2015年10月19日月曜日

資本論(第1巻)第6篇 労賃 第19章 出来高賃金

第十九章 出来高賃金

【感想】:労働の価値が貨幣額に転化した形態として、前回は時間賃金が取り上げられたが、今回はもう一つの出来高賃金が取り上げられている。形態が違うと認識が違ってくる場合が多いのが現実である(=現象)。形態に囚われて本質を見失なわないよう、まずはそのことを意識しよう。そこにつけ込まれて騙されないように賢くなろう、という言い方は間違いとは言えないけど、形態に囚われているのかも。

(「時間賃金」と並ぶもう一つの労賃形態である)出来高賃金は時間賃金の転化形態にほかならない(形態は違っても労働の価値が貨幣額に転化したものであること自体は時間賃金と同じ)。しかし、労賃の対象が生産物に対象化されている労働であるかのように見え、また、生産者の作業能力によって規定されるかのように見える。だが、これらの外観が正しいと信ずる確信は、労賃のこの二つの形態が同じ時に同じ産業部門で並立しているという事実によって動揺せざるを得ない。労賃の本質は少しも変わらなくてもその形態が変わることによって、資本主義的生産の発展にとっては好都合だと言うこともあり得るのである。
「この場合(=出来高賃金)には労働の質が製品そのものによって左右されるのであって、各個の価格が完全に支払われるためには製品は平均的な品質をもっていなければならない。出来高賃金は、この面から見れば、賃金の削減や資本家的なごまかしの最も豊かな源泉になる。」
出来高賃金は、前もって確定され経験によって固定されている商品量に具体化された労働時間に基づいている(例えば、ある商品一つを作る時間が一時間で、一時間は6ペンス)。この形態は労働の質や強度を制御するものだから、資本家にとっては労働監督の主要な部分を不要にすると同時に、労働者と資本家のとの間に中間的な存在を出現させる。「この形態は前に述べた近代的家内労働の基礎をなすと同時に、搾取と抑圧との階層的に編成された制度の基礎をなすのである。」出来高賃金の制度には二つの基本形態があって、一つは仕事の下請けを容易にする寄生者の介入(仲介人)であり、もう一つは、労働者による労働者の搾取である(マニュファクチュアでは組長、鉱山では採炭夫、工場では主要労働者による補助労働者の採用や賃金の支払)。
出来高賃金は、労働者にとっては労働力を集約的にする(ことにより労賃を高くできる)という個人的利益をもたらすと同時に、資本家にとっては労働の標準強度を高くすることを容易にする。出来高賃金は、労働日の延長も労働者にとっては個人的利益をもたらすが、労働の価値の低下も含んでいる。
時間賃金は、同じ機能には同じ労賃という考え方に基づいているが、出来高賃金の場合には、労働者達の個人差によって労賃が大きく異なる。このようなことは資本と賃労働との一般的関係を少しも変えるものではない。作業場全体で個人差は相殺され、労賃と剰余価値との割合も変わらない。しかし、出来高賃金の方が一方では労働者の個性を、従ってまた彼らの自由感や独立心や自制心を発達させ、他方では労働者同士の競争を発達させる傾向がある。「それゆえ、出来高賃金は、個々人の労賃を平均水準より高くすると同時にこの水準そのものを低くする傾向がある。」最後に、出来高賃金は、時間給制度を支える支柱となっている(マルクスの注などから、つまり、出来高賃金は、作業のために必要である以上の労働者が雇われるという多くの現実を生み、そのことが出来高賃金よりも時間賃金のほうがマシであると思わせるのだが、その続きは既に述べた事態へと繋がっている)。
出来高賃金は古くからあるもので、14世紀のフランスやイギリスの労働法規では時間賃金と並んで公式に現れるが、いくらか広がるのは、本来のマニュファクチュア時代(16世紀半ばから18世紀の最後の三分の一期)のことである。大工業時代、ことに1797年~1815年までは、出来高賃金は労働時間の延長と労賃引き下げとのための梃として役立っている。出来高賃金は、資本主義的生産様式に最もふさわしい労賃形態と言える。
「工場法の適用を受ける作業場では出来高賃金が通例となる。なぜならば、そこでは資本は労働日をもはや内包的に拡大するほかはないからである(労働時間が与えられれば、あとは労働の強化か労働の生産性の向上によるほかはない)。」
出来高賃金では、労働時間の代わりに生産物の量自体が労賃の基準のように見えるから、名目賃金は同じではあっても労賃が低下したときには、資本家と労働者との間に絶え間ない闘争を引き起こす。なぜなら、それが労働の価格を引き下げる口実に利用されるか、労働の強度を高めるか、あるいは、そのような労賃の外観を労働者がほんとうだと思い込み、商品の引き下げが対応しない賃金の引き下げには反抗するからである。

(資本主義的生産様式は、労働力の価値と剰余価値を生み出す。その生み出されるものの形態ではなく本質を捉えなければ、そのような社会における経済的諸問題を解いていくことはできない。出来高賃金という労賃の形態の研究についてもそうである。)

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