2015年10月19日月曜日

資本論(第1巻)第7篇 資本の蓄積過程 第25章 近代植民理論

第二十五章 近代植民理論




【感想】本国とは歴史の経験が違っている植民地であるからこそ、そこで生じている経
あゆみ
済状況が、己の理論の正しさとそれまでの経済学の誤りを浮き彫りにしている、というマルクスの言い分はなかなか説得力があるなー。

ここで問題にされている植民地とは、自由な移住者によって植民される処女地のことで、例えば今日の(マルクスの時代の)アメリカ合衆国などのことである。
経済学は二つの異なった私有について原理的な混同をしている。ひとつは生産者自身の労働に基づく私有で、もう一つは他人の労働の搾取に基づく私有である。後者は前者の正反対であるだけではなく、ただ前者の墳墓の上でのみ成長するものである。
資本主義的支配体制が完成した世界では、国民的生産全体を直接に従属させている。この世界においては、事態が経済学のイデオロギーを非難すればするほど、経済学者は前資本主義的世界の法律概念や所有観念を適用しようとする[1]
植民地での資本主義的支配体制は、実際、自分自身を富ませる生産者という障害にぶつかる。この時に、資本家の背後に本国の権力があるところでは、資本家は、自分の労働にもとづく生産・取得様式を暴力によって一掃しようとする。経済学者は、本国においてそれを説明する任務を負わされている利害関係、つまり資本主義的生産様式が、実は他人の労働の搾取に基づいているのでなくて、それとは反対に、自分の労働の基づいているものであると説明する任務を負わされた利害関係が、「その同じ利害関係が、植民地では彼(=経済学者)をそそのかして「事情を打ち明け」させ、二つの生産様式の対立を声高く宣言させるのである。」
(経済学者は利害関係の説明を行うのだが、その説明は植民地と本国とでは矛盾しており、その矛盾が二つの生産様式、つまり本章で前述した二つの私有に基づく二つの生産様式、の対立を声高く宣言させている。つまり、資本主義的支配体制が内包する矛盾は、そのような体制が整っていない植民地において明確な現実として暴露されているのだが、そのことを自覚できない経済学者が、二つの生産様式の対立や回避策などを言えば言うほど、自ら無自覚的に資本主義的諸関係についての本質を暴露することになる)。
EG・ウェークフィールド[2]の大きな功績は、植民地で本国の資本主義的関係についての真理を発見したことである。彼の植民理論は、植民地での賃金労働者の製造に努めるものであった。彼はこの理論を組織的植民と呼んでいる。
ウェークフィールドの第一の発見は、資本は物ではなくて、物によって媒介された人と人との間の社会的関係だと言うことである。彼の嘆き話によれば、ピール氏というイギリス人が、5万ポンドの物資と男女と子供を併せて3千人を伴いオーストラリアに行ってしまったが、「ピール氏には、彼のために寝床を用意したり河から水を汲んだりしてくれる召使いは一人もいなかった。」
これから述べるウェークフィールドの諸意見を理解するために、二つの前置きが語られる。一つは、資本の概念の相違であり、もう一つは資本の蓄積に対する理解の相違である。
資本というのは、生産手段や生活手段の素材的実体とその所有という関係だけではなくて、それらが労働者の搾取や支配という関係が満たされ場合にのみ成立するのであるが、ウェークフィールドは経済学者一般と同じく、資本主義的な魂と素材的実体とを区別することが出来ず、生産手段や生活手段が例え資本の正反対物であってもそれらをみんな資本と名付けている。ウェークフィールドはそれに加えて、独立な自営労働者の個人的所有物としての生産手段が分散されている事態を、まるで封建的法学者が貨幣関係に封建的な法律的レッテルを貼るように[3]、資本の均分と呼んでいる。
資本主義的蓄積も資本主義的生産様式も、労働者が自分自身で富を蓄積できる限り、あるいは賃金労働者階級がない限り、あるいは労働条件の収奪がない限り、あるいは資本と賃労働の分離がない限り、不可能である。ウェークフィールドは、この資本の蓄積を可能にしたのは労働条件の収奪ではなくて、独特な種類の社会契約であるという。この社会契約はアダムの時代から人類の念頭に浮かんでいたもので、資本の所有者と労働の所有者とに分割されることを自由意志によって了解していることに基づいている、というのである。
資本主義的蓄積も資本主義的生産様式も、民衆からの土地の収奪、工業からの農業の分離や農村家内工業の絶滅によって発生する国内市場、賃金労働者の再生産、賃金の変動が資本主義的搾取の適合する限度内に制限されること、そして最後に資本家への労働者の社会的従属あるいは絶対的従属関係、を基礎としている。しかし、自由な植民地ではそれらのすべてが欠けている。「ウェークフィールドが、植民地には賃金労働者の従属関係も従属感情もないということを嘆いているのも、少しも不思議ではない。彼の弟子のメリヴェールは次のように言っている。古い文明国では労働者は、自由であるとはいえ、自然法則的に資本家に従属している。だから植民地ではこの従属が人工の手段によってつくりだされなければならないのである、と。
ウェークフィールドに言わせれば、植民地におけるこのような弊害の結果は、生産者と国民財産との「分散の野蛮な制度」ということになる。無数の自営的所有者のあいだへの生産手段の分散は、資本の集中を破壊し結合労働の基礎を破壊するからである。
「では、植民地の反資本主義的な癌腫はどのようにすれば治るだろうか?」政府には一石二鳥の方法がある(とウェークフィールドは考えた)。それは、一方では、政府の力で処女地に人為的な価格を付けて移住者に販売し、他方では、その利益を資本家に提供するための貧民を輸入する費用に当てることである。ただし、その土地の価格は、移住者が独立農民になれるだけの額を稼ぐのに必要な時間よりも長い賃労働の期間を必要とすると同時に、その賃金は、代わりの労働者達がやってくるまでは独立農民になることを妨げる程度には高いものでなければならないし、その土地の販売額の増加は貧民の輸入増に比例するようにしなければならない。つまり(当然ながら移住者と貧民の労働搾取を政府の政策として実施するから)価格の設定も貧民の輸入も神聖な需要供給の法則を侵害することになる。「こういう事情のもとでは、最善の世界では万事が最善の状態にあるということになるであろう。これが「組織的植民」の大きな秘密なのである。」
(この一石二鳥の方法を裏から見れば次のようになる)「労働者は、まず資本家さまのためにもっと多くの労働者を搾取することができるように「資本」をつくってやっておいて、それから労働市場に自分の「身代わり」を立てなければならない。そして、この身代わりを、政府は、この労働者の費用でそれまで彼の主人だった資本家のために海の向こうから送ってよこすのである。」
このウェークフィールド氏の処方箋による植民地用「本源的蓄積」方法はイギリス政府が多年にわたって実行してきたものだが、それは失敗であった。移民の流れは、ただイギリスの植民地から合衆国の方にその方向を変えただけであった。そしてその間に、ヨーロッパでの資本主義的生産の進展は、ウェークフィールド氏の処方を不要なものとしてしまった。合衆国では、一方では東部に向けて追い出される移民の流れが西部へと流れる量を上回ることで過剰労働人口が生み出され、他方では南北戦争がもたらした莫大な国債や租税の重圧や金融貴族の製造や鉄道・鉱山開発会社への公有地の贈与など、要するに急激な資本の集中が出現した。アメリカにおける資本主義的生産は急激に進展しているのである。オーストラリアでは、金鉱やイギリス商品の輸入などによって既に十分な「相対的過剰労働人口」を生み出している。
「ただ一つわれわれの関心を引くものは、新しい世界で古い世界の経済学によって発見されて声高く告げ知らされたあの秘密、すなわち、資本主義的生産・蓄積様式は、従ってまた資本主義的私有も、自分の労働にもとづく私有の絶滅、すなわち労働者の収奪を条件とするということである。」

第一巻 完





[1] この適用例はここではあまり語られていない
[2] イギリスの政治家、植民政策家、経済学者(17961852)で、アダム・スミスの『国富論』の編集者。彼の考えについては、本章では殆ど『イギリスとアメリカ』(ロンドン、1833年、EG・ウェークフィールド)から引用されている
[3] 封建的法学者が貨幣関係に貼る封建的なレッテルとは何か?

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