を演じ、労働者の必要消費財源を資本の貯蓄財源に転化させる結果となっているので、われわれはしばらくこの点にとどまらざるをえない。
J.Sミルは、「もし買われないでも労働が得られるなら労賃はなくてすむであろう。」と述べた。しかし労働者は、(J.Sミルが言うように、自分の労働を買われなくても生きていけるようなものではなく)もし空気だけで生きていけるなら、彼らをそのような極限にまで追いやるのが資本の恒常的傾向である。
「私がたびたび引用する十八世紀の一著述家、『産業および商業に関する一論』の著者が、イギリスの労賃をフランスやオランダの水準まで押し下げることはイギリスの歴史的な重大使命だと説くとき、彼はただイギリス資本の魂の底に潜む秘密を漏らしているだけである。なかでも彼は次のように素朴に言っている。」マルクス引用した1770年頃の事例は省略する[22]
「十八世紀末頃、そして十九世紀の初めの数十年間、イギリスの借地農業者や地主は、農業日雇い人たちに労賃の形では最低よりも少なく払い、残りは教区扶助金の形支払うことによって、絶対的な最低賃金を押しつけた。」マルクスが引用した事例は省略するが、要するに、労働者の必要消費財源の直接的な略奪が、剰余価値の、したがって資本の蓄積財源の形成において重要な役割を演じてきたかが述べられている。このことはすでに家内工業(第十三章(大工業)第八節d)で示されているが、今後も示される。
どの産業部門においても、蓄積の量を増やすために、それに比例して不変資本量を増やす必要はない。労働時間を増加させるか労働の生産性を上げれば良い。こうした追加労働によって、蓄積は不変資本の増大なしに増大させることができる。
採取産業、たとえば鉱山業では、労働対象は過去の労働の生産物ではなく、自然から無償で贈られたものである。ここでは、人間は本源的生産物形成者であり、したがってまた資本の素材的要素の形成者でもあって、蓄積の領域は、あらかじめ不変資本が拡大されることなしに拡大されてきた。
農業では、種子や肥料の前貸さえあれば、その後は労働手段の新たな前貸がなくとも、労働者数の増加がなくとも、土地の耕耘などの労働によって生産物の量を高めることができる。ここでもまた、新たな資本の介入なしに蓄積の増大の直接源泉となるものは、自然に対する人間の直接の働きかけである。
工業には、採取産業や農業によって追加的資本補給なしで生み出された追加生産物が、原料や労働手段の原料として供給される。ここでは労働の追加支出は原料の追加支出を前提するが必ずしも労働手段の追加支出を前提しない。
一般的に資本は富の二つの本源的形成者である労働力と土地(水・空気等々の自然物を含む)[23]とを自分に合体することによって、一つの膨張力を獲得する。資本は蓄積の諸要素を拡大することができるのである。
資本の蓄積におけるもう一つの重要な要因は、社会的労働の生産性の程度である。労働の生産力が増大すれば、剰余価値量は剰余価値率が労働の生産力の上昇率を上回って低下しない限り増加するから、資本家は消費財源の比率を減らすことなく貯蓄財源の量を増やすことができる。労働の生産性の上昇は、すでに見たように労働者の低廉化であって、剰余価値率を上昇させ、したがって同じ可変資本がより多くの労働力を動かし、したがって同じ不変資本がより多くの生産手段となってより多くの労働力を吸収する。つまり、労働の生産性が上昇すると、追加資本がなくても蓄積が進行する、言い換えると加速された蓄積が行われるのである。
労働の生産力の発展は、原資本すなわちすでに生産過程にある資本にも影響を与える。科学や技術の進歩は有効で効率の高いしたがって安価な機械・装置を生み出して既存のものに代替し、絶えず再生産される原料や補助材料をつくる方法も改良し、化学の進歩は有用素材を増やしそれらの再利用も可能にして追加投資を減らす。「原資本は、その新たな形態の中に、その古い形態の背後で行われた社会的進歩を無償で取り入れるのである。」[24]
「労働量が(価値の創造と)同時に生産物に移す古い資本価値は、労働の生産性が高くなるにつれて増大する。」例えば、一人のイギリス人紡績工と一人のシナ人紡績工が同じ時間働けば同じ量の価値と数百倍も価値量が違う生産物を生み出すのは、使用している機械の価値が数百倍違うことと、労働の天資(こちらは同じ)によってである。資本は蓄積されるだけでなく、労働により移動され維持され不滅とされる[25]。「このような労働の自然力は、労働が合体されている資本の自己維持力として現れるのであって、それは、ちょうど、労働の社会的生産力が資本の属性として現れるようなものであり、また資本家による剰余労働の不断の取得が資本の不断の自己増殖として現れるようなものである。労働の全ての力が資本の力として映し出されるのであって、ちょうど商品のすべての価値形態が貨幣の形態として映し出されるようなものである。」
「資本が増大するにつれて、充用された資本と消費された資本との差も増大する。」建物とか機械とか長期にわたって労働手段となるものは、前にも述べられたように、水や空気や電気などの自然力と同じ無償の役立ちをするから、「このような、過去の労働が生きている労働につかまえられて活気づけられるときに行う無償の役立ちは、蓄積の規模が大きくなるにつれて蓄積されて行くのである。」

第五節 いわゆる労働財源
いままでに明らかになったように、資本は社会的富のうちの弾力性のある一部分であって、剰余価値が収入と追加資本とに分配される仕方によって絶えず変動する。資本の弾力的な力をなすものは、これと合体される労働力や科学や土地(自然の労働対象全部を含む)であり、いわば資本の作用度を規定するものである。資本の作用度を規定するようなこれらの力は、資本の大きさには関わりのない作用範囲を許す[26]。古典派経済学は、以前から、社会的資本を固定した作用度をもつ一つの固定した量と考えることを好んだ。この偏見を定説にしたのは、生粋の俗物ジェレミ・ベンサムであるが、マルサスやジェームス・ミルやマカロックなどによっても、弁護論的な目的のために利用され、とくに可変資本が一つの固定量として説明する為に利用された(つまり、労働者の生活手段量あるいは労働財源が固定量としてあるならば、事実とは異なって、資本家による労働者の生活手段量の搾取などあり得ないことが真実となるから)。「この説の根底にある事実は次のようなものである。一方では、労働者は、非労働者の享楽手段と生産手段とへの社会的富の分割には口出しはできない。他方では、労働者は、ただ例外的な恵まれた場合に富者たちの「収入」の犠牲においていわゆる「労働財源」を拡大することができるだけである。」
労働財源の資本主義的な限度をその社会的な自然限度に作り変えることが、どんなにばかばかしい同義反復になってしまうかは、次のようなフォーセット教授[27]の言葉に示される。「一国の流動資本[28]は、その国の労働財源である。それゆえ、一人一人の労働者が受け取る平均貨幣賃金を計算するためには、われわれはただ単にその資本を労働者人口で割りさえすればよいのである。」
(フォーセット教授が事実に基づかない臆測を述べる人であることの証拠事例が述べられるが省略する。)




[1] 奢侈品は考慮されない(その輸出入だけでなく国内消費も、だと思う)
[2] 要するに資本の蓄積が可能となるのは、資本家が少しずつ先を読んだ行動をとることで現在の利益を確保・拡大していくからにほかならない。次の消費で埋め合わすのが可能な程度に多めの生産を、利を求めて行い続ける人間の(さが)か(マルクスは「資本」という)
[3] 多分労賃は、労働者不足を織り込んで少なめに設定されているだろうし、労働者供給の調節も、年齢・性別・地域・産業構造等の条件において弾力的に可能だからだろう
[4] 所有、労働、必然的帰結、現代においては更に考察を深めねばならないだろう
[5] これは、人々が抱くであろう「資本主義的取得の諸法則」に対する抵抗感を減少させる理由の説明か?
[6] マルクスは注で、マルサスはすでに貯蓄が単なる貨幣蓄蔵ではなく国民的富と認識していたが、この貯蓄は各種の労働としてのみ使用される、と考えていた、と述べている
[7] マルクスは注で、「このようにして」だけでは説明になっておらず、後述のように「そこから困難が始まる」と述べている
[8] マルクスは注で、J.Sミルは経済学の専門家なのに(かなり後世になっても)「資本そのものは、結局はすべて賃金になるのであって、生産物の販売によって回収されても、また賃金になるのである。」と先人の誤りを正そうとしなかった教条信奉者と批判している
[9] 全社会おいて生み出された富の収支の定量的な研究という困難が始まる
[10] 1759年につくられたケネー経済表(国富論は1776年)
[11] ドイツ語版全集編集者の注に記載の「全集、第五巻、350353()ページ」によれば、『新ライン新聞』184891日付、第91号に、ポーランド貴族で保守の歴史的存在権擁護者リヒノフスキー氏がケルンの議会でポーランド問題について演説を行った記事が掲載され、「歴史的存在権がある」と言うところを、ドイツ語で気取った二重否定表現で否定しすぎたため反対の表現となってしまい、左派の失笑を買ったことが書かれている。ここでは、資本家という歴史的存在は、リヒノフスキー氏が抱いているような歴史的存在権をもってはいないと,マルクスは言うのだろう。因みに18483月にはウイーン体制が実質崩壊している。
[12] マルクスの言う、より高い社会形態とはどんなものなのだろう
[13] 自由な個人の実現には物質要件があり、この要件の創造を資本家は強制する、となると、強制には良いところもある、とマルクスは言っている
[14] ここでマルクスは「ルターは非常うまく支配欲を致富欲の要素として描き出している。」とのべ、ルターの言葉を引き合いに出して、資本家と高利貸しはともに人類の敵、人狼にも似た恐ろしい怪物、などと述べているが、宗教家の感性を利用して己の思想を補強していることになり、普遍性に欠けた態度であろう(気持ちはわかるが)
[15] ここでゲーテのファウストの一文「彼の胸には、ああ、二つの魂が住んでいて、それが互いに離れたがっているのだ!」が挿入されている
[16] すると日本列島の人々は、単に、資本主義的生産様式の歴史的発端をあまり経験しないうちに今日に至っているのかもしれない・・・
[17] 理論もさることながら、マルクスの心情や人間観察の表現は当を得ていると思う
[18] 日本では16世紀の戦国末期から豪商は存在し、18世紀も半ばといえば紀伊国屋文左衛門と同時代なので、マンチェスターの産業資本家と比較すると面白いだろう
[19] 1830727日から29日にフランスで起こった市民革命。これにより、1815年の王政復古で復活したブルボン朝は再び打倒され、ウィーン体制により構築された正統主義は部分的に崩壊し、ブルジョワジーの推すルイ・フィリップが王位に就いた。その影響はヨーロッパ各地に波及し、ウィーン体制を揺るがせた(wikipedia
[20] 蓄積に関連した新しい観点とは、先取りして言えば、労働者の生活財源を削って蓄積した剰余価値が資本家の享楽向けの消費と追加資本になるという社会観
[21] 豊饒な土地ほど労働の生産性が高いから蓄積が多いと述べているリカードが引き合いに出されている(リカードは豊かな土地ほど搾取量の増大が可能と言っているのであって、労働者の必要消費財源がより少なくなると言っているのではない)
[22] しかし、この100年ほど後に『タイムズ』に掲載された議員発言の記事をマルクスが注で引用しているので記載した「もしシナが一大工業国になるならば、ヨーロッパの労働者人口は、この競争者の水準まで下がることなしには、どのようにして戦いに耐えることができるか、私にはわからないのである。」(『タイムズ』、1837類似の状況について、年93日。)
[23] 科学的知識やその応用である技術も含まれる。但し技術と言っても社会一般には公開されない伝統の職人技の類は除かれる。
[24] 問題は無償であることではなくて、社会的な使用価値として還元されないことにある
[25] マルクスは注で、古典派経済学を、労働過程と価値増殖過程との分析の不十分のために、再生産のこの重要な契機の把握が十分ではなかったと批判している
[26] この言い回しはよくわからないが、要するに、いまわれわれが前提している社会的生産過程の一つの純粋に自然発生的な姿の外にあるところの現実の社会的生産過程や流通過程などとの相互作用関係にある、ということか
[27] 当時のケンブリッジの経済学教授
[28] マルクス注:可変資本と不変資本という範疇は私がはじめて用いたものである。経済学はアダム・スミス以来、これらの範疇に含まれている諸規定を、流通過程から生ずる固定資本と流動資本との形態的相違とをごちゃまぜにしている。これについてのもっとくわしいことは、第二部第二篇で述べる。

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