第一八章 時間賃金
【感想】:「労働の価値」が「時間賃金」で測られることには、それ自体の物理的意味としては違和感がないとしても、実は社会的にはまたまた隠された使い道があることが暴露されている。それが理解できるかどうか(マルクスが正しいかどうかとは少し違う)の分かれ目は、頭の善し悪しではなくて問題設定の動機にあるらしい。動機が不純だと何事にも目がくらむのは哲学的真理かも。
労賃は様々な形態を取るので、ここでは基本的な二つの形態について簡単に述べる。一つは「時間賃金」である。
第十五章で述べた労働力の価格と剰余価値との量的変動に関する諸法則(=一言で言えば、労働力の価格と剰余価値は三つの独立した条件、即ち労働時間と労働の強度と生産力が様々に変動すれは、前者と後者についての相対的な量的変動は後者の比率が高くなる方へ変動する)は、労賃の諸法則に転化する。
労働の価格の尺度単位としては、労働者が日労働や週労働などとして受け取る貨幣額、即ち名目賃金を実際に労働した時間で割った値(時間賃金)が役立つ。
労働の価格の引き下げは、名目賃金が上がっても下がっても、あるいは労働者家族の労働が追加されることによっても、行われる。
一般的法則として次のようになる。労働の量が与えられていれば名目賃金は労働の価格によって定まり、労働の価格自体は労働力の価値の変動につれて、または労働力価格が労働力の価値からずれるのにつれて、変動する。労働の価格が与えられていれば名目賃金は労働の量(実際の労働時間)によって定まる。
時間賃金が3ペンスの場合(日価値が3シリングで労働日が12時間。3シリングは労働者自身の再生産に必要な貨幣額であって、時間に換算すると6時間)、一日8時間労働になれば日価値は2シリングとなって、彼自身の再生産に必要な貨幣を受け取ることが出来なくなる。(労働時間が12時間から8時間となったから労働者の再生産に必要な分としての6時間を差し引いた2時間分が剰余価値となることはない。なぜなら、労働力の価格と剰余価値との量的な変動の諸法則が現実を支配しているからである。)
「人々は、前には過度労働の破壊的な結果を見たのであるが、ここでは労働者にとって彼の過小就業から生ずる苦悩の源泉を見出すのである。」
時間賃金というものは、一労働日に働く時間が定まっていないときには、資本家は自分の都合によって、剰余価値を生み出しつつ労働者の自己維持にために必要な賃金を考慮することなく、支払う労賃を決めることが出来るものとなる。「資本家は、就業の規則性をまったく無視して、ただ便宜や気ままや一時的な利害に従って極度の過度労働と相対的または全部的失業とをかわるがわる引き起こすことができる。・・・それだからこそ、このような一時間賃金を押しつけようとする資本家達の企てに反対して建設部門で働くロンドンの労働者達のまったく当然な暴動も起きたのである。」
賃金は上がっても、労働日が慣習的な長さより延長されれば、名目上の時間賃金は変わらずに、しかも時間賃金の正常な水準以下になりうる。労働時間が長くなるにつれて労働の消耗は時間の増大を上回って増大するが、それには限度があるから、労働時間の法的制限のない産業部門においては、例えば労働日のある限度までを正常と認めるという習慣が自然発生的にできた(「一日の労働」「標準労働日」「正規の労働時間」など)。しかし、もともと正規の労働時間中の「労働の価格」(=時間賃金)低く設定しておけば、労働者はいくらか余分に支払われる時間外労働を強いられることになり、労働日の法的制限が加えられれば、労働者自身を維持するに必要な賃金(時間賃金x労働時間)以下ともなりうるのである。
一般によく知られている事実として、労働日が長いほど労賃が低い部門がある。これは、工場監督官による1839年~1859年の調査により例証されている。つまり、労働の価値が低いことが労働時間の延長の動機となり、労働価値の低下率が労働時間の増加率を上回っていた、ということである。
労働時間の延長もまた労働の価格の低下を引き起こし、賃金の低下をもたらす。労働の価格(=時間賃金)は、労働時間が延長されれば労働力の日価値も比例して増大しないかぎり低下する。資本家が長期にわたって労働日を延長することを可能にするのと同じ事情は、労働の価格を名目的にも引き下げ、ついにはこのような事態をはじめは可能にして次には強制する。理由は、労働者間における労働能力の向上をめぐる競争と、資本家同士の商品価格の低下をめぐる競争である。
(要するに、労働の価値を時間賃金という面から考察してみても、資本家と労働者との社会関係に基づいて、労働時間と労働の強度と生産力から生まれる価値のうちで労働者階級に配分されるのは、彼ら自身が価値の創造源であるにもかかわらず、必要最小限のものである、ということが証明された、と述べられている。尚、ここで使われている法則とか証明は自然科学的のものとは異なり、人間自体が作り上げている社会における言葉であることに注意が必要)
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